彼というアーティスト
現場担当の人から、口伝えで言われた。
「明日、本番勤務だと思うんだけど…悪いんだけど、撤去のみで来てもらえるかな?」
「いいですよ。」と、単純には答えた僕だが…雨風に震えながら現場を目指していた。この頃最近、シフト日程のまで間…「行きたくないっ。」と連呼してる気がする。
春と違って、待ち遠しい何かが現場にあるわけじゃない。そこにあるのは、自分の今ある現状を歯を食いしばって寒い冬を越すしか残ってない。
試されているのかもしれない、人生を甘く観るなと怒鳴られているのかもしれない…だけど、僕がするべき事が他にも何かがある気がするんだ。
「若造、携帯ばかりいじってると壁にぶつかるぞっ!」
「はいっ?!」
おじさんの声に気付いたのと同時に、脚に勢いがついて壁に向かって額を思いっきりぶつけた。
「いっててて……」
「はははっ、携帯に夢中になっているからだ!それにしても、何そんな怖い顔してんだ?」
「いえ…、ただ…。」
「はぁ?」
おじさんに本当の事を言ってスッキリしたあとに言い触らされるのと、我慢して発散を親にぶつけたままにしてしまうのと…どちらが正しいのだろうか。慌てて話をすり替えた。
「い、いえ…、やっぱり交通費は痛いなぁ〜…なんて思いまして……は、はは。」
「まぁ、若いんだから…稼げ。」
「そうですよねぇ……、はは。」
笑ってごまかせたと思ったら、おじさんが眉間にシワを寄せて近付いてきた。
「あのよ、」
「はい……?」
「あのよ、先日…お前、お洒落してきたつもりか?誰を誘おうとしてるか知らんけどよ…お前には似合わねぇよ、香水なんて。てか、仕事場でするんじゃねぇよ…」
「いや……香水付けて来た事ありませんけど。それに……、ぼ…」
「俺はそんな気はねぇぞ!」
「いや、あの!ぼ…」
「ハイ!バイトくん、撤去に行くぞっー!!」
「ほら、若造!行くぞ!!」
「…………はい!」
話のやり取りで香水の匂いの原因は判った、先日の現場に向かうバスの中の混雑のせいで女性の香水の香りが服に移っただけ。現場担当の人の声掛けに邪魔されて、本当のこと言えなかったじゃないか。気を惹こうなんて、さらさらないのに…。
おじさんの後をついていこうと軍手を身に付けて、扉を開けた瞬間…誰かが横を通り過ぎながら囁いて前を走っていた。
「お疲れ様です。」
グレーのパーカーに青チェックのシャツを着て、そこに茶色いチノパンをはいた男の人がそこにいた。椅子のバラシで総勢で片付けてる中で、僕は一瞬で気付き、その人の元へと寄り立った。
「お疲れ様です。今日来ていたんですね。」
「はい。」
声をかけてくれたのは、久々の彼だった。だけど、何だか乗り気ではないような浮かない顔。お互いの椅子の音だけが元気がいい。
「あ…、あの、いつから来ていたんですか?僕は担当の人に言われて、撤去から…来たんですけどね。」
「本番からです。」
「本番から来ていたんですか!聴けましたか?」
「………、あっ、今呼ばれたので、行ってきます。」
彼はそう口にして、真面目そうな顔して走り去っていった。僕だけ、スタッフの声が聞えなかったのだろうか…なんだか、避けられているよな気がしてならなかった。
彼の姿はまるで、アーティスト。僕からみると、華やかなステージの上で踊ったり唄ったりして虜にさせる。彼がいないと満足しない、この憂うつ感。アリーナの座席から身を乗り出して、フェンスを超える事も出来ず…ただただステージ上にいる彼を見惚れてしまったり、応援をしている。
僕には無いと決めつけて手にした『バイト先の片想い』というプレミアムレアなチケット付きのライブバイト。盗撮を許さない、録音も禁止…心のなかで秘めておくしかない、ネタバレの許せない恋心。
誰か…僕を見つけてください。彼への想いを映像化してください。バイトを雇って、ステージを作ってください。
彼の想いを教えてください。
そんな想いが、会場の撤去とともに…心も流されている気がした。
「あと何時間ですね?」
の些細な僕の掛け声も、「はい…。」のみで。
「いま…何時ですか?」
の彼の声で、嬉しくなりながらも「あと…2時間ですよ。早いです。」とニコヤカにしていても。
ようやく休憩が入って、彼の元へ近寄り名前を訊いてみることにした。
「あの…今さらですが名前を訊いてもいいですか?シフト入れすぎてて間違ったら嫌だなって、あえて聴いてなかったんです。僕…福影タカヒロです。」
彼のいままでの不機嫌さはなかったが、なんだか冷たさが消えないでいた。
「あっ、福影さん…。名前は…前回教えてもらったんですよ。自分は、手塚…じゅん・・」
「福影さんっ、良いかな?!!」
「あぁ、はい…、はい、行きます。」
「どうぞ、行ってきてください。」
「あぁ、すみません、手塚…さん?!!また…」
チーフに呼ばれて、彼の名前を最後まで聴くことが出来なかった。そのあとの彼の顔は、スマホをいじり始めたせいか表情が暗くなった気がした。
撤去の分担で、僕と彼のチームは早く帰れることになり、彼のもとへ急いで走って想いを告げた。
「今日は…一緒に帰ってもいいですか?」




