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フェドロフ侯爵邸を爆破、炎上させ、消火活動に来た王都警備隊によって、フェドロフ侯爵及びその家族や邸宅の使用人達が連れられていく。その様子を確認し、俺もバルガ侯爵邸へと戻る事にした。
バルガ公爵邸からここへ来るときは、途中までは馬車に乗って移動してきたが、帰還の際は自分の足だけで帰ることになる。王都に再び鳴り響いた轟音と爆炎に、フェドロフ侯爵邸の周辺は騒がしくなっていた。
日が落ち、僅かな街灯だけが照らされる通りを走り抜ける。人目を避けるために、家屋の壁をウォールランで駆け上がり、屋根伝いに走り、飛び、バルガ公爵邸へと戻った。
公爵邸に戻ると、すでにラピティリカ様とアシュリーは邸宅に戻ってきていた。バルガ公爵は帰宅後に再び邸宅を出たようだ。ヴィーから物証を受け取り、フェドロフ侯爵邸破壊の準備が進んでいる事を聞いたのだろう。
今頃は詰め所でフェドロフ侯爵と対峙しているのだろうか。まぁ、今回の依頼の〆はバルガ公爵に任せ、俺はラピティリカ様の護衛に戻らせてもらおう。
家宰のフォルカーさんに邸宅の現状を確認すると、ラピティリカ様はすでに私室で休まれているとのこと、アシュリーは待機室にいるのだろう。今回の護衛依頼の後、俺の後を引継いでラピティリカ様の専属護衛となる、西方バルガ騎士団から出向してきている青年騎士は、別部屋で待機しているらしい。
待機室に戻ってくるとアシュリーがリビングルームのソファーに座り、手紙か何かを読んでいた。
「おかえりなさい、シャフト」
「ただいま、アシュリー。舞踏会は問題なかったか?」
「ええ、王城で開かれるだけあって、フェドロフ侯爵も無理は出来なかったようよ。王城でラリィと一緒に挨拶したときの彼の顔は見物だったわ」
「侯爵の目の前で邸宅を炎上させた時も凄かったぞ」
「王城では”黒面のシャフト”の人気も凄かったわ。バルガから来てくれた騎士の彼が、タジタジになってご婦人方の質問攻めを交わしていたわ」
ご婦人方かよ! 令嬢達ではないのか……
「彼には明日、礼を言っておこう」
なんとなく、会話がそこで途切れた。アシュリーの表情がどうも優れない、原因はやはり手に持つ手紙だろうか。
俺はアシュリーに向かい合う形でソファーに座った。さて、俺から聞いていくか、それとも彼女が言い出すのを待つか。
静かな時が流れる。思えば、この護衛依頼を通してアシュリーと共に過ごすのも、あと少しの間だけだ。数日後には、城塞都市バルガへの帰路につく事になるだろう。俺はそこで護衛終了となり、その後の予定は延ばし延ばしになっていた、牙狼の迷宮の攻略を目指すつもりだ。
アシュリーはバルガに戻ったらどうするのだろう? 総合ギルドのギルド調査員としての仕事に戻るのだろうか。
「アシュリーは、この護衛依頼の後は総合ギルドに戻るのか?」
「え? …………戻らないわ。総合ギルドは、脱退するつもりですから」
「脱退? それはギルド調査員を辞めるってことか?」
「ええ……ねぇシャフト、私の家のことは誰かから聞いた?」
「あぁ、簡単にだがな」
「そう……舞踏会で王城に久しぶりに上がったけど、私が来ている事を知っていたみたいでね。宗主様からお手紙を頂いたの」
そう言いながら、アシュリーは手に持つ便箋をひらひらと振っていた。宗主様というのは、ゼパーネル家の生ける初代当主、クルトメルガ王国の永世名誉宰相であるゼパーネル氏のことだろう。
「その手紙と、ギルドを辞めることが関係してるのか?」
「そういうことね。この依頼が完了してすぐ、とはいかないけれど、色々と整理をしたら本家のある南部へ向かうわ。そこで次期当主候補として、一つ仕事をしなければならないの」
南部……南部? 何かどこかでその辺の話を聞いたような。
「海賊……か」
その一言に、手紙をひらひらさせるアシュリーの手が止まった。いや、正確には止まってなどいなかった。アシュリーがしきりに手紙を振っていたのは、その手の震えを誤魔化す為だったのだろう。
「知っていたの?」
「いや、何時だったか、どこかの晩餐会で誰かが話しているのを聞いただけだ。南の海賊が勢いを増している、とな」
「そう……それのね、討伐をしろってね」
「クルトメルガ王国には海軍……海上で戦える騎士団はいないのか?」
「全くいないわけではないわ。でも、クルトメルガ海洋騎士団は、ゼパーネル家の本家がある港町よりも、もっと東部の海岸線にある港町に本拠を構えているの。南部の海賊の討伐は、ゼパーネル家が先導して行なっていたのだけど、4年前の海戦で双方に大きな被害を出して、結果的に海賊行為は減ったわ。だけど、こちらの海洋戦力はまだ回復していないはず、厳しい戦いになるわ」
「そうか……ならば、俺も同行しよう」
「え?! まってシャフト、私はそんなつもりで話した訳ではないわ」
「同行しては迷惑か? 俺は俺の意思でついて行きたいんだ、君が気にする必要はない。久しぶりに海も見たいしな。それに、俺としても今後、城塞都市バルガには居づらくなるだろうからな」
「迷惑では――それに、居づらくなるって、どうして?」
「この依頼が終了し次第、俺は牙狼の迷宮に入り、地下二十五階の門番と迷宮の主を討伐する」
俺の迷宮討伐宣言に、アシュリーは手紙を落としソファーから身を乗り出した。
「二十五階って、あの魔水の雨を越えられるの?」
「問題ない、問題があるとすれば門番と迷宮の主を討伐できるのか、だが。しかし、次の目標が出来た今、負けることはない」
牙狼の迷宮を討伐した場合、そこでシュバルツの戦闘能力を隠す事が不可能になる。これを回避できないかとずっと考えていたが、人気のない迷宮で、しかも探索開始時に記録を取られている。それで迷宮が討伐されれば、関与は疑いようがなかった。
そうなれば、シュバルツは地図屋としての技能にプラスして、単独で迷宮を踏破する戦闘力を有している事になる。
ギルドやクランからの勧誘を避けるために、戦闘能力はシャフトと言う偽りの姿に任せて目を逸らそうとはしたが……シャフトで迷宮に入れればいいのだが、改めて冒険者登録をするのは……面倒臭い。
アシュリーは、何と答えていいのか分からないと言った表情だ。だが、返答など要らない。
「同行するからな」
「――うん」
◆◆◇◆◆◇◆◆
翌日、公爵の執務室で俺とアシュリー、それと引継ぎの青年騎士とで昨晩の結末を聞いていた。
「シャフト君、昨晩はご苦労だったね。派手にやってくれたお陰で、フェドロフ卿の心を折る手間が省けたよ」
「恐縮です。邸宅で見つけた暗号文書はどうでしたか」
「あれは闇ギルドとの契約書の写しだったよ。契約によれば、暗殺依頼の期限は一昨日まででね、闇ギルドが大人しく引き下がれば、これで一応の危険は去った事になるだろう」
「他の魔導貴族の方々については?」
「それも昨夜で終わったよ、これで今後の憂いがなくなり、あとは王家がどう判断するかだね」
残るは闇ギルド”覇王樹”がどう動くかだな。依頼が失敗した場合、ペナルティーとして実行クランを粛清すると依頼書には書かれていたが、すでにそのクラン”槐”は俺がほぼ壊滅させた。
もしかしたら、残党狩りをして体裁を保つのかもしれないが、できれば意地になって暗殺を実行などとはならないで欲しいところだ。
「では、残るは城塞都市バルガへの帰路だけとなりますか」
「そうだね、出発は明後日の予定だよ。最後の行程まで気を抜かずに頼むよ」
「はっ、肝に銘じておきます」
思ったより長く感じたこの護衛依頼も、もうすぐ終わる。ふと気になり、ケブラーマスクのレンズをFLIR(赤外線サーモグラフィー)モードにしてみた……。
部屋の隅にでもいるのだろうと思っていたバルガ公爵の護衛ヴィーは、まさにバルガ公爵の真後ろに立っていた……この女、ちょっと怖い。




