自分の存在
「どうぞ。」
「わざわざ、ありがとうございます。」
彼が微笑みながら渡してくれたお弁当を快く受けとった。しかし観る限り、そのお弁当はハンバーグやから揚げ、エビフライといった茶色いものでカロリーが高く、胸焼けしないか心配になった。
休憩に必要な控え室というと、本番勤務の人や交代の時間の人たちで、意外とすんなり座れて僕と彼は足を広げてくつろいだ。
一息ついたあとで、彼は足を折り畳みあぐらにして割り箸を取り出してお弁当を食べ始めた。僕も一緒に食べ始めたのだがあまりにも食べるのが早い彼だったから「失礼ですか…、好き嫌いとか…ないんですか?」と尋ねてしまった。すると彼は箸を止めてゆっくりと答えた。
「好き嫌いは…ないですね…。でも、どちらかと言うと野菜より、こういうお弁当のほうが嬉しいです。」
「へぇー、好き嫌いないんですか。良いですね、僕も好き嫌いは無いんですよね。逆にまわりは食わず嫌いが多くて、合わないんですがね。ちなみに、どんなのが好きなんですか?」
今まで話して人の中で、食わず嫌いや好き嫌いの人しか出逢わなかった。だから、どんな物が好きかもわかれば気が合う時があるかもしれないと思い、ご飯より会話に専念してみた。彼は口元を指で触れながら、恐るおそる答えた。
「いや…あの…、変な奴って思われるのかも知れないんですけど…特に好きなのは無いんですが、今…パエリアが食べたい気分ですよ。」彼は真面目な目で、僕に訴えた。いや、まさか、彼からそんな食べ物が出てくるとは思わなかった。今まさに食べたい!と思ってはいないが嫌いではなく、むしろ好きな分類。僕の思考が追い付いて頷く前に、彼は続けて言葉を重ねる。「やっぱり、変ですよね……」そうつぶやいてはすかさず落ちた言葉を拾うかのようにご飯を口に入れて黙り込んでしまった。そんなつもりではなかった僕は、彼に愛想をつかさないように返事をした。「い、いや、変じゃないです!実は僕も同じコト考えていたので、驚いてしまって…。いやぁ~、美味しいですよね。ほら、友達に云うと、まず『パエリアって何?』って返ってくることが多くて…。いやぁ、そうなんですか~。なんか食べたくなってきました…」決して嘘ではなかった。だけど自分は嘘をついているかのような、言葉に命が入っていないんではないかと思うぐらい今の返事で口元が乾ききった。僕も気まずくなってご飯を食べだすときには
、彼の弁当箱は残りわずかになっていた。このままでは彼が居なくなると盲目になった僕は、さらに、とりあえずご飯の時はご飯の話と思い、彼に続けた。
「いや~、友達に『ご飯行こう!』って誘われるんですけど、食べたいものを訊かれた時に『鴨なん蕎麦が食べたい。』と答えるんです。だけど、嫌われるんです。だって家では食べれないですよね?だから外でこそ食べれるものが食べたいのに。まぁ、結局友達は僕に合わせて食べてくれるんですがね。」と苦笑いしながら伝えると、「それはそうですよね~」と相づちを打って答えてくれた。まるで実際にあったかのように話したけれど、彼は『外ででしか食べれないものが食べたい』という気持ち共感してくれたことに嬉しく思った。しかし僕が喋るほど彼に食べる時間を与えているようなもので、彼が座る床には空になったお弁当が鎮座されていた。
僕より早く食べ終わった彼は携帯をいじって、何かを待っている気がした。それをよそに食べていた僕はようやく食べ終わった頃に彼は右手を差し出して、「いいですよ、自分…片付けに行きますから。」とお弁当の空を手にして僕の遠慮をきかずに、お弁当の空を棄てに立ち上がった。そして戻るやいなや、「すみません、タバコ吸って来ます。」と左ズボンポケットの中からメンソールが一番軽いタバコを取り出し控え室から出て行こうとした。僕は慌てて立ち上がって彼の背中で「ありがとう!」と呟くと頭を下げて控え室を後にした。
僕は誰よりも特別何かがあるわけではない。
でも昔から担任の先生から任せ仕事を頼まれたり、同級生から目をつけられていた。今回の現場でもそうだ、真面目に仕事をしていても失敗してしまう。するとチーフから『お前はなぁっ!』と、ツアースタッフからも『何やっているんだ!黙っているだけで、お金を稼ごうとするな!』とか、現場仲間には『今日も居るんだ』と声が聴こえるほどにすぐ見つけられるし……。そのほかには単独でお願いされたり、チーフが僕のヘルメットからお弁当用としてガムテープを半分貰われようとしたり。ステハン(ステージハンド…本番のお手伝い)の担当ときには重要なカメラマンアシスタント任されたり…とにかく僕はそういう存在であることが多い。こう思い返してみると特別じゃないようで、微妙な立ち位置な気がする。
あぁ、彼に優しくされたくないわけでもない、恩返しされたいわけでもない…その優しさが怖くなるのだ。
お世辞だってわかっている。ろうそくがジリジリと燃え尽きるかのように、最期は火の灯が消える運命でも、風で火が消えるのか。水で火が消えるのか。空気中の影響で消えるのか。そもそものろうそくの運命として消えるのか…答えがわからない運命が怖い。「キライ」とも云われたくない。「スキ」とも聴きたくない。「ヤサシサ」だなんて切なすぎる。「フツウ」なんて心の置き場に困るだけ。僕はいったいどんな存在なんだろう。彼にとって僕は、どんな人間なんだろう。ステージで歌うアーティストの声が聴こえないほどに、僕は彷徨っている。
タバコを吸い終って帰ってきた彼の顔が、不自然にハッキリしていなかった。そうして一歩こちらに近づくほどにモヤらしきものが揺らいで、アーティストの演出上でスモッグが顔に掛かっていたことに気がついた。そういえば演出の都合上で僕たちにも関わりが出てくると説明を受けていたのを思い出した。しかしその演出の相乗効果で彼のしているメガネが会場のどこかの証明のライトに反射して、メガネという名の瞳がキラッと輝いてみえて生唾が溢れた。「何かあったんですか…?」と喫煙所から戻ってきて声を掛けてくる彼に対し、「いえ、なにも…」と答えた僕。
何故だか、嘘をついているようで気がぎこちない――。




