自分の生と死
僕は思わず…身震いをした。
こんな経験はじめてだ。誰にも経験させられたことない、この窮屈な思い。
いや『思い』じゃない、これは…、これはきっと『想い』なんだ。
今年、21歳な僕。
年金や奨学金…ふと我に返ると、お金があざ笑うかのように襲ってくる日々を過ごしている。そんな生活は投げ出して命を棄てたくなる。
でも、もう人生を棄てるのは2度目以降辞めようと決心している。
あの胸苦しい大震災のニュースを毎日見て以来、死ねなくなった。今まで、いじめ、自己解決や責任逃れ、うさばらしだとか…簡単に命を棄てたり、奪う人間がいるなかで、素直に天国に行く人間を憎み腹を立てていた。
僕も命を幾度も棄てようとした。けど、死ねないまま生きている。その結果、余計にいらない傷を作り、余計にいらないトラウマを抱え、友達は減る一方で、さらにまた素直に天国に行く人達を目のあたりにしていき、この世に生きる人たちを哀れに想うようになった。
命の大切さは、その人たちが教えてくれているかもしれないが、許せないし憎たらしい。それは、その人たちが死後の世界を現世の僕たちに教えて、死んでいくわけじゃないから。
たぶん、だから周りの人たちは勝手気ままに「死んだら終わり。」「いいヒトだったから、天国。」「今まで悪いことしてきたから、これから苦しめば良いんだ。」「もう、遭えないの?」そんなのを渦巻かさせて泣いたり叫んだり、喜んでいる人達を生み出しているのかもしれない…
誰も「一生懸命生きたね。いろんなこと教えてくれて、ありがとう。」「私たちもヒトのために役目を果たして、行くからね。」なんて…ひとりとして心で云うだけで、目と目とで顔を見合して話し合わない。そのなかに大切なことが隠されていたとしても。
そう考えると…なんだか、死ぬのが馬鹿らしくなった。
だから、僕は簡単に死ぬのは辞めたんだ。
『堅苦しい』そんな言葉も、実は期待している。そんな人間がいてくれないと、僕の生きる意味がなくなってしまう気もする。僕は、普通の人間じゃないから固い人間の刺激の方がより人生を楽しましてくれるだろう…。
そして、この頼りない身体で歩きだした。