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牙狼の迷宮の大魔力石を手に入れた直後、この世界に落ちてから使用不可能になっていたVMBのメール機能が、緑鬼の迷宮討伐後同様に復帰し、俺が迷宮の主に堕ちる事を阻止した何者かからのメールが再び届いた。
メールに添付されていた「魔力の認識票」というアバターアクセサリー、これを着けていれば、「魔抜け」である俺にも転送魔法陣が使えるのだという。それを確かめるために、地下二十五階の門番部屋に戻ってきていた。
門番部屋中央部分の床にそれはあった。転送魔法陣は半径2m程の円陣、何重にも刻まれた文様と象形文字のような記号の羅列。よく見ると、あのメールに打たれていた文字に似ている。どれだけそれに視線を合わせても自動翻訳機能は作動しなかった。
文字と認識されていないのか、魔力を持つ文字の為、読み取れないのか。
転送魔法陣の中央に立ち、右足の太もも部分に着けているレッグシースからコンバットナイフを抜く。さっそく血を垂らして生体情報を登録しようと思ったが……。
もしもこのまま生体情報を登録すると、すぐさま地上へ転送されるのだろうか?
牙狼の迷宮の慟哭は、外の警備兵達も聞いたはずだ。迷宮から脱出した時に、一体どこへ出るのか知らないが――管理棟の内部か? それとも単純に外へ出れるのか?
まさか使えるようになるとは思わなかったので、その辺の事を一切調べていない。
念のため、TSSを起動し、アバターカスタマイズを選択し、アバター衣装をシュバルツからシャフトへと変更した。
インベントリからメイン兵装も選択し直し、黒い補給BOXを召喚して換装を行なう。ついでに特殊手榴弾などもしっかりと補給しておこう。
特殊電磁警棒とウェルロッドver.VMBを両側の腰に挿す。続いて、今回はAS_VALを選択してスリングを肩に通し、背中へとAS_VALを隠す。その上からドイツ陸軍仕様のオーバーコートを着て、内側にスミス&ウェッソン E&E トマホークを四本隠す。
予備マガジンも用意して、これで準備完了だ。大魔力石の入った荷袋を背負い、黒服の内ポケットからナイフを取り出し、軽く指を傷つける。
転送魔法陣へ一滴、二滴と血が垂れていく。
胸元が温かい、魔力の認識票が熱を発しているのだろうか。転送魔法陣の文様も、ぼんやりと光っている気がする。俺が垂らした血が転送魔法陣に染み渡るように溶け込み、陣全体へと広がっていく。床に刻まれていただけの転送魔法陣が血の赤一色に染まり、そして沈み込むように赤色は消えていった。
これで生体情報は登録できたのだろうか? とりあえず、血を垂らしてからの一連の反応は、魔力の認識票を持っていなかった時とは歴然の差だ。
しかし、何も起こらなかった。
「どうやって使うんだ……?」
転送魔法陣の簡単な仕様しか調べていなかったから、実際の手順がわからない。
魔力を込めるのか? どうやって! 魔言を唱えるのか? 知らねぇよ!
「どうするんだよこれ……脱出! 作動! 転移!」
適当に叫んだ最後の言葉に反応したのか、転送魔法陣の文様の一部分が白く光り、それが時計回りに高速で文様の上を走り出した。光が走り、一周、二周、と回転していき、気付けば光のカーテンへと変わる。視界が光のカーテンに遮られたと思った次の瞬間には、目の前に見えているのは自然界の林だった。
「出てきたぞー! こっちだぁー!」
突然の風景の変化に固まっていると、後方から男の叫び声が聞こえた。振り返ると、多数の警備兵や管理員達と牙狼の迷宮の入り口が見える。どうやら俺は、入り口の少し手前に転移してきたようだ。
「おぉーい! シャフト! シャフトさんですよね!?」
「迷宮を討伐できたのですか!」
入り口の手前に転移してきた俺に気付いたようで、皆こちらへ走ってきながら声を上げている。
俺の名を呼んでいるのは、数日前に管理棟で迷宮の探索計画書を渡した管理員だ。
「討伐したのか?!」
「あの雨を越えたのか!!」
「大魔力石は?!」
俺の前で止まるのかと思いきや、一気に包囲されての質問攻めだ。
「迷宮は討伐した。慟哭が聞こえただろう?」
俺の返答に、周囲を囲む警備兵や管理員たちが叫び声を上げた。その声に込められたのは驚愕か、歓喜か、興奮か。
次々に投げかけられる賞賛の声に少し戸惑いながらも、警備員が管理棟へお願いしますと連呼しているので、まずはそちらへ向かう事にした。
警備兵達も管理棟へと駆け込む。かと思えば、二頭の馬が管理棟から城塞都市バルガへ向けて走り出していった。
迷宮管理棟では引き続き質問攻めだった。地下二十一階以降の踏破方法、現出魔獣・亜人種の情報提供、地下二十五階の門番の情報、迷宮の主の情報、大魔力石の扱いについてなど。
勿論、丁寧に全て答える必要も義務もないのだが、答えられる範囲で答えておいた。
迷宮の管理棟から解放されたのは、実に三時間後……途中からは牙狼の迷宮管理棟の所長だと言う管理職も現れ、簡単な軽食を一緒に摂りながら、これから行なわれる事になる、収穫祭の式典参加要請や、大魔力石の買取交渉、バルガ領の領主、バルガ公爵への報告登城の要請など、管理員とは別の話をした訳だが、こちらはほぼ全てを断った。
俺はこの後、アシュリーを追ってクルトメルガ王国の南部へ旅立ちたい。収穫祭の終わりまで付き合うつもりはないのだ。それに傭兵ギルドの一員である俺が、わざわざ追加報酬に迷宮探索者の資格を欲したのだ、バルガ公爵も俺が迷宮にアタックを仕掛けることは、ある程度予想はしただろう。「迷宮を討伐してきました」と、登城して引きとめられたくもない。
大魔力石はマリーダ商会のマルタさんに見せびらかしたいので、今ここでの売却は行なわない。適当に理由をでっち上げながら並べ立て、急ぎの旅に出ると言って管理棟を出た。
もうすぐ日が暮れる、少し急いで帰れば閉門までに間に合うだろうか?
緩やかな死の始まった牙狼の迷宮を背に、東の森の林道を歩いていく。胸に思うのは一つの達成感。そしてあのウェアウルフへの、迷宮の主に対する疑問。今後、他の迷宮の最下層へ到達した時、きっとまた何かが起こるのだろう。そんな予感を胸に抱きながら、林道を足早に移動していく。
何かが来る。
俺の集音センサーに、こちらへと駆けてくる一頭の馬蹄音が聞こえる。しかし、その音はやけに重い、速さ重視の伝令の類ではない、なにか――重装備をしているような、そんな重量感を感じさせる音だ。
足を止め、周囲を警戒する。まだヘッドゴーグルのマップには光点として表示されていない。しかし、森の切れ目にその姿が見える。
黒騎士……西方バルガ騎士団ではない……もっと禍々しい何かだ。
向こうも俺に気付いたようだ、馬の速度が上がる。黒騎士の駆る黒馬もまた、馬鎧を着込んだ完全武装だ。駆ける黒馬の上で、黒騎士の手が何かを弄っている。次の瞬間、黒騎士の挙げた両手に出現したのは、巨大な漆黒の槍斧。
黒馬の速度が更に上がる、これは――スキルか! 不自然なほどの加速と速度を持って、人馬一体のランスチャージが迫ってくる。




