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「『魔抜け』の真の意味を知っておるか? 異なる世界の間を抜けてきた者のことじゃ。いくつもの世界の間にある狭間の世界を、道理を枉げて抜けてくる者、それが『枉抜け』なのじゃ」
ゼパーネル永世名誉宰相の一言は、俺が『魔抜け』であること、俺が異世界よりやって来た者であること、それら全てを知っているぞ? と言わんばかりの一言だった。
そして、『枉抜け』などと呼ばれるほどに、異世界からこの世界へと落ちてくる者がいるという証拠にもなろう。それがどの程度の頻度でやってくるのかはわからないが、この世界に少なくない影響を与えているのは確かだ。
ゼパーネル宰相の周囲に、空気を震わすほどの魔力が漂っているのを感じる。もしも俺が魔力を見る、感じる能力を持っていたならば、その大魔力量に震え上がったのかもしれない。
そして、かすかに聞こえる天井を擦る音。瞬時に天井へと視線を飛ばし、FLIR(赤外線サーモグラフィー)モードに視界を変更し、天井板の僅かな隙間の向こうに、熱源反応があるのを見る……忍びの類か?
この応接室を改めて見渡せば、室内こそ俺とゼパーネル宰相の二人だけだが、襖で仕切られた隣の部屋には、息を殺す何者かの気配があるように感じる。
「今はまだ、そちに危害を加えるつもりはない」
「『今は』ですか……」
「そうなのじゃ。そちがどこから来て、この世界で何をするつもりか、それを見極めたうえで、どうするか判断するのじゃ。ここで何を話しても、誰も外では公言はせん、全て妾とロンちゃんの直属なのじゃ」
「……『枉抜け』とは、それほどまでに危険な存在なのですか?」
「危険なのは人なのじゃ、力には善悪も、功罪もない。使う者の意思一つでどちらにも転ぶのじゃ。妾はあの御方より強く言い付かっておるのじゃ、『枉抜け』の心を見極めろと」
「私は……たぶん、この国の建国王と近い世界から来た――と思います。正確には違うと思いますが」
「そちはこの屋敷を見てどう思った?」
「私の故郷に、かつてよく建てられていた建物だと……」
「ふぅむ。そちが来た世界の名は、『ESO』か?」
「『ESO』? いえ、違います。私が生まれた世界には名前などありません。強いて言うならば……『VMB』です」
「『VMB』? 聞いたことのない名じゃ」
ESO…随分と昔に聞いたことがあるような、たしかVRMMOが世に出始めた頃に発売されたゲームにそんな略称のタイトルがあったような。この国の建国王は、俺と同じようにESOと言うゲームをプレイしている最中に、この世界へと落とされたのだろう。
その後に何がどうなって国を建てるまでに至ったのかは分からないが、自身と同じ境遇の者が現れることを確信し、ゼパーネル宰相に後を任せた……。
「宰相閣下は、エルフの寿命を遥かに超えて存命されていると聞きました。更にはそのお姿。それはESOと関係しているのでしょうか?」
「今の妾は不老よ、不死ではないがな。そちは不老不死を望むのか?」
「いいえ、望んではおりません」
「そちは……、もう一つの姿を持っておるな?」
「……アシュリーから聞きましたか?」
「アーちゃんを責めるでないぞ。妾の命は一族には絶対なのじゃ。シャフトといったか、アレもそちで間違いないな?」
「……はい、その通りです」
「では、牙狼の迷宮を討伐した時に、何か起らなかったか?」
それはつまり、あのメールの差し出し主のことだろうか? あの、まるでこの世界の神かのように振る舞う『UNKNOWN』。迷宮を討伐した後にだけコンタクトを取ってくる謎の存在。
「この世界の理から外れた何者かから、便りが来ました」
「……それじゃ、妾がこの不老を得たのは、その存在の力に依るものじゃ」
「アレは一体、何ですか?」
「わからぬ。あの御方もアレは知らぬと言っておられた。そして、決して心を許すなともな、そちも気を付けるがよいのじゃ」
心を許すな……か、確かに俺に色々と助言やアイテムを送ってきたりしたが、その真意も何もわかってはいない。アレを何か便利なボーナス特典のように考えるのは、危険なのかもしれない。
「話を戻すのじゃ。シュバルツ・パウダーよ、そちは『枉抜け』としてこの世界にはない力をもっているはずじゃ、その力で何を成すつもりじゃ」
「……私の今の目的は、この世界で生きる、ただそれだけです。前の世界に帰ることは叶わないでしょう。この世界で生きていくことを選択するしか道はありません。その上で私のこの力を何に使うかと言えば、私は迷宮を討伐したい。私をこの世界に落とした何者かは、迷宮を使ってこの世界に害をなそうとしている。それを一つでも多く止めたいと考えています」
「そちの力、この世界のために使うと、そう申すのか? この世界に身を投じ、安寧のための生贄になると、そう申すのか?」
「生贄などと、そのように考えたことはありません。英雄願望があるわけでもありません。――しかし、今の私にできることは力を振るうことだけです。ならばその理由は、この世界で出会った友のためでありたい。結果的にそれが、私をこの世界に落とした何者かへの意趣返しにも繋がると考えています」
「友……、アーちゃんか!」
「アシュリーだけではありませんが……」
「だが、アーちゃんのために南部まで追って海賊船団を潰したのだろう? そちは力を振るうことしかできないと申したが、他にもできることはあるはずなのじゃ、例えば、血と智を残すことじゃ」
「血と智、ですか?」
「そうなのじゃ、そちら『枉抜け』の力は子孫にも宿る。それは血統スキルとも呼ばれ、代々受け継がれていくものじゃ。そして異なる世界の知識は、この世界を、この国を大いに発展させることが出来るのじゃ」
血統スキル……、オルランド大陸でもほんの僅かな家系だけが継承している特別なスキルと技能、その正体はVMBといった異世界の力だったと、そう言う訳か……。だが、時が経てば経つほどに家系図は広がる、なぜ僅かな家系にしか継承されていないのだろうか?
「血統スキルは僅かな家系しか持っていないと聞きましたが?」
「最初はそうじゃ、血統スキルの扱い方は口伝でのみ継承され、正当な世継だけが正しく扱うことが出来るようにしておる。これはどの名家でもそうなのじゃ。しかし、時が経つにつれその血は薄まり、人々の中に浸透していく、それが次代のスキルや技能となって発現するのじゃ」
「それではつまり、現代を生きる人々が普段使っているスキルや技能は、元々は古い時代の『枉抜け』の力だと……?」
「その通りじゃ。『枉抜け』がいつ頃よりこの世界に来ていたのかはわからぬ。だがその力は魔力と融合し、この世界に溶け込むように一体化してきたのじゃ。そちの力も、子孫を残し続けることで、いつの日か人々が自在に扱えるようになる日が来るのじゃ」
「このVMBの力がスキルや技能に……」
その話は、なんとも現実感のない話だった。VMBはVRFPSだ、FPSの基本や、銃器への知識がなければ使いこなすことは出来ない。いや……それよりなにより、俺は子孫を残すことができるのか……?
この疲れを知らぬ体で、傷が再生する化け物のような体で、次第にVMBの力を身に取り込んでいくこの体が、本当に子を作る能力を持っているのだろうか?
だが……。
「私は、国に取り込まれるつもりはありません。それはクルトメルガ王国だけではなく、他の国でも同様です」
「自由を望むのか?」
「そうですね、そうとってもらっても結構です。先ほども言いましたが、私には目標としている迷宮討伐があります。どこかの国に根を下ろし、そこに家を作れば何れはその目標を諦めることになるでしょう。また、国の庇護に入ればこの『枉抜け』の力を見逃さないのではないですか? 直接的な力だけでなく、知識の提供も考えれば、私の自由はなくなるでしょう」
「そうじゃな、それは間違いないのじゃ。――ならば、好きにするがよいのじゃ」
ゼパーネル宰相は俺の返答をあっさりと認めた。俺はてっきり周囲を囲む忍びらしき影と、戦闘に突入しても止む無しと判断していた。しかし、ゼパーネル宰相に力づくで俺を拘束する気はない様だ。
「そちの言葉を認めたことが信じられぬか? まぁ、それもそうじゃろう。だが妾はあの御方に言われておるのじゃ。『枉抜け』が自由を求めるならば、それを認めよとな」
「……建国王に感謝を」
俺に言えるのはそれだけだった。ゼパーネル宰相はあの御方――、建国王に忠実に尽くしている。建国王の望んだ国づくりと、その繁栄を見守り続けている。そして、この世界に落ちた『枉抜け』にもたびたび道を提示していたのだろう。俺が初めてとは思えない、過去にもここに『枉抜け』を招き、同じように問うて言葉を交わしたのだろう。
その結果はわからないが、いつの間にかゼパーネル宰相の周囲に漂う大魔力の気配は収まり、応接室を取り囲む何者か達の気配も消えていた。これで話は終わりということだろう。
ゼパーネル宰相が立ち上がり、「食事にするのじゃ」といって部屋を出て行く、そしてその出際に
「だが、アーちゃんはいい女なのじゃ、欲しくなったら言いに来るがよいのじゃ」
と、とんでもないことを言って廊下を歩いていった。




