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南部の港町、海洋都市アマールへ向かう道中、山の麓にある小さな町に一晩の宿を取った。見知らぬ赤毛の少女、シャルさんとの相部屋となったが、それも一晩だけのお話。
俺は借りた部屋に入ると、さっそくTSSを起動し、アバターカスタマイズから服装を軽装へと変えた。パワードスーツがTSSを経由しないと脱げないと言うのは不便だが、これを着ないと俺の身体能力は普通か、それ以下になるだろう。
ヘッドゴーグルを一番小さいBluetoothイヤホンタイプへ変える。これを着けるとゴーグルがなくなるので、視認できる情報量が減り、リアルタイムにメイン兵装の弾薬数や、マップ情報が見れなくな――
「あれ……?」
ゴーグルがないのに、俺の視界にマップが浮いている……。VMBのゲーム内でも、ゴーグルなしの衣装は一種の縛りプレイと呼ばれ、自主的な機能制限にこだわりを持つ一部のプレイヤーや、非戦闘エリアでしか着けられる事はなかった。
VMBの仕様的にも、ゴーグルやそれに準ずるメガネやレンズを通さなければ、UI情報はTSSで見るしか方法がなかったのだが……。
これは……以前から気付いていたが、ゴーグルのモード、ノーマル、ナイトビジョン、赤外線サーモグラフィーを手動で切り替えることなく、意識するだけで切り替えられるようになっていた。VMBのシステムの一部が俺の体に同化し始めている、そう考えていたのだが、どうやらこのゴーグル無しでもマップ情報が見えるのも、その同化現象が進んだ結果なのだろうか。
「さらに化け物になるか――」
この世界に落ちたばかりの頃と比べれば、自分の体に対する嫌悪感はなくなっている。しかし、こうも非人間的な体を実感させられれば、一度は治まった感情も、またぶり返してくるものだ。
もしやと思い、パワードスーツを脱ぎ軽く動いてみたが、素の体ではパワードスーツによるアシストの力は体現できないようだ。これがこの先ずっと出来ないのか、それとも今は出来ないのか、それは分からないが……。
「あなた、下着姿で何やってるの?」
不意に掛けられた言葉に、全身が震えた。視界に浮かぶマップを見ると、部屋の入り口に光点が浮かんでいた。恐る恐る振り返れば、立っているのは同室のシャルさんだ……。
「ね、寝る前の軽いう、運動かな?」
「そう……でも、そういうのは一人部屋のときにしなさいよね」
「そうだね……君も昼寝するのかい?」
「しないわよ! わたしは部屋の場所と内装を確認しにきただけよ! 私は町で買い物してくるから、鍵閉めておきなさいよ」
シャルさんはそう言って廊下へと消えていった。
「――寝よ」
彼女の助言通りに扉に鍵を閉め、小さなナイトテーブルを間に挟んで並ぶツインベッドに横になり、夕食の時間まで久しぶりのベッドで睡眠を摂った。
◆◆◇◆◆◇◆◆
空腹を感じ目が覚めた。時刻を確認すると二十時前か、宿泊用の部屋は二階にあるのだが、床の下――、一階の酒場から賑わう声が聞こえてくる。
時間もいい頃だろう、パワードスーツを設定し、外に出れる服装に着替えて酒場へと降りていった。
酒場には丸テーブルが幾つもあり、殆どの席が一日の仕事を終えた労働者風の男達で埋まっていた。空いてる席を探すと、丸テーブルに一人だけ座っている席があった。
座っているのは赤毛の少女、シャルさんだ。他に空いている席もないし、ご一緒させてもらおう。
「シャルさん、ご一緒させていただいてもよろしいですか?」
シャルさんはまだ食事を始めていないようで、果実酒か麦酒か、コップに注がれた飲み物を飲んでいた。コップを口につけた状態で、視線を右へ左へ――
「他に空いている席もないようだし、いいわよ」
シャルさんの向かいに座り、酒場内を動き回っている給仕のお姉さんに夕食を頼む。飲み物は水かお酒の二択だった。飲酒をして銃器を撃つ事をしたくないので、普段はアルコールの類を一切飲まないのだが、酒場に来てまで飲まないと徹底するのもつまらない。
麦酒を注文し、シャルさんも追加がないかを聞いたりしながら、食事がくるのを待つ事にした。
席に座り、食事が来るのを待つのはいいんだが……。シャルさんとの間に会話がない。いや、別に楽しくお喋りしようと思っていたわけではないが、シャルさんはコップを口に当てたまま何も喋らず、じーっとこちらを見ているだけだ。
「なにか……?」
「なにも……」
そしてまた周りの喧騒から隔絶されたような、沈黙の時間が続く。
「お客さ~ん、お待たせ致しました~」
給仕のお姉さんが両手に料理の載ったお盆を持ち、テキパキとテーブルに移していく。俺の目の前に麦酒も置かれて準備完了だ。
「ありがとう~」
「あら、お兄さん。こんな事でお礼を言ってくれるなんて、気の利いたお人やね」
「そうかい? ならこれで麦酒の小樽を頼むよ、久しぶりに少し飲みたい気分なんだ。釣りはポケットに入れていいよ」
俺は給仕のお姉さんに銀貨を二枚差し出した。
「ほんとに~! お兄さんありがと~」
給仕のお姉さんが席に座る俺の首に手を回し、軽く抱きついてから「すぐに持って来るわ~」と奥へ消えていった。
さぁ、夕食を頂こう。バケットに入れられた黒パンに野菜スープと、こんがり焼けた鳥系の大きな骨付きもも肉! 香辛料が振られているのか、お腹を刺激する香りがテーブルいっぱいに漂って――
グゥ~~~
っとお腹が鳴り――
「ん?」
視線を料理から音の鳴った方へ向けると、シャルさんがまだコップを口につけて固まっている。コップの上から見える目元は真っ赤になっていた。
「シャルさん?」
「なによ」
少しくぐもった返答が聞こえてくる。
「そのコップ、空ですね?」
「だったら何よ」
全く、そんな事だろうと思ったよ……。
「お兄さんお待たせ~」
給仕のお姉さんが小樽とスタンドを持って戻ってきた。テーブルの一角にスタンドを置き、その上に小樽を寝かせて準備完了だ。小樽の上部には栓代わりの注ぎ口とコックが付いている。
「ありがとう~」
「ゆっくり食事とお酒を楽しんでいってね~」
次の注文でもあるのだろう、小さく手を振りながらお姉さんはまた奥へ消えていった。
「思ったより大きな小樽できたなー、これは一人では飲めそうもないなー、そうだシャルさん、一緒に飲みませんか? なんなら、この夕食代も私が持ちましょう。あなたがまだ、夕食を終えていなければ、ですが」
あからさまな棒読みから声を掛けた訳だが、シャルさんはコップを口につけたまま目を細め、こちらの真意を窺っているようだ。
「わたしを酔わせて、どうにかしようと思ってるわけ?」
「まさか」
「わたしはCランク冒険者よ」
「私はDランク冒険者です」
「たとえ酔っても、襲ってきたらキッチリ殺すわよ」
「あなたを襲うくらいなら、先ほどのお姉さんを口説きにいきます」
「わたしに魅力がないと?」
「私は少女に興味はありません」
「……熟女好き?」
「何故同年代を飛ばしますか?」
「本当に襲わない?」
「襲いません。夕食、要らないのですか?」
グゥ~~~
返答はシャルさんの口ではなく、再び鳴った腹の虫がしてくれた。
「おねぇさ~ん、ここにもう一人分夕食を頼むわ! 大盛りよ!!」
「は~い」
勢いよく立ち上がり、空のコップを振り回しながら注文を叫ぶシャルさんを見ながら、久しぶりの麦酒に息を吐き、こんがり焼けたもも肉に齧り付いた。
小樽の大きさは二リッターから三リッターくらいだろうか、コップの大きさがそれほど大きくもないため、二杯、三杯と注いでもなくなる様子がない。
出された料理も美味しいお陰で、酒が進む進む。それはシャルさんも同じようで、メニューが同じだった夕食の鳥のもも肉に齧り付きながら、麦酒を勢いよく飲んでいく。
「ぷっはぁー! あなた、ちょっとお行儀ぶった若貴族みたいな男と思っていたけど、中々気が利くわね! あ、麦酒ついで」
「はいはい――はい、どうぞ」
「あなた、名前なんていったっけ?」
「シュバルツです」
「あぁ、そう言えばそんな名前だったわね。Dランクということは、迷宮に行けるようになったばかりね。今まではどこにいたの?」
「城塞都市バルガを拠点にしていました」
「バルガ? さっき外で聞いたわ、バルガの牙狼の迷宮が討伐されたそうね。これから収穫祭があるって言うのに、そこで稼がないで出てきたの?」
「ええ、向かいたい場所がありましてね」
「シャルさんはここからどこへ? バルガに向かうのですか?」
「わたし? わたしは逆よ逆。王都の北からアマールに行く途中よ」
「え? 私もアマールが目的地ですよ」
「へぇ~~――ん」
差し出された空のコップを受け取り、麦酒を注いで返す。
「どうぞ」
「ありがと」
なんだ、礼とか言えるのかこの少女は。
「目的地が一緒か~、そうかそうか、よし! なら、わたしがシュバルツを護衛してあげよう! もちろん有料だぞ! Dランク冒険者のシュバルツには山越えはきついだろう。山一つ向こうには魔鉱石の鉱山があるから、たまに亜人種が寄り付くんだ。だが大丈夫! Cランク冒険者のわたしが護衛してあげれば、もう何も心配はないぞ~!」
「え? 必要ありませんよ」
「いやいやいや、自分の力を過信しているのだろうが、それは新人冒険者にはよくある事なんだ! ちょっと上手く戦闘を切り抜けられたからといって、変に自信を持ってしまうんだ。自分がどれ程の死地を潜って生き残ったのかを知らずにな!」
「はぁ」
「だがもう安心だ、わたしが冒険者としての心構えや知識を教えてあげよう。もちろん有料だぞ!」
その後はもう何を言っても無駄だった。いつのまにか護衛契約が結ばれ、麓の町から海洋都市アマールまでの護衛、そして冒険者としての野外講習、獲物の捌き方などのサバイバル訓練などを教えてもらうことになり、俺としては一日でも早くアマールまで行きたいのだが……、「それは私も同じだ! 最速で向かうぞ!」などと返されれば言う言葉が無かった。




