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麓の町を出発し、つづら折りの山道を獣道を通ることでショートカットして進み。その途中で遭遇した野鹿をシャルさんが魔動弓で仕留め、今晩の夕食として確保した。
しかし、シャルさんに解体の手順を教わりながら、新鮮な野鹿の背ロースを確保したのだが、俺だけでなくシャルさんまでもが料理の技術を持ち合わせておらず。
今夜の宿となる山の尾根の休憩所を前に、俺達二人は佇む事しかできなかった。
「とりあえず、休憩所へいきましょう。調理に関しては、最悪この先の鉱山街へ到着してから食べるという選択肢もあるはずです」
「そうね、まずは寝床の確保ね!」
完全な問題の先送りである。食事に関する問題は今夜だけの問題ではない、海洋都市アマールに到着するまでは、毎回の如く問題になるのだ。
解決方法はある。俺はマリーダ商会の迷宮弁当を大量に保有している。元々は野宿する場合にはこれを食べるつもりだったのだ。しかし、休憩所に向かいながらシャルさんに確認すると、彼女は最低限の食料しか持って歩いていないという。
それは日持ちする黒パンであったり、干し肉であったりだ。シャルさんが干し肉をしゃぶっている前で、俺一人が迷宮弁当を食べるわけにもいかないだろう。ここは護衛代金から差っ引く形で分け合う事にするしかない。
食事に関する提案をシャルさんに提示し、これにはシャルさんも頷くしかなかった。彼女も干し肉だけの食事は我慢できないだろう。
休憩所には他の商隊や旅人の姿はなかった。野外の調理場に、ダイニングスペースとなる壁のない東屋、寝所となる小屋が三つ建っている。他に利用者がいないからといって、一人一小屋で利用するのはマナー違反というものだろう。
俺とシャルさんは三つの内一つを寝所とする小屋と決め、小屋の中に荷袋や道具袋を置き、シャルさんが小屋の掃除、俺が食事の用意と作業分担を行うことにした。
「シュバルツ! わたしが入っていいと言うまで、絶対に小屋に入らないでよ!」
「それは構いませんが……?」
「絶対よ! 絶対に覗いたら駄目なんだからね!」
それほど絶対見るなと言われると、見に行くのが礼儀にも思えるのだが? いやまぁ、たぶん体を拭きたいのだろう。
山の尾根の休憩所まで走り続けたせいで、シャルさんはかなりの汗をかいていた。それと比べると、疲れることもなく、汗をかくこともなかった俺の体が有難いのか、不気味なのか、少し判断に困る。
しかし、これはある意味チャンスかもしれない。俺はどうしても背ロースが今夜食べたい。俺の手で解体した肉を、俺の手で調理して食べたい。この欲求をどうにかして達成できないものか、そう考えた俺はシャルさんが入っている小屋からは見えない位置へ移動し、TSSを起動してガレージを選択した。
召喚した車両は、最高級モーターハウスのコンチネンタルだ。コンチネンタルを召喚した目的は複数ある、まず第一にキッチンだ。このキッチンではまだ本格的な調理をしたことがないが、何度かキッチン周りのオブジェクトを確認したときに、調味料の類が置いてあることに気づいていた。
料理を全くするつもりがなかった俺は、この世界の調味料の類を一切購入していなかった。それはシャルさんも同じで、唯一持っているのは小瓶に収められた塩のみ。
キッチンスペースの収納棚を開け、料理器具や調味料の小瓶が置いてあるのを確認し、一つ一つ小瓶の中身を確かめていく。砂糖、塩、酢、醤油、胡椒、ラー油、オリーブ油等々様々な調味料が収められていた。冷蔵庫の中も確認する、幾つか入っているものを確認すれば、マヨネーズにバター、わさびやからしのチューブ、それにソースやタレ系の瓶も入っている。ちなみに調味料以外の食材はない。
そして極めつけは、キッチンスペースの一角に鎮座する黒い貯蔵庫、ワインセラーだ。これまではこのワインセラーを開けたことはなかった、ラピティリカ様とアシュリーを緊急輸送していたり、牙狼の迷宮を攻略している最中にお酒を飲むなどあり得なかったからだ。
それに、このワインセラーに入っているワインが、本当に飲めるワインである保証もない。扉を開けて一本取りだしてみる、ボトルに貼られているラベルを見ても、商品名はでたらめな文字の羅列が書かれているだけだ。アルコール度数らしき数字は正常に表示されているようだが、文字に関してはVMBの機能である自動翻訳機能が動く気配もない、ワインセラーに入っているワインらしきものと言うVMBのゲーム内オブジェクトが、この世界で現実に具現化されただけのものだ。
キッチンにあったコルク抜きを使い、封を切ってみる。
キッチンスペースに広がる芳醇な葡萄酒の香り、中身はワインで間違いないようだが……ワイングラスに少量注ぎ、軽くテイスティングをおこない口に含む――美味い。
ボトルの中身は間違いなく赤ワインだ。それも最高級モーターハウスのコンチネンタルに持ち込まれるだけの美味しさを持った最高級のワイン……だと思う。ワインには詳しくないのだ、機会があればマルタさんに飲ませて感想を聞こう。
さて、俺の手の中には鹿の背ロースを入れた布袋がある。小屋を出る前にシャルさんの道具袋から出してもらったものだ。調理法など知らん、しかし、前の世界でよく見かけるTVの料理番組や旅番組で、肉料理の調理映像を全く見たことがないわけでもない。失敗したらそれはそれ、フライパンに油引いて焼いて塩コショウでも十分に美味しいのではないか?
肉をワインに漬けると美味しくなると言うのもどこかで見聞きした記憶があるが、それは今回はパスする。何より時間がない、シャルさんが小屋の掃除と体を拭くのを終えるまでに鹿肉を調理してしまいたい。
さっそくキッチンの電磁調理器を加熱させ、フライパンを温めていく。鹿の背ロースを調理台に置き、包丁を入れて薄切りにしていく。薄切りと言っても厚さは一センチほどか、もっと厚切りにしたい気持ちもあったが、中まで火が通らないのは素人料理としては怖い。
背ロースは想像以上に柔らかく、素人包丁でも引っ掛かりを感じることなく切ることができた。熱したフライパンにオリーブ油を垂らし、フライパンを回して広げていく。薄切りにした肉を投入していき、肉が焦げないようにひっくり返しながら焼いていく。
こ、これは……絶対美味しい匂いがしてる! 肉汁みたいなものはあまり出ないようだが、真っ赤な背ロースにこんがり焼き色がついていく。塩と胡椒を軽く振りかけながら、ひっくり返してまた振りかける。焼きすぎて硬くならないように注意しながら、電磁調理器をオフにし用意しておいた大皿へと移し替える。
焼きたての肉の香りがコンチネンタルの車内に充満していく、オリーブの香りと合わさって俺のお腹を殴打してくる。
これは、シャルさんに食べさせる前にちゃんと作れているか確かめねばなるまい、これは調理担当としての最低限の義務だ。
菜箸で一切れ掴み、口へ運ぶ。おほー、柔らかい、そして噛むほどに汁があふれる食感、十分美味しいではないか。そして飲み込んだ後に残る僅かな鉄っぽい香り、これが鹿肉だろうか。塩コショウも十分な味付けとなっている、素人料理としては及第点か? いや、シャルさんがなんと言うかは分からないが、念の為もう一切れ味の確認をしておこう。万遍なく焼けているちゃんと確認しないとな。
「肉の匂いがするわ!」
寝所にする予定の小屋の扉が勢いよく開けられ、スッキリした顔立ちのシャルさんが、料理の並べられた野外のダイニングスペースに駆け寄ってきた。
すでにコンチネンタルはガレージに格納し、姿形もない。ダイニングスペースの大テーブルに広げられた今日の夕食は、マリーダ商会の迷宮弁当を別皿に移し替え、コンチネンタルから持ってきたボトルワインとワイングラス、そしてメインディッシュとなる鹿の背ロースの焼肉。小皿も用意し、冷蔵庫に入っていた焼肉のタレらしき小瓶も何本か置いてある。
要らぬ詮索を避けるため、ボトルワインのラベルは剥がしておいた。俺に読めないものがシャルさんに読めるとは思えないが、逆に読めない文字の羅列に疑問を持たれても困るのだ。
「なによ! あなたやれば出来るじゃない!」
「野蛮な漢料理になったかもしれませんが、一応食べられると思います。材料もまだ残っていますし、本格的な背ロースの料理は鉱山街に到着してから味わいましょう」
「そうね! それにワインまで用意するなんて気が利いているじゃない!」
大テーブルの椅子に座るシャルさんの前に、ボトルワインを注いだグラスを差し出し、俺の分も注いで準備は完了だ。
「さぁ、冷めてしまう前に食べましょう」
「そうね!」
シャルさんとお互いにワイングラスを軽く持ち上げ、乾杯変わりとし楽しい夕食の一時が始まった。




