152
総合ギルドの資料館で夕暮れまで調べ物をした後、オフィーリア・ドラグランジュに紹介された、「平穏の都亭」へとやってきた。フロントで紹介の話をし、部屋付きのコティに案内された部屋で、夕食までの僅かな休息の時間を過ごしていた。
部屋に備え付けられた浴室を使い、魔石消費型の浴槽に水の魔石と火の魔石でお湯を出し、久しぶりのお風呂を満喫しながら夕食までの時間を過ごしていた。
浴槽に体を沈めながら、TSSのウインドウモニターを弄り、この後の夕食に着けていくマスクを選ぶ……。
夕食を摂るのだから口元が開いていなければならない。蝙蝠男マスクにするか、黒豹のベネチアンマスクにするか……。夕食の場所の雰囲気が分からないが、王都では仮面舞踏会が流行りだしていると聞くし、黒豹のベネチアンマスクにするか。
浴槽から上がり、布で体を拭いていく。この世界の縫製技術では、まだタオルに近いものは作りだせないようだ。そういえば、コンチネンタルのトイレ付きユニットバスに、バスタオルが何枚か置かれていたはず。
ワインセラーからワインを回収するついでに、バスタオルなども回収してしまうか……。
そう考えると、最高級モーターハウスであるコンチネンタルの居住スペースに置かれていたものは、どれも生活必需品でありながら品質が高い物ばかりだ。
リビングスペースのソファー、キッチンスペースの調味料や調理具に食器、トイレ付きユニットバスにはトイレットペーパーや歯ブラシ、シャンプー、リンス、石鹸、などの洗面用具。ベッドスペースの高級羽毛布団等々、目に付く全てが俺にとって当たり前の家具や道具であり、この世界では異質なほどの高品質だった。
これら居住スペースの備品は、外に持ち出しても消費した燃料ゲージを僅かなCPで回復させれば、全て元通りに復元させる事が出来る。
これを繰り返すだけで高品質の生活必需品を大量に手に入れることが出来るわけだが……、自分で消費する分以外まで用意するのは、少し面倒くさいかな。
風呂から上がり、アバターカスタマイズで服装と装備を整えて、マスクを黒豹のベネチアンマスクに決定する。
視界に浮かぶマップには、部屋に近付いてくる光点が見えていた。移動速度、僅かに聞こえる廊下の敷物を踏みしめる足音の軽さ、部屋付きのコティだろう。
トントン
「シャフト様、ご夕食の準備が整いましたニャン」
部屋の扉を開け、廊下へと出て行く。廊下で待つコティの服装が、少し小奇麗に変わっていた。
「お待たせ致しましたニャン。通常は一階がお食事の会場となりますが、今夜は特別に四階のラウンジルームにご用意いたしましたニャン」
俺が宿泊する部屋は、四階の比較的手前の方にあったのだが、コティが案内するラウンジは奥のほうにあるようだ。中庭を見下ろせる廊下を歩きながら、下を覗くと、中庭にもテーブルと椅子があり、野外レストランになっているようだった。
高級宿とは聞いてはいたが、普通の宿と何が違うのか? となれば、各部屋の内装や設えは勿論、こういった食事やお酒を楽しむ空間の豪華さ、完成度が差になっているのだろう。
さすがに、高級宿だからと言って、室内プールやカジノスペースがあるわけではないだろうからな。
「こちらがラウンジルームですニャン」
口型の建物の最奥の一辺がラウンジルームになっているようだ。両開きの扉の左右には、深い緑色を基調とした騎士服を着た男性二人が立っていた。ドラグランジュ辺境伯領の騎士だろうか?
「シャフト様をお連れしましたニャン」
「ようこそ、シャフト様。オフィーリア様ももうすぐ来られると思います。先に入ってお待ちください。それと、もしも武器の類をお持ちでしたら、ここでお預かりさせて頂きます」
これは当然だろう。予めドイツ軍親衛隊の黒服だけで、オーバーコートを着ないでここへきた。シャフトとして普段携帯している武器は一切持っていないが、念のためにと胸の内ポケットに入れてきたシンプルなナイフを取り出し、騎士へと渡した。
ラウンジの中はとても広く、普段は大勢の宿泊客を招いたりしながら利用するのだろう。しかし、今夜の利用客は俺とオフィーリア・ドラグランジュだけのようだ。
ラウンジ内に備え付けられた燭台に灯る魔法光に照らされて、浮かび上がるように用意されているテーブルと向かい合う椅子が二脚。
コティが引いてくれた椅子に座ると、彼女は一礼して給仕室と思われる部屋へと向かっていった。
宿を取る手間が省けると、オフィーリア・ドラグランジュの紹介を受けてこの宿に来たが、ここまでの流れは、まるでデートのエスコートをされている気分だ。
再びラウンジルームに戻ってきたコティから食前酒のワインを受け取り、グラスを揺らしながら彼女を待つ、まだ食前酒に口はつけない。
視界のマップには、すでにこちらに向かってくる三つの光点を捉えていた。先頭は部屋付きと思われる小さな子供のような足音、二つ目がたぶんオフィーリア・ドラグランジュ、三つ目は位置関係からして護衛騎士だろう。
グラスをテーブルに置き、席を立ち上がって迎える準備をする。急に立ち上がった俺の動きにコティが何事かと近付いてくるが、その動きを手で制し、正面扉が開くのを待った。
「待たせてしまったかな、シャフト」
「いや――、ちょうどいま、食前酒を貰ったところだ」
「そうか、それはよかった」
「オフィーリア様、それでは私は外で待機しておりますので、何かあればすぐに」
「あぁ、ありがとう、ヴァージニア」
オフィーリア・ドラグランジュの後ろに控えていた護衛騎士と思われる女性が一声掛け、ラウンジの外へと出て行った。その際、一瞬だけ俺のほうを見たが、その無表情な顔の裏に、何を考えていたのかは判らない。
彼女の部屋付きは、エルフの少年だった。いや、年齢がどれ程なのかはわからないが、小柄な男性エルフだ。
彼が椅子を引き、そこにオフィーリアが座る。それを見て、俺も席に座った。
「宿の紹介、とても助かった。ありがとう、オフィーリア・ドラグランジュ」
「オフィーリアでいいさ、シャフト」
今夜のオフィーリアは、薄桃色の長髪をアップに纏め、白いうなじから背中までが大胆に開いた深緑のバックレスドレスを着ていた。
「食事が出来るように口元が空いた仮面も持っているのだな。素顔が見られるものと期待していたのだが、少し残念だよ」
「それは申し訳ない。俺の素顔はとても淑女に見せられるものではなくてな」
「自信がないのか? 女が男に求める物は容姿だけではあるまい。強さがあれば十分だという女もいる」
「それもあるかもしれないが、顔が良いに越したことはないだろう? 長く共に過ごすとなればなおさらだ。どれだけ恋焦がれた相手でも、長く時を過ごせば必ず嫌な部分が見えてくる。そこをどれだけ愛せるかがで、本当に相手を愛せているかが決まる」
「“黒面のシャフト”、“黒い貴公子”などと呼ばれる裏で、“首狩りのシャフト”と恐れられる男の物言いとは思えないほどに、乙女のような事を言うのだな」
「俺は魔導貴族を始めとした、血を残す為の婚姻に縛られているわけではないからな」
「これは手痛いな。だが、辺境伯領は強者を求めている。魔獣・亜人種の襲来に加え、隣国との摩擦もある。我々魔導貴族は、その脅威に立ち向かう先頭に立たねばならない。その為には、より濃い魔力を有した血を残さねばらないのだ」
俺とオフィーリアの語らいの横で、静かにコティとエルフの少年が夕食のコース料理を運んでくる。本来ならば料理の説明などがあるのかもしれないが、俺とオフィーリアの会話は途切れることなく続いた。
それを邪魔する事がないよう、給仕の二人は静かに、会話に添えるように料理を運び、空になっていく皿を下げていった。
「シャフト、君はその力を何の為に振るうつもりなのか、単独で迷宮を討伐するほどの強者が、何者の傘下にも付かず、この国で何をするつもりだ?」
「オフィーリア、俺の背は君が期待するほど広くはない。俺の背に匿えるのはほんの僅かだ。それに、国同士の諍いに関与するつもりはない。誰かの傘下につけば、それは何かの組織に与する事を意味し、即ち国に与する事を意味する。俺は祖国を失った身だ。新たな祖国を持つつもりはない」
「ではこの先、その力をどう使っていくのだ?」
「迷宮――、迷宮の討伐は今後も行なっていく。そして、俺は俺の背に匿えるだけの守りたい者を守るよ」
「ふっ、本当に乙女だな、シャフト。だが――、私は更に君の事が気に入ったぞ。是非ともその背に匿われてみたいものだ」




