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牙狼の迷宮最下層、迷宮の主のウェアウルフを斃し、残すは玉座の奥にあるであろう、大魔力石を手に入れるだけである。それにより、牙狼の迷宮の緩やかな死が始まる。
しかし、迷宮の主を斃し一旦落ち着いたところで、どうしても考えなければならない事がある。迷宮の床から湧き出る黒い靄に包まれ、ゆっくりと沈んでいくウェアウルフを見ながら、その下半身に穿くジーパンに目がいく。
この世界に落ちて、ジーパンに類似したズボンは見たことはない。勿論それは亜人種も含めてだ。何故それが気になるのか? あのウェアウルフが俺同様に、何者かによってこの世界に落とされ、迷宮の主に据えられた存在かもしれないからだ。
迷宮の床へと完全に沈み、残ったのは一際大きい魔石のみ、それを拾い上げポーチへとしまう。
魔石が残ると言う事は、やはり人ではなく迷宮生まれの亜人種で間違いはないのだろう。玉座を越え、奥へと続く扉へと向かう。
扉には鍵の類は見当たらず、押せば開く普通の扉だった。これはもしや、迷宮の主を無視して、大魔力石だけを狙うという行動も出来なくはない、そう言う事だろうか。
扉の先は、玉座の間とでも言うべき先ほどの部屋へ続く地下道と同じだった。唯一違うとすれば、壁掛け燭台がいくつも並び、照明代わりの火の玉がそこに浮いている事だろうか。
ヘッドゴーグルのマップを見ると、この地下道の左右に二つずつ部屋が並び、一番奥に小部屋がある。一番奥は大魔力石があるのだろう、では左右の四部屋はなんだ?
マップを見ながら部屋に繋がる入り口の前に立つが、そこに出入り口らしきものはない。玉座の間から続く石壁だけだ。
何か隠しスイッチでもあるのだろうか? 石壁を叩いてみたり、組み上げられている石造レンガが抜き取れたりしないかと探ってみるが、何もない。
「破壊……するか」
TSSを起動し、インベントリから特殊装備のC4爆弾を取り出す。召喚された黒い補給BOXから爆薬を四つ取り出し、地下道の左右にある四つの部屋の出入り口部分へと貼り付けていく。地下道を少し戻り、起爆装置のレバーを握りこむ。
四つの爆音が連続で鳴り響き、地下道に土埃が舞った。ガラガラと石壁が崩れるような音も聞こえているので、どうやら上手く爆破できたようだ。
手前の部屋から順々に確認していくと、やはりこの四部屋は居住スペースだったようだ。ダイニング、トイレ付きユニットバス、リビング、寝室といった四つの部屋があり、どの部屋も凄く荒れていた。
ダイニングには、冷蔵庫のような家具やシステムキッチンのような家具が置かれているが、どれも激しく損傷している。トイレ付きユニットバスも、湯槽が破壊され、姿見と思われる大きな鏡が粉々に砕かれていた。
リビング、寝室も同様に家具が破壊され、とても住める状態にはなかった。この四つの部屋から見て取れるのは――絶望だ。
迷宮の主とは、一体何なのだろうか? これではまるで囚人だ。迷宮を存続させるために必ずしも必要ではない事は、緑鬼の迷宮が主がいなくても活動していた事で明らかだ。
なのに何故、この最下層に居住空間を作り閉じ込めるのか?
しかし、俺がどう考えようとも、答えが出ることはないだろう。とりあえず、一番奥の部屋に向かい、大魔力石を手に入れることにする。
最奥の部屋は、居住スペースの部屋よりも狭く、そこにあるのは一つのオブジェクトのみ。
大魔力石は、床と天井から伸びる木の根、もしくは触手にも見える黒く禍々しい何かに挟まれ、極彩色の光を放ちながら中空に浮かんでいた。
上下から挟み込む禍々しい触手が、光を吸っているのだろうか? その触手の先をよく見ると、闇色の渦のようなものがあり、極彩色の光を吸い込んでいた。
少し気味が悪いので、触手には触れないように気をつけながら、中空に浮かぶラグビーボールほどの大きさの、マーキースカットにされている大魔力石を掴む。
触れた瞬間、極彩色の光は更に輝きを増し、そのあまりの眩しさはヘッドゴーグルの遮光機能が作動するほどだった。そして、次第に輝きが収まっていき、最初に見た時と同様の輝きへと戻っていた。
ゆっくりと大魔力石を手元に引き、台座から取り外していく。触手の先に浮かぶ闇色の渦に、輝く光が引っかかるような感触を感じたが、それを振り切るように手元へと引きこむと、牙狼の迷宮全体が震えるように震動し、どこからともなく、慟哭が聞こえてくる。
まるで真横にいるような、または物凄く遠くにいるような、そんな慟哭と震動が治まると、迷宮に流れる雰囲気が少し変わったような気がした。目の前に伸びる禍々しい触手の先の闇色の渦は消え去り、ただの黒い木の根に見える。
どうやら、緩やかな迷宮の死が始まったようだ。
ピコーン♪
最奥の小部屋から外に出ようと振り返った瞬間、全身が粟立ち、足の爪先から頭の毛先まで走る電撃を感じた。
ヘッドゴーグルのUIに映るメールの受信アイコン。震える右手でTSSからメールの受信BOXを開いた。
また読めない文字だ……。エラーを吐くことなく表示された受信BOXの一番上にあるのは、新着マークのつく未読のメール。その件名は象形文字のような羅列――その件名を見つめていると、自動翻訳機能が作動し訳文が浮かび上がる。
件名:をかし 差出人:ERROR
震える指で受信メールをタッチし、中を開く……。
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異なる世界より落とされし迷ひ子よ、我は《ERROR》
我はそなるたに言ひき。此の世界にて好ましく生けと
我はそなるた見たりき。そなるたの生く道は迷宮滅する事や?
迷宮に囚わられし負の湧泉解放する事や?
其れならば、我力貸してやらむ
魔力持たず異なる世界の者よ、我の送る道具使へどいひ
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自動翻訳機能が再び古文で翻訳をしてくれた……。これは、一体何を言っているのだろうか? 翻訳できない差出主は、俺を見ているらしい。緑鬼の迷宮が討伐された後、俺の下に届いたメールには、この世界で好きに生きろと書いてあった。
だから俺は、この世界で生きる目標の一つに迷宮の討伐を掲げた。俺をこの世界に落とした何者かに、少しでも反抗したかったのだ。
しかし、負の湧泉とは何だ? それを解放? いや――気付かないフリなど必要ないだろう、これは迷宮の主を指していると見て間違いない。迷宮との繋がりは今一よく判らないが、主を――斃す事に意味があるのだろう。
「救えないのか? 迷宮の主は救えないのか!」
誰もいない小部屋で声を上げる。見ているのだろう? 聞いているのだろう? しかし、新たなメールが受信される事はなかった。救う道はない、そう言う事か。
俺は正義の味方ではない、勇者でもない、英雄でもない。今はただ、一人の探索者。しかし、迷宮を討伐するついでだ、俺の手が届く場所ならば……迷宮の主の解放、覚えておこう。
受信メールにはギフトBOXが添付されていた、どうやら俺に何かをくれるようだ。ギフトBOXを受領し、インベントリからそれを召喚する。
目の前に出現する光の粒子が、大きな箱の形に収束し、ピンク色の包装紙に包まれたような派手なBOXが出現した。
サイドにある開閉ボタンを押し、上部の蓋がゆっくりと開いていく。蓋の裏側に付いている目録を表示するモニターには、中に入っているのは「魔力の認識票」と書かれていた。
ギフトBOXに手を入れ、その認識票を取り出す。魔力の認識票はチェーンに繋がれた二枚の楕円形のプレートだった。
これは……前の世界の各国の軍隊が、兵士の個人識別用に使っていたIDプレートか。ドッグタグなどとも揶揄される、VMBでも幾つかあるアバターアクセサリーだ。
プレートには、俺の「シュバルツ・パウダー」という姓名、VMBという所属地域、「P0wDer」という所属していたFPSチーム名、たぶんVMBのIDナンバーだと思われる数字の羅列が刻印されていた。
しかし、何故わざわざこれを送ってきたのだろうか? TSSからアバターカスタマイズを選択し、アクセサリーの一覧に「魔力の認識票」があるのを確認する。
アクセサリーの説明欄を表示させて、そこへ目をやると――。
「魔力の認識票」
魔力を持たない者も、転送魔法陣に生体情報を登録し利用できるようになる。
ただし、認識票を装備していなければ利用できない。
「なっ……」
それ以上は言葉にならなかった。転送魔法陣が使用できないことは、迷宮探索をする上で非常に不利な状態だった。しかし、これがあれば迷宮からの脱出が楽になるし、迷宮の管理棟内にあるという各層への模写魔法陣を使って、一気に転送魔法陣がある階層まで飛べるようになる。
死を迎えた迷宮から持ち出した転送魔法陣では、魔力の供給量関係で本物から模写への一方通行だが、生きた迷宮が吐き出す魔素と迷宮の内包する魔力により、迷宮のすぐ外くらいならば、模写魔法陣でも双方向から飛ぶ事が可能なのだ。
アバターカスタマイズで「魔力の認識票」を首に装備選択すると、手に持っていた認識票が光の粒子へと変わり、すぐに首元に現れた粒子が結束し、認識票を形作っていく。
ありがたい、俺はメールの差出主に感謝しつつ、足早に上の階、転送魔法陣のある地下二十五階を目指した。
使用兵装
C4爆弾
米軍を初め、世界中の軍隊で使用されているプラスチック爆薬、衝撃や火に触れても爆発することがなく、起爆装置がないと爆発しない爆薬。VMBのC4は、爆薬と遠隔操作の起爆装置のセットで、爆薬の数は任意で増やすことができる。起爆装置のレバーを握れば、それが一斉に起爆する。




