結晶
あの日から、給料からお金を使うのに躊躇し始めた。恋とは、怖いものである。
今回ので時給アップして、IDカードも更新された。登録したての自分の顔写真が、いかにも不慣れな社会に反発するような髪で…撮影し直して欲しいほどむっさい顔して見つめている。
今、僕は今回のツアーでファイナルを迎えるバンドの会場設営、いや…移動お願いメールが来て、ステハングループとして…おじさんと仲良くなった人達でアリーナ客席の中に座って支持待ちをしている。
そんな時にマナーモードをし忘れた携帯がなった。
「え…?イベンリー??なんで。」
それはバイト先の会社からの携帯からだった。驚いていると、おじさんが『良いからさっさと出てやれ。』と投げやりに告げてきた。僕は恐る恐る通話ボタンを押した。
「もしもし…福影くん?イベンリーの三上ですけど…今日、シフト入っているよね?集合時間過ぎてるけど、何処かな?」
いつもの女の人だ。今ちょうど、この人の指示の仕方が雑過ぎると不満を買われていたところだ。それより、何か不思議な事を聴いてきてる…一応成り行きで答えてみる事にした。
「え……、あ、あの…おはようございます。あの、来てますけど……」
「本番だよね?」
「い…いえ、ステハンに移動と連絡が来てアリーナ席に居ますけど…。」
何となく存在があやふやにされてる空気に包まれて、ただでさえ寒い会場が、余計に寒く感じた。そして…
「………。あ、あぁ!福影くん、ごめんなさい。手違いで、訂正前の観てました!」
「あぁ…、そうだったんですか。大丈夫です、わかりました。」
「失礼します。頑張ってください。」
「………はい。」
予想は予想以上に遥かに裏切ってしまえば、笑うことも出来るのに…埋め尽くすほどシフトを入れて顔を出しているのだから、思い出して欲しいものだ。そして、まず確認をチーフ人や会社の現場監督を通してから気付いて欲しかった。
特別なことが多い僕だ。
「若造、何だったんだ?」
暗そうな顔に、おじさんが尋ねてきた。
「あっ、あの…事務の手続きで本番と思って来てないから連絡したら…ステハンだったと…。僕だけ訂正前の用紙を見て、連絡してきちゃったみたいです。受付したのに…」
真剣な顔で答えると、デカい身体で見栄を張っているように鼻で笑って口にした。
「ふっ、若造…存在薄いんだな。若いんだから、もっとガツガツ働いてやって魅せてやれ。」
「働いてますよ…」
小さい声で、初めて突っ込んだが…話がそのまま続いた。
「そういえば…若造、名前なんて言うんだ?聴いてなかったな。」
「僕ですか?福影です、福影といいます。」
「そうか…、福影か。おし、わかった。今更だけどよ…お互い宜しくな。」
「ですね。」
名を名乗って良かったと思う。あとどれぐらい、おじさんに世話をやいてしまうのか判らないけど…気が楽になった気がする。
『僕のあだ名は…【I】でも良いけど、福影です。どうぞ、宜しく。』
寒い冬の中に照らしている、小さなスノーキャンドルのように思い出に残った一瞬だった。
「おい、福影。お前…、帰りバス無くて大変なんだろ。この中のメンバーを送るついでに、お前も乗せてやるから…良いだろ?」
おじさんはニコニコしながら、僕をみて返事を待った。
「良いんですか?でも、地下鉄だけでも帰れますよ。」
「良いから乗れ。狭いけどよ、その代わりに文句は言うなよ。」
「はい!」
いつか融けて、忘れてしまうかもしれない…この隠せない嬉しさを結晶と名付けたい。
ステハン、頑張りますから!




