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狐系獣人族のアルムが操作する馬車に乗り、マリーダさんと旧マリーダ商館へと到着した。
旧マリーダ商館は第二区域の外れにある通りから、さらに一本中へと入った細い街路に建っていた。
こぢんまりとした石造二階建てで、木扉の上部にある看板ブラケットには、黒いアームのみで看板自体は付いていなかった。
現在は使用していないのだから、看板がないのは当たり前か。小さな小窓にはカーテンが引かれ、中を覗くことはできなかった。俺が外観を見ている間に、マリーダさんが木扉の鍵を開け、「中へどうぞ」と声をかけてくれた。
アルムは通りで馬車とともに待機している。この細い街路には馬車は進入できないからだ。建ち並ぶ隣家も、若い商人や職人の工房や商館らしく、マップに移る範囲内の光点だけを見ても、それなりに人は住んでいるようだった。
しかし、街路を歩く人影は少ない。聞いていた通りで、夕方前後までは人通りのほとんどない場所なのだろう。
商館一階は店舗スペースだ。フローリングに木製の棚やカウンターが置かれ、カウンターの奥に二階と地下へと続く階段がある。
店舗スペースには興味はない。商売をするためにここを買うわけではないからな、俺がここへ出入りするようになって、一向に商館に動きがないことを不審がられるようになった場合に、カモフラージュとして何か商売をする可能性もなくはないが……。
次に二階に上がった。ここも床はフローリングで、向かい合わせに並べられた木机が六台と、上座の少し離れた場所に単独で一台の木机が置かれている。
壁際には空の物品棚や書庫らしき家具が並んでいた。度々掃除に来させていると話していたが、たしかに一階も二階もホコリっぽさもなく、綺麗に掃除されていた。
そして、最後に見たのが地下倉庫だ。ここが一番欲しかった部屋でもある。転送魔法陣、模写魔法陣を設置したままにしておく部屋は、外部から隔離されている。また、出入りできる場所が一ヵ所しかない、そう言った場所を欲していた。
さらに俺は、拠点としての建物は欲したが、そこに生活空間は全く必要と考えていなかった。なぜならば、生活する場所はVMBの個人ルームがあるし、最高級モーターハウスのコンチネンタルがあるからだ。
地下倉庫への入り口は、大きめの鉄扉で閉じられていた。
「商館の鍵は、すべてこの魔錠紋で解錠します。今は魔力消費型しか用意していませんが、ここで決まれば魔石消費型の魔錠紋をご用意します」
そう言って、手に持つ魔錠紋と言う解錠用の魔道具を見せてくれた。一見すると少し大きめの判子と言ったところだ。
これを鍵部分に押し当てながら魔力を流すと、鍵に刻印された半円の魔紋と、魔錠紋に刻印された同じく半円の魔紋が合わさり、一つの魔法陣となって扉を解錠する。
その様子を後ろで見ながら、もしも魔錠紋がない場合は扉を開ける手段は何もないのかが気になった。
マリーダさんに聞いてみると、魔錠紋がない場合は魔法陣に施された魔力以上に力で破壊するか、魔錠紋を解除する魔法や技能なども存在するそうだ。
そのため、魔錠紋による施錠とは言え安全ではなく、金属製の錠前も一般的に広く使われているそうだ。
「現在、この地下倉庫には一切何も置いておりません。灯りはどう致しましょうか? 魔石消費型のランタンなどもご用意できますが」
地下倉庫の中には本当に何もなく、剥き出しの煉瓦壁が暗闇の先に見えるだけだ。しかし、広さも高さも申し分ない。
「そうですね。ランタンを掛けて置けるアームと一緒に、いくつか用意してもらえれば助かります」
この倉庫をメインスペースと使っていくには、幾らかの改装は必要になりそうだった。灯りの確保をはじめ、内壁や床板などの張替えなどを注文し、二階部分の事務スペースの家具の入れ替えなど、希望する改装を伝えて見積もりを出してもらう。
実際に使えるようになるには数日かかるだろうが、王競祭に魔法陣・模写魔法陣の調整、それが完了するまでの間は王都近郊の迷宮アタックと、俺の予定は埋まっている。
ここを実際に拠点として利用できるのは、これらの後くらいで丁度いいだろう。
旧商館の確認を終え、とりあえずマリーダ商館へと戻ることになったのだが、第二区域の中央を走る大通りに近づいてくると、視界に浮かぶマップに光の壁が出来ているのが見えてきた。
それに合わせて馬車の進む速度も落ちていき、通りに停車した。
「奥様、丁度パレードが通過する時間のようです」
アルムが御者台とキャビンの間にある小窓に顔を出し、状況を伝えてきた。パレードと言うのは、王競祭を主宰する王族が会場であるハイラシアへ向かう行進のことだ。
王城から真っすぐ向かうのではなく、第二区域を通過しながらゆっくりとハイラシアへ向かうパレードは、普段は目にすることのできない国王の姿や、王族の姿を見られるかもしれないと、多くの王都民がパレードのコースに集まるそうだ。
「そうですか、もうすぐ通過されるのかしら? 予定の道順を考えると、通過を待たないと商館に戻るのは大変そうね。シュバルツさん、せっかくなのでパレードを見て行かれますか?」
「そうですね。王族の方々には興味もあります。ここで通過を待つだけなら、ちょっと見に行ってみましょうか」
「それでは――。アルム、聞いての通りです。シュバルツさんとパレードを見てきますので、馬車をお願いしますね」
「はい、奥様。ですが、護衛は大丈夫ですか?」
「これから王族が通過する通りで、わざわざ騒ぎを起こす輩もいないでしょう。それに、シュバルツさんがいるので大丈夫ですよ」
「そうですか……」
チラッっと、アルムが俺の方に視線を動かすが、すぐにマリーダさんの方に戻り、御者台を降りてキャビンの扉前へと移動していく。
扉が開いてところで俺が先に降り、マリーダさんの降車をエスコートして人だかりの方へと歩きだした。
大通りの両端に溜まる人だかりに混じり、王城方面からやってくる歓声に目を向ける。
まだ姿は見えないが、間もなくここを通過するのだろう。歓声にかき消されそうになるが、多数の馬蹄音や馬車の音が聞こえている。
「マリーダさん、今回参加される王族はどなたなのですか?」
「参加される王族の方々は、このパレードで初めてわかります。それでも、ある程度は予想できています。まず間違いないのが、クルトメルガ王国の第二王子であらせられる、キリーク王子です」
「第二王子……たしか“覇王花”のクランマスター……」
「そうです。その覇王花が、現在王都に集結しているそうです」
「集結……? 覇王花はどのくらい大きなクランなのですか?」
「詳しい数は把握していませんが、覇王花単体でも百数十人、そこに下部組織として、数十を超えるクランと傭兵団、さらには商業・職人組合が参加していると聞きます」
「マリーダ商会は?」
「私共は冒険者や探索者と分け隔てなく取引しておりますので、覇王花だけでなく、どのクランとも特別懇意にしているというのはありません」
「そうなのですか――、見えてきましたね」
大通りに大きな歓声がこだまする。先頭に見えてきたのは、護衛する中央騎士団の騎士だろうか。馬に乗る騎士と、横の王都民を抑える歩兵が先頭を歩き、その後方から大きな馬車が見えてくる。
密閉されたキャビン型ではなく、屋根のない四頭立てのオープン馬車が進んできた。キャビンに乗っているのは男女二人だ。男性は壮年の普人種、女性は十代の普人種と思われる少女が座って手を振っていた。
「あれは……、国王陛下と、第四王女のシリル王女ですね」
「第四王女?」
「えぇ、国王陛下には三人の王子と四人の王女がおります。第一、第二、第三王女はすでに貴族の名家に降嫁されており、国王陛下は最後に残られた第四王女のシリルさまを溺愛しているとも聞きます」
俺は前を通過していく馬車を見ながら、マリーダさんの話を聞いていた。
あの壮年の男性が国王か……、俺と同じように、ゲームの世界から狭間を超えて落ちてきた者の子孫。血統スキルを保持しているのかはわからないが、だいぶ前にアシュリーが王家にしかないと言っていたと思う。
王族全員が持っているのか、それともその内の限られた人だけが持っているのか
俺の興味は国王や第四王女本人たちよりも、その身に宿る血統スキルについてばかり考えていた。
そして、国王たちの馬車から少し遅れて、もう一つの集団がやってきた。こちらは馬車がなく、歩兵と騎馬のみの構成だ。
「やはり、キリーク王子ですね。先頭を進む銀髪エルフの御方です」
あれが、覇王花のクランマスターか。
キリーク王子は妖精種のエルフだけあって、その長い銀髪と相まって幻想的なほどに美しい容姿をしていた。細身に感じる体躯だが、身にまとう白銀の鎧が弱弱しさを感じさせない。
その鎧も、胸元に大きく輝く魔石が嵌っているのが見える。あれも魔鎧だろうか?
一層大きくなる歓声……と言うよりも、女性の黄色い歓声が大通りにあふれる中で、俺の集音センサーが小さくない呟きを捉えた。
「地図屋……」
その呟きの出元は、緑鬼の迷宮で出会った覇王花の一人、Aランク冒険者のライネルだった。




