第十二話
目が覚めたとき、体の節々が痛みました。あと喉と頭も痛かったです。そして怠かった。凄く怠かったです。数秒呆然として思いました。
(風邪ひきました……)
曖昧な意識の中、私は心の奥の奥、あの場所でのことを思い出していました。
もともと私の一部として眠っていた彼女は目覚め、彼女は私と完全に『分離』しました。今までの私は、シシュラさんの魂の欠片が私の魂を覆っていたようなものだったのでしょう。意志のない彼女の欠片は、しかし大きく私に影響を与えていたのです。私の『本質』を覆い隠していたのです。
私の本質が何なのか、今の私にはわかりません。しかし、これからの私は今までの私とは違う人間になるのでしょう。
怖いとは思いません。本来の自分に変わるだけ。そう思います。以前ならばもっと悩んだかもしれませんが、今の私は悩みません。これが自分なのです。これが私なのです。今までの私はたしかに私でしたが、今の私はそれよりももっと私なのです。
もはや自分でも何を言っているのかわかりません。頭の中では羊と兎がお花畑でケンカしています。あ、なんだかあの羊は葡萄色でおいしそうです。お花畑はいつの間にかお菓子がたくさん盛られた大皿に変わっています。
「お菓子……葡萄……あ、うどんもある……」
結局何も考えられないまま、私はまた眠りにつきました。
ああ、起きたらうどんが食べたいです。
◆◇◆
「ティファ、大丈夫?」
「……ミラ、さん。……だいじょ、ぶです……」
体感時間にして1日くらい後(ずっと夢の中で羊や兎や熊や猛獣と走って笑って愛でて逃げてしたりしていたのであてになりません)、ミラさんの声で目を覚ましました。
ミラさんは、少し疲れているように見えました。目の下には隈ができ、艶やかで美しかった髪は、何日も梳かされていないようでぼさぼさです。せっかくの美貌が台無しですよ、ミラさん。
「ごめんなさい……。私のせいだわ。辛いでしょう? せめて、早く良くなって頂戴ね」
うるんだ瞳からは、一粒の涙が零れ落ちました。なんでミラさんが謝るのでしょうか? ミラさんは別に何もしていないと思うのですが……。
ぼんやりと考えていた私ですが、お腹がきゅるきゅるとなって考えることを放棄します。どのくらい寝ていたかわかりませんが、お腹が減りました。
「とりあえず持ってきたんだけれど……食べられるかしら?」
苦笑交じりに差し出された器に入っているのは、うどん。心なしか薬味が多めです。
「うどん……!」
「よかった、これで正解だったわね」
寝言でうどんって言ってたからというミラさん。聞かれちゃってましたかぁ……。でも食べたいと思っていたので渡りに船です。
起き上がって器を受け取ろうとしますが、たっぷりうどんの入った器を持ちながら食べるのは難しそうです。見かねたミラさんが、あらかじめ持ってきてくれていた小さめの器に移し替えてくれました。それを受け取って、少し冷まして口に入れます。程よい塩気と旨みが口中に広がります。たっぷりと入った薬味は、風邪によく効くそうです。
「おいしい、です。……ミラさん、ありがとうございます」
「どういたしまして。……もともと、私のせいだもの。気にしないで」
「……? どういうこと、ですか?」
一瞬の間の後、ミラさんは口を開きました。
「……貴方の魔力が暴走したの。私が、貴方の中に入り込んだあるものを取り出そうとしたから……」
「ある、もの……? それって……」
「貴方はもう知っているはずよ。だってあの子は、もう貴方の中で甦ってしまったから。だから……ティファ、貴方には話さないといけないわね」
俯きながら、ミラさんは話し始めます。私の中にいる、シシュラさんについて。
◆◇◆
昔々、異常な魔力を持つ、恐ろしい化け物が居ました。それは人間から、畏怖を持って魔王と呼ばれていました。
魔王の城のまわりには、生き物どころか草1本生えていない荒地でした。そこに来る人間は、長い間一人もいませんでした。ですがある日、1人の少女がその地を訪れました。少女は白い髪と紺の瞳を持つ、とても美しい娘でした。そして、魔王を恐れない心を持っていました。
少女は魔王と共に暮らし始めました。魔王は少女の優しさで、初めて人の温かさを知りました。そして少女は、魔王が化け物ではないとみんなに教え始めました。
とある国の王様は、これが気に入りません。王様は少女を自分の妃にしたかったのです。そして、少女が魔王に操られているのではないかと考えました。
王様は、周りの国の王様に懇願しました。少女は魔王に攫われたのだと。自分は少女を愛していて、結婚するつもりだったと。だから、魔王から少女を取り戻すのに協力してほしいと。
前から魔王を疎ましく思っていた王たちは、魔王を倒すべく立ち上がりました。
魔王を打倒すために集まった兵たちは、魔王の城に攻め入りました。
兵たちは魔王に全く敵いません。しかし、さすがに大勢の兵たちを相手に、魔王は次第に弱っていきました。兵たちはこれを好機と思い、王様に託された道具を使おうとしました。これは国1番の魔術師と錬金術師によって作られた、封印の力を込められたものでした。
魔王が封印されそうになったそのとき、少女が飛び出して魔王を庇いました。少女の魂は封印され、バラバラになって世界中に飛び散ってしまいました。
魔王は怒りました。初めて自分に笑いかけてくれた少女を失ってしまったのです。
怒りで我を失った魔王は、その場で兵たちを皆殺しにすると、近くの国を滅ぼし、虐殺の限りを尽くしました。そしてしばらくして、魔王は少女の後を追うように自ら命を絶ちました。
◆◇◆
ミラさんが語ったのは、古いおとぎ話でした。どこの国でも、少し違いはありますが同じようなおとぎ話は伝わっています。
いつ聞いても、誰も報われない、虚しくなるような話です。というか、魂が封印されたとか、世界中に飛び散ったとか、どこかで聞いたような気がしますよ。
「この話は、半分くらい本当で、後は嘘よ。魔王は虐殺も自殺もしていない。抜け殻の少女の身体を、今も守っている。そして、封印された魂を集めているのが、私よ」