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王都の第二区域を、マルタさんが手綱を握る馬車の御者台に座り、王都の街中を進んでいく……までは良かった。そこまではな……。
シュバルツの偽りの姿、シャフトを生み出した目的は、VMBの武力を表立って使うときにシャフトとなり、シュバルツの自由な立ち位置を確保する事だった。
だが、この現状はどうだ? 牙狼の迷宮を単独で討伐したインパクトは確かに大きかっただろう。しかし、だからといってケブラーマスクに似た仮面やアイマスクが大流行したり、演劇の演目が増えてるとか、ちょっと行き過ぎではないだろうか?
なんとなくだが、作られた流行のような空気を感じつつも、マリーダ商会の商館が見えてきた。
さすがに商館の一階倉庫部分に立つ護衛は仮面を着けてはいなかったが、俺が着ているオーバーコートに似ているコートを羽織っていた。前に来た時には着ていなかった記憶があるのだが……。
人のことは言えないのだが、季節は春を迎えようとしている。日中の気温も上がってきており、コートが欲しくなる寒さではないはずなのだが。
「到着しました」
「商会長! おつかれさまです」
倉庫前に立っていた護衛がマルタさんに気付き駆け寄ってきた。そして、横に座る俺の方を見る。この護衛の男性は初めて会ったと思うが、ケブラーマスクで完全に素顔が隠れているので俺が誰なのかが今一判っていないようだった。
「マリーダはいるかい?」
「はい、商館におられます」
「シャフト様が来られたと伝えてきてくれ」
「はい、シャフト様ですね、かしこまー―……」
護衛の男性の口が”ま”で固まっているのだが……。
「しばらくぶりですね、シャフト様」
マルタ邸の応接室に通されると、すぐにマルタさんの妻である、マリーダさんがやってきた。仕事中だったようで、栗毛の長髪を纏め上げ、眩しくらいの白ブラウスと青ズボンを穿いて部屋へと入ってきた。
その後ろには、メイドのメルティアがティーワゴンを押して続いている。彼女も以前に会った時同様に黒髪のストレート、マルタ邸のメイドたちの中でも特に身の回りの世話を担当している20代後半の女性だ。
応接室のソファーにテーブルを挟んでマルタ夫妻と俺が座り、メルティアがお茶の準備をしてくれている。
「お久しぶりです、シャフト様。お茶が大変お好きと聞きまして、産地より出荷されたばかりの春摘みをお持ち致しました」
メルティアがお茶の説明をしてくれながら、ティーカップに注いでいく。淡い透き通るようなオレンジ色、ダージリンに似たお茶だろう。
草花と果実の芳醇な香りが強く匂ってくる。いいね、ダージリンの一番摘みはこの香りを楽しむものだ。味わいは薄くなりがちだけど、熱いお湯でゆっくり蒸らせば味わいは増す、この世界のお茶文化はまだまだ発展途上だが、メルティアは少し長めに蒸らしているように見える。
「どうぞ」
「ありがとう」
と、言ったはいいが、ケブラーマスクである。すぐには手に取らず、メルティアが応接室を出るのを待った。
俺が素顔を見せたがっていない事のを察したのか、メルティアはマルタ夫妻の分も注ぐと、応接室の隅ではなく、「御用があればおよび下さい」と言って部屋の外へと出て行った。
テーブルの陰にTSSを隠しながら起動し、アバターカスタマイズからマスクの下のゾンビフェイスを解除した。そしてケブラーマスクを外し、マリーダさんにシュバルツの顔を晒した。
マリーダさんには、まだシュバルツとしては会っていなかったが、今後のことを考えると教えておいたほうが都合が良いだろう。すでに城塞都市バルガのマリーダ商会の支店長、ビルさんにも教えている。マリーダさんに秘密にしておく理由も見当たらない。
「あら、素顔は思ったより普通なのですね。王都ではシャフト様の仮面の下の話題は、特に女性の間で議論の的なのですよ」
「普段は魔道具の力で違った顔に見せています。この場で素顔をお見せしたのは、今後の事を考えた上での事です。私のシャフトではない本当の名前、シュバルツのことを含め、秘密にしていただけるようお願いしますよ」
「マリーダ、シュバルツさんの魔道具は凄いよ、普段は――、一言で言えばアンデッドのような顔にしておられる。仮面をつけている正当な理由としてね、マリーダ商会としても、この件を知っているのは私とバルガのビルだけだよ」
「承知いたしました、仮面の下のこと、シャフト様とシュバルツ様のこと、決して口にしないことを誓います。ですが、シュバルツという名はどこかで……あ、もしかして地図屋のシュバルツですか?」
地図屋のシュバルツ……牙狼の迷宮の収穫祭は、討伐される事がないだろうという半ば放置されていた迷宮が、突如討伐され、しかもそれが単独の傭兵ただ一人の力によって成されたと言う事で、大きな話題を呼んだ。
しかもそれが、これまた突如現れて王都を賑わせた謎の傭兵シャフト、迷宮討伐後に姿を消し、収穫祭にも現れなかった事で、さらに謎が深まり注目を集めた。
そんな中で配られた、地下二十階までの見たこともない程に正確で鮮明な地図。その製作者も謎に包まれていた事により、シャフト同様に密かに注目が集まり、水面下での製作者探しが行われていたそうだ。
そして名前が挙がったのが、冒険者のシュバルツという男。収穫祭に集まっていた大商会に務める情報収集の担当者たちが、断片的な情報を繋ぎ合わせて導き出した結論が、それだったらしい。
いつしか冒険者のシュバルツと言う呼び名が、どこからか地図屋のシュバルツに変わり、真偽不正確のまま、凄腕の地図屋として名前だけが独り歩きを始めているらしい。
「なるほど……。たしかに、牙狼の迷宮の地図を提供したのは私です。ですが、地図屋として動くつもりは殆どないですね。各地の迷宮討伐に向けて、探索を継続していくつもりですが、それと地図の作成は別ですね」
「そうですか……畏まりました。この件はこれで終わりにしましょう。もう少しするとミネアが学院から戻ってまいりますので、それまでに幾つか商売の話をしたいのですがよろしいですか?」
メルティナさんが淹れてくれた紅茶で一息つき、そこからはビジネスの話が始まった。
演劇場でシャフトを題材にした演目が幾つか勝手に演じられているが、この世界には肖像権や人格権といった考え方が未成熟だ。同様に商標権なども非常に希薄な捉え方をされているのだが、マリーダ商会で扱っている、”黒面のシャフト”ゆかりの商品に関しては、数パーセントほどの取り分が用意されていた。
気になるのはその商品だが、迷宮弁当として売り出していた、調理された食品を持ち運べる容器に綺麗に詰め込んだ弁当箱が、更に進化して黒塗りの木製弁当箱、”黒弁”として売りに出していた。
安物の籠製弁当箱も生産しているそうだが、”黒弁”は少し値の張る高級商品として、用意したものだそうだ。
売り言葉は"黒面のシャフトも愛用の黒弁!”らしい……。一応、俺専用という重箱タイプの”黒弁”を貰った。
更にはケブラーマスクを模したフェイスマスクやアイマスクだ。最初のころは黒色だけを作っていたそうだが、周辺の商会に真似をされていつの間にか、多種多様な形状にカラーリングが施された、一種のファッションアイテムから防具としてのマスクなども作られるようになってきたらしい。
そして、貴族家のご夫人・令嬢を中心とした晩餐会で用いられるようになって、最近流行っているのが、仮面舞踏会だと言う。
顔を隠し、正体を隠し、煌びやかに着飾って普段口に出来ない愚痴や世間話、または国政に絡んだ秘め事から、火遊びにと耽るそうだ。
ここからは新しいビジネスの話だ。マルタさんとマリーダさんから、ある質問をされた。それは、俺が持つスミス&ウェッソン E&E トマホークの製作工房はどこか? と言う質問だ。
この問いには困った。二人が言うには、シャフトの使っている投擲が出来る片手斧の需要が高まっているそうだ。しかし。鍛冶ギルドの方では投擲に的した重量、素材、重心のバランスなど、研究すべき項目が多く、まだまだ”黒面のシャフト”に絡めた武器としては完成に程遠いらしい。
ならば、俺の武器の仕入先から直接取引しようというのが二人の考えだった。しかし、俺の取引先とはつまり、VMBのSHOPだ。
だが、俺はこの世界で武器商人をするつもりはない。銃器以外の物ならば、他の人に譲ることが出来るのは判っているが、片手斧とは言え、武器には違いない。取引先を伏せる代わりに研究用サンプルとして、トマホークを一本だけマリーダ商会に売却した。
他にも幾つか話を続けたが、マリーダさんがコンチネンタルから持ち出した、読めないラベルのワインに興味を持った。味が最高級なのに眠らせておくだけならば、売るべきだというのが彼女の主張だ。
しかし、産地も収穫年も判らないワインをどうやって売るのか?
「それは、謎の”黒い貴公子”の生まれ育った土地で生まれたワインとでもしましょう。ラベルも要りません、酒精の大小がわかるのならば、それだけを刻印した黒ラベルで売りましょう。商品名はそうですね……、シャフトのワイン――、シャフーワインでどうでしょう」
いや、確かにコンチネンタルから持ってきたワインは、俺が元いた、前の世界で生まれたものだが、シャフーワインって……、まるでパチモノじゃないか……。
マリーダさんの考えにマルタさんも乗り出し、貴族や富裕層向けの知る人ぞ知るといった隠れた銘酒的な位置付けで販売していく事が決まった。
海賊船団との戦いで消耗したCPを回復させる為、安定した収入を得る為とは言え、こうも何から何まで商売に絡めて行くとは……さすがはクルトメルガ王国有数の大商会、マリーダ商会であると、改めて実感させられた。




