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麓の町を出発し、山道をシャルさんと共に進んでいく。シャルさん曰く、一つ目の山を越えるまでは、野生動物がいる程度で魔獣と出くわすことはほぼないのだという。
この世界の自然界は、どこであっても常に魔獣による危険性があるわけではない。これは冒険者たちによる日々の討伐の結果とも言えるが、亜人種に関しては頻繁に巣分けなどにより移動するため、亜人種が好む魔素の濃くなる魔鉱石の鉱脈付近は、注意が必要となってくる。
魔鉱石とは、魔石とほぼ同質の魔力を有する鉱石であり、迷宮内などで獲れる魔石は属性が統一されていないが、魔鉱石の鉱脈は同一の属性で構成されている。
魔鉱石の鉱脈が生まれるプロセスは複数あるが、主に魔素が濃く溜まった場所や、迷宮が滅んだ跡地に生まれることが多いのだという。
ここにもまた、迷宮を討伐する理由があるのだ。魔水の水脈も同様の関係性を持ち、河川や湖の近くに生まれた迷宮を討伐した後に、その付近で湧く水が魔水になっていた事例が幾つもあるのだという。
そういった自然界に関する基本知識をシャルさんからレクチャーされながら、山道を進む。山道といっても、その幅は三メートル以上はあり、荷馬車も通ることができる。道の形状もつづら折りになっており、緩い傾斜をゆっくりと上がっていく形になっている。
「シュバルツ! そろそろ進む速度を上げるわよ!」
「それは構いませんが、山道を走るのですか?」
横を歩くシャルさんの表情が、何やら得意げになっている。
「山道を走るわけではないわ! 走るのは――ここよ!」
ビシッ! と音が聞こえてきそうな見事な腕の振りで指差す先にあるのは、木々の切れ目に生える背の低い草だ。
視界に浮かぶマップを拡大して指差す部分を確認すると、これは獣道か何かだろうか? たしかに細い道がそこにある。
「これは、獣道ですか?」
「そうよ、この山の山道にはいくつか獣道で繋がっている場所があるの、そこを通っていけばかなりの時間短縮ができるわ!」
なるほど、つづら折りになっている山道は、自然と山越えに必要な歩行距離が増える。そこを適切な短縮ルートを通ってショートカットできれば、たしかに山越えにかかる時間は短縮できるな。
「いくわよ、ついてきなさい!」
獣道を進んでいくシャルさんの後ろにつき、山道に比べて傾斜のきつくなった野道を駆け上がっていく。とは言え、俺の体は疲れるということ知らない。シャルさんの進むスピードに余裕をもって追随していく。
「あなた、Dランクの割には体力あるのね。武器は何使うのよ」
「武器ですか? 短剣を少々……」
「短剣術? 意外と地味な武器使うのね。軽戦士系かしら?」
「そうですね……動きは身軽なほうだと思いますよ。シャルさんは何を使うのですか? 見たところ持ち歩いてはいないようですが」
前を行くシャルさんは腰や背に道具袋と思われる袋を携帯しているが、明確な武器を持ち歩いているようには見えない。魔術師なのだろうか?
「わたし? そうね、そこを見てみなさい」
シャルさんが指差した獣道の先に、一頭の鹿らしき動物がこちらを見つめて佇んでいた。
「野生動物ですか」
「今日の夕食よ」
シャルさんは背中に背負っていた少し大きめの道具袋に手を入れると、その中から和弓のように波打った弓を取り出した。形状自体は木製の和弓に見えるが、弓の上部が拳ほどの皿のように広がっており、そこに水晶のような透明の宝石が埋まっていた。
しかし、シャルさんが取り出したのは弓だけだ、矢は見当たらない。それでもその場で直立し、弓を引く体勢をとっている。弦が顔の後ろにまで引かれると、弦を引く右手が淡く光っている。
これは――魔法武器か。俺がその弓の正体に気付くと同時に弦が放たれ、引く手に宿っていた光が矢となって鹿の胸を貫いた。
「どう? これがわたしの武器よ」
「魔法武器ですか」
「そうよ、魔動弓”アトリビュートボウ”よ!」
なるほど、矢ではなく魔力を射る弓か、なんとなくそれだけではない気がするが、今はそれだけわかっていればいいだろう。
「シュバルツ、あなたDランクのくせに動物の絞め方知らないって言ってたわよね」
「ええ、そうです」
「教えてあげるから、あなたが解体しなさい!」
胸を貫かれた鹿を引きずりながら、獣道から少し横に移動し、そこでコンバットナイフを抜き、教えられるままに血抜きをする時の捌くポイントを教えてもらい、頸動脈がある首を切り開く。
血抜きをしている間に、これから解体する肉や皮を収納する準備をしておく。今日の夕食として食べる分のほか、山を越えて向う鉱山街で売り払えるように纏めておくらしい。
準備を終え、血抜きができたところで鹿の喉笛からナイフを突き立て、内臓を傷つけないようにまっすぐ切り開いていく。指示されるままに骨を外し、骨盤を割り、食べられる内臓と食べられない内臓を分けて取出し、食べられる部分はシャルさんが手から水魔法を噴射しながら洗浄、食べられない部分は俺が地面に穴を掘ってそこに捨てた。
食べられる内臓は、洗浄後に今度は冷気で冷やしていき、清潔な布に包んで道具袋へとしまう。その次に、内臓を取り出した鹿の腹の中に水魔法を噴射し、内部を洗浄していく。
魔法とはかくも便利なものか、この世界に生きる人々は、戦闘関連の威力の高い魔法こそ習練が必要だが、料理や生活の支え程度の低威力の魔法なら、極々僅かな魔言のみで様々な魔法を操っていた。
洗浄が終われば皮剥ぎである。まずは首回りと手足の皮をぐるっと一周するように切る、その切れ目と内臓を取り出した切り口を結ぶようにナイフを走らせる。
そこまでやったら頭部を縄で縛り、適当な樹木の枝に吊し上げる。最後に手で皮を脱がすように剥いであげれば、スルッと剥ぎ――脱がす? 感覚的にはそんな感じで剥ぐことができた。
皮を剥いだ鹿の姿は、赤い肉を白い脂肪の膜に覆われたグロテスクとは無縁の姿に見えた。ある程度、正しい順序で捌いていけば吐く要素なんてどこにもないのだな……。
鹿の体をすべて解体していては時間がかかりすぎるため、今晩食べる部分として背骨の両脇の背ロース部分だけを切り取った。
あとはシャルさんが魔法で冷気を当てて冷やした後に、首を落として道具袋へと収納する。残りの解体は鉱山街の肉屋に丸投げだ。剥いだ皮も街で売るのだという、売れない部分はすべて地中に埋め、再び獣道へ戻って山道を目指した。
美味しい食材を手に入れたことで、俺とシャルさんの足取りはかなり早くなった。背ロースといえば牛や豚でも最も美味しいとも言われる部分だ。鹿の背ロースは食べた記憶がないが、これもきっと美味しいだろう。
早く山道の一番高い部分にあるという休憩所に着きたい。その一心で獣道を駆け上がり、山道に出れば次の獣道まで走り抜け、そして再び獣道を駆け上がる。
「シュ、シュバルツ! ちょっと、ちょっと待て!」
「シャルさん、どうかしましたか?」
「あ、あなた、疲れたりしないの?!」
「しませんよ」
「え?! だってもう一時間は走り続けてるのよ? ランクDが、なんで、そんな、Aランクみたいな体力しているのよ!」
「ランクですか、指名依頼を受けたくないのでギルドポイントを一切増やしていないんですよ。私の実力がAランクに匹敵しているかどうかは置いておきますが、冒険者に成りたての新人よりかは動けるとは思いますよ」
「鹿の絞め方も知らない無知のくせに――」
「人には……それぞれ得手不得手というものがあるでしょう」
「つまり、あなたは脳筋というわけね! 魔法を使っていないところを見ると、魔力操作もきっと苦手なのね! 重戦士系に魔法を使わないスキル偏重主義が多いけど、軽戦士系で魔法を利用しないなんて、よほど体力に自信があるのね」
「それより、その一時間かけて走り抜けたおかげで、どうやら休憩所が見えてきたようですよ」
見上げる山道の先に、木造の東屋や小屋がいくつか見える。あそこが山の尾根に用意された休憩所だろう。
「ふぅ、あともう少しね! シュバルツ、あなた料理できるわよね?!」
「できませんよ」
「背ロースはまか――え?」
「え? シャルさんも料理できないんですか?」
休憩所を目の前にして、山道で見つめあう俺とシャルさんの二人。山道を吹き抜けるそよ風の心地よさとは裏腹に、俺の心は今夜の背ロースを美味しく食べられるのかどうか、その不安で一杯になっていくのだった。
6/10~6/14の五日間、仕事の関係で出張しますので、20時の更新はたぶん出来ません。ホテルで書くつもりですけど、飲み会やら慰労会やら色々あるので、どこまで書けるかは判りません。
15日からは通常通り更新できるようがんばっていきます。




