第五話
昼食を食べ終わった私は、紙の束とペン、インク壺を持って研究小屋に向かいます。錬金魔術の専門書はいつも研究小屋に置いてあるので、持ち物はこれだけなのです。
先生と私の修行はいつも研究小屋で行われます。
まず先生は、私が錬成した物を見てから指導してくれます。魔力の混め方を均一にしろとか、完成形を意識して錬成しろとか。私は大抵それをメモして、先生が帰ってからもその注意点を意識しながら修行するのです。
その次は座学です。知識があるのとないのとでは錬成の効率というものがかなり変りますからね。しっかりとお勉強します。ここではかなり大量に紙に内容をまとめます。そのまとめた紙はほとんど全て取っておいてます。私の大事な教本になっているのです。
そして最後に実践です。先生の前で錬成して、その日のまとめをするのです。
先生は基本的に、笑顔で厳しい人です。怒らないけど、圧力がすごいです。圧死しちゃいそうです。笑顔の後ろには人間が挑んではいけない何かが居ます。逆らいませんよ私は。
今日の次に先生が来てくれるのはきっとまた一カ月以上あとのことだと思うので、しっかりと吸収できることは吸収しなくては!!
研究小屋の机に今までの成果を並べます。特に、今日作った物はなかなかの出来だと思うのです。褒めてもらえるかはわかりませんけど、先生は褒めるときには褒めてくれるのでちょっぴし期待です。
私は椅子に座って大人しく待っています。でも先生がなかなか来ないので、専門書をぱらぱらとめくり始めました。錬金魔術は錬金術ほど厳密にレシピを再現する必要はありませんけども、基本のレシピというのはあるのです。それを見ているだけでも時間はつぶせちゃいます。ついつい紙にアレンジを加えたメモを書き留めたりもしてしまいます。
なになに、これは魔力で動く魔法道具ですね。単純な魔法文字を刻むだけでこんなにいろいろなことができるのですか……面白いですね。
あ、こっちは長持ちする料理道具のレシピ……。今度作ってみましょう。料理関連のレシピもけっこうたくさんありますね。いろいろと試してみたいものです。
そんな風に過ごすこと早数時間。最近は一般に普及し始めたけれど一応高価な品である時計をみると、先生が来ると言っていた時間を少し、いえかなり過ぎています。
どうしたのでしょうか。
少し心配になって、研究小屋のドアを開け外をうかがいます。
先生が乗ってきたであろう馬車が遠めに見えました。なら先生はもう着いているはずなのです。もしかして、誰かと話し込んでいるのでしょうか?
首をかしげながら辺りを見回します。探しに行きたいのですが、入れ違いになるのは困ります。ならやっぱりもう少しだけ待った方がいいかもです。
そう思い、屋敷に背を向けて小屋の中に戻ります。でも、なぜか納得いかないのです。きれいな水にインクが一滴落ちるように、よくわからないもやもやが広がります。
嫌な気分、とは少し違うのです。でも、なんとなく釈然としないのです。
閉めたドアを再び開け、私はくるりと振り返りました。
「……誰、ですか?」
唇からかすかな声が漏れました。
振り返った先にいたのは、一人の女の人。さっき見たときには居なかったはずなのにとか、そもそも誰なんだとか、疑問は泉に水がわき出るように浮かんできます。
でも、私は彼女から目を離せず、ただ茫然とその姿を見つめることしかできなかったのです。
艶やかな黒髪に、切れ長の紺の瞳。赤い大輪の花のあしらわれた髪飾りで、黒檀の様に真っ黒で美しい髪を少し高めの位置で留めています。美しさと気高さを感じさせる顔立ちと、鋭い眼差しが相まって、どちらかというと近寄りがたい美貌です。
彼女の服装も、私が彼女を見つめている理由になるでしょう。
髪飾りと同じ濃い赤の服。胸元と肩は大きく開いていますが、白の透けるショールのようなものでおおわれています。前合わせになっている形ですが、ボタンではなく太めのリボンのような白の紐を左右でリボン結びにして留めるというようなものです。袖はなく、肩辺りを覆うものと同じような布で肘あたりから覆われています。そして、視線を少しずらせば太ももまで大胆に入ったスリット。足元は木の板のようなものに、紐が付いたものが靴代わりの様です。
異国のものと思われる衣服。これはたしか、我がニルタリア王国との国交がほとんどない、東のほうにある島国の民族衣装のはず。たしかその国の名前は……神聖アスタリカ国。
神聖アスタリカ国は、少し閉鎖的な国……らしいです。情報もあまりないのですが、まれに技術がこちらまで伝わってくることもあるのだとか。
彼女の顔立ちを見ると、神聖アスタリカ国の人であることは明らかです。でも、なぜそのような異国の人が、今、私の目の前にいるのでしょうか?
「あなた……」
「え、あっ、はいっ!?」
「ベルチェ侯爵家の錬金魔術師というのは、貴方なのかしら?」
「は、はいっ!」
いきなり訊かれて、思わず何も考えずに答えてしまう。こ、これ、答えて大丈夫ですよ、ね? 別に隠しているわけじゃ、ないのですから。
そんな風に焦りつつも考えます。いくら田舎で警備がさほど厳しくなくても、そう簡単に怪しい人が入ってこれるとは思いませんし、大丈夫なはず……。そう考えるとこの方はお客様だと思われます。
お客様、お客様。そう考えると少しばかりではありますけれど、気持ちも落ち着いてきました。
あまりする機会のない正式な作法でお辞儀をして、息を整えて名乗ります。
「初めまして。ティファリーゼ・アルン・ベルチェと申します」