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想いと彼

天気予報で晴れ模様だった空が現場に向かうほど暗い色をしている。


 現場に向かう地下鉄の駅内、先日用意した革靴の音で響いていく。共に買った鞄が、街の匂いを吸いながら大人っぽくなる。今日の仕事のために揃えた身体にあったスーツが、心もともに身を引き締めた。

地下鉄から降りる人たちはホームから階段を上ぼり駅内を人波となって押し寄せてくる。そんな人波を逆らうかのように仕事に向かう僕は、どんな風に映っているのだろうか。

前職の出来事や学歴や引きこもりを越えられているだろうか。

 心の中に残る悲惨な大震災がふと思い起こされる。なぜかって?それはニューアルバムのために笑顔で告知をする、人気アイドルのポスター。荒れ果てた部屋のなかで、にわかに差し込む光に手をかざす人気俳優の映画ポスター。支柱にひとりひとり印刷された、グループバンド。無数にライトで照らした商品のなかで、販売する店員。パーカーを中に着込んだ男子学生に、部活動の女の子。手をつないで寄り添う、カップル…を愛しい眼で見つめているから。微笑ましいようで、なんだか切ない…一願になって願った『生きていてほしい』は、まだ残っているのだろうかと思った。あの悲惨さがあって、始めて『あなたに生きていてほしい』と言語化されたんじゃないか?ってテレビや現実をみて思い知ったから。

だから僕がこうして仕事をしているけれど、誰かに求められているんだろうか?と感じたから。いや求められているから仕事の依頼を貰っているんだろうとも思いはした。それでも……と悲観的になった。そして口からなにかがが落ちた……



「…彼に、逢いたい。」


 気が付くと、口から溢れた。

なにかの言葉を求めるように、のどが痞えて苦しくなって目が虚ろになった。改めて言葉の不本意さに驚き、鞄を抱えてホームへ向かう。

駆け込むように改札口をくぐり抜け、階段をいちもくさんに降りて地団駄した。まだ電車には時間があった。唇を噛み締めたあと、電光掲示板に向かって話しかけた。


「どこまで行けますかっ?」


 電光掲示板には、保険勧誘の広告で男性が人差し指でにやりと笑っていた。もちろん答えるはずもなく、周りにいたお客さんは不審者のようにこちらを見つめた。そんな視線よりも自分の本心が恐怖として勝っていて、やっときた電車に乗り込み席へと座った。息を切らしながら座り込んだ席の隣、イヤフォンから音が漏れている女性がいた。よく聴くと、いま旬の等身大女性アーティストのヒット曲。サビが脳裏で流れ出る。


『ずっと… ずっと… ずっと傍にいたい

 もっと、 もっと、 もっと好きでいたい

 だけど だけど だけど キミでいて

 そんなままのキミが 大好きで』



「僕は、彼に…………」



いやいや、僕は別に!眼をつむり、目的の駅へと降り立つ。

 電車を降りると、下車しているバイト仲間がいた。バイト仲間だとわかった瞬間、本能なのか彼の姿を探し求めた。しかし居なかった。いや、それもそのはず、当たり前だ。意のままに現れるはずがない。




そうして設営作業を一度挟んでは、やっと僕はようやく心を落ち着かせることが出来た。


「逢いたい。けれど、それはそれ。」


現場の準備も搬入などで一段落したころ、現場担当とチーフの間で密な話し合いが行われていた。

なにも聞く耳を立てるはず無かったのだが、なにか良いことがないのかと耳を澄まして居たところ『スーツ着用』の文が連絡メールに含まれていなくて、取りに帰えらした人がいること知った。

少しどうでもいいと感じながらも、待機している人たちを観る限りこれから合流する予定のバイトは居ないと知った。そして残念なことに今回は彼が居ないことも知り、仕事へと完全集中することになりそうだ。いや、仕事!仕事!!


休憩はあけ、スーツに着替えてきた僕は今回担当の『電子モギリ』という名の仕事を教わる。それよりも『電子モギリ』とは、なんだろうか?紙チケットならば、会場名やアーティスト、日付など確認して通すことは出来るが…電子とは何なのか。まずその前に、一緒にモギリをするパートナーがいない。休みなのだろうか?別チーフが「人数が合うはずなんだけど……あれ?」と口にしながら、他の人で埋め合わせしくれて、僕はその人と挨拶をした。「よろしくです」「よろしくお願いします」僕と同じような背の高さで、同級生にいそうな感じな子で緊張が少し和らいだ。


だけど、今日は付いていないのかもしれない。会場から見えるガラス越しの空は雨が降りそうな雲行きで、スカッと気持ちは晴れない。それに、なぜかため息ばかりが増えて、控え室やステージまでも曇らせた。まるで、今回のリハーサルで眺めてしまったスモッグの中にいるようだ。




時間まで待機命令が出たあと、侵入口付近で今回のチーフの声が聴こえた。

 「あぁ、やっと帰ってきたかぁ~。」


 「スミマセン。」

その声に合わせて、たぶん帰ってきたと思われる男性の声が息切れと共に聴こえた。そうよく確かめれば、そこから聴こえたのは、スーツを取りに帰ったと思われる男性の姿と現場担当の人との会話だった。現場担当に人は時計を見ながら「まぁ、こちらの責任も一理あるとして給料の差し引きはないから。それよりも、疲れていると思うけどスーツに着替えてきて。」それに返事した男性は、クルッと後ろを振り向いて着替えに行った。

 ふと僕は思わず…身震いをした。こんな経験は、はじめてかもしれない。誰にも経験させられたことない、この窮屈な痛み。いや『痛み』じゃない、これは…、これはきっと『思い』!。



そう、スーツを取りに帰ったと男性とは…逢いたかった『彼』である――!

いろいろ生きていくには、自分の存在も確かでなきゃいけない。


けれど、

まずは彼の側にいてみたい!!

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