第六十八話 娼館は明暗を分ける!
投稿ペースが遅くて、申し訳ございません。約五千文字となります。
長く成り過ぎたので、試しに分割した時は二千文字でした。何となく書き足したり、行間を入れ替えたりしたらこうなりました。
意気揚々と歩む二人の前には、磨き上げられた重厚な扉。腕を上げれば直ぐにでも届く距離だが、どういう訳か取っ手の類いが見当たらない。
「いいかリュージ、高級娼館ともなれば入り方にも作法があるんだぜ」
――と言うや否や、伸ばされたヘルムートの手が向かう先、目線の高さに存在する異質な装飾。ブランコに腰掛けた女性を象ったであろうそれは、言うなればドアノッカーである。上部にある樹の枝を支点にして動く仕掛けとなっており、人物の部分だけでも掌大もある。
蛇足ながら、これまた見る者によって受ける印象が違うという、看板と同様の逸品であった。ある者は天真爛漫な少女が足を振り上げた姿だと言い、またある者は妖艶な女王様が足を舐めろと突き出す姿を幻視するのだという。例としては極端だが、場所柄を考えれば然も有りなんと思う。業の深い者や、偏った趣向の持ち主が多いのだろう。
それはそうと、このドアノッカーは尻の部分を打ち付ける仕様となっているらしい。徐に女性像の爪先部分を摘まんだヘルムート。コン、コンコン、コンと四回打ち鳴らした。それ自体は一般的な回数だと思えるが、その拍子に決まりがあったのだろう。
鍵が外され、扉が押し開けられるまでに十数秒。厳重なまでの施錠は、合法でありながらも世間と隔絶されたかの様な雰囲気を演出する。訪れた客たちは皆、一様に非日常を感じ女の園である事を意識するだろう。
そこに中から現れて、立ち塞がるのがド派手な格好をした従業員である。仮面のせいで怪しさが倍増しているが、まるで道化の上位個体。或いは、上級職とでもいうべき存在感がある。
――その姿を見て、リュージは思う。
(マスターピエロとか、デスピエロなんて名前じゃないだろな? 見た目が中ボスっぽいし……)
そんな従業員が入り口から一歩踏み出す。過剰なまでに装飾された道化の繋ぎ服が、シャラシャラと音を立てた。
「ようこそ、仔猫の館へ。おやおや、初めて見る方たちですねぇ~。やはり口コミか何かで?」
「あ、あぁ、そんなとこだ」
恭しく一礼した従業員は、初見の客と気付いて問い掛けて来た。いきなり嘘がバレたヘルムートは、気不味そうにリュージをチラ見しながら答える。厳密に言えば、常連に見える様に振る舞っただけで嘘は付いていない。つまらない見栄を切ってしまっただけであるが、男として格好悪い所を見られた事に変わりはなかった。
「そちらの方も?」
「そうだっ!」
何かしら気になる点があるのだろう。質問を重ねる従業員であったが、このままでは立場が無くなると焦ったヘルムート。少し乱暴だったが、この話題を打ち切ろうと試みる。リュージが特に反応を示さないと知って、ヘルムートが心から安堵したのは言うまでもない。勿論、気が付かなかった訳では無く、武士の情け的な何かである。世の中では、それを気紛れと称する人も居るだろう。
「……コホッ、ン。え~、当店はお陰様を持ちまして、王都で随一と大変なご好評を頂き、連日連夜に於いて千客万来。サービス、ルックス、テクニック、この三拍子が揃った仔猫ちゃんたちを取り揃えて御座います。彼女たちが、今宵もお客様方を夢の世界へと誘うでしょう!」
身振りを交え、大仰な宣伝文句を並べ立てる従業員。その間も、仮面から覗く深緑の瞳は笑っていない。今にも、射貫かんとばかりに爛々と光っているのだ。先ず間違い無く値踏みされているのだろう。
「それでは、店内へどうぞお客様。――と、言いたい所なんですが~、お子様連れのご入店はご遠慮下さいませ~」
「「えぇっ!」」
二人は、にこやかな笑顔と流麗な手の動きで店内に迎えられた。――と思った瞬間、一転して入店を拒否されて驚愕の声を上げる。
(遠慮……遠慮か。帰れって意味なのは分かるけど、遠回しの内なら何とか押し通れるか?)
往生際の悪い事を考えているリュージ。それに対する従業員は、手で遮るのでも身体を使って阻むのでもない行動を取った。それは、上半身を横向きに折り曲げながら、リュージの眼前へと顔を割り込ませる事である。
頭上から降って来る顔が――。
仮面を付けた顔が――。
間近に迫る――。
それは、身長差を考えれば仕方が無いのだろうか。いや、それなら他にも方法は有るだろう。態々苦しそうな姿勢を取る意味が分からない。しかも、拳一個分の距離しか無いのが問題である。最早、パーソナルスペースがどうとかのレベルを超えていた。
(近い!! キモい!? この際、ぶん殴っちゃおうか? ……いや、大人としてそれは不味いか。落ち着けぇ、俺ぇ!)
攻撃衝動に駆られながらも、リュージは辛うじて我慢した。――が、それは直ぐに後悔へと変わる。
「残念だけどぉ、ここは大人の社交場だよ~? 何しに来たのかな? 成人まで四、五年って所でしょ~? あっ! お金が貯まるまでなら十年かもね……」
続けて述べられた従業員の言葉には、侮蔑の色が含まれていた。それは、目を見ていたから言える事かも知れないが、少なくともリュージは侮辱されたと感じていた。
「(あ゛ぁんっ!? おちょくってんのか、この野郎!)人を見る目が無いみたいだから~、他の人と代わったら? 成人してるから来てんだよ~」
子供扱いや間違われる事自体は平気でも、見下されるのは話が違う。癇に触る言い方をされてキレ気味のリュージは、明らかに真似だと分かる口調で従業員をからかい始めた。
「馬鹿な!? 見る目が無いだって? これでも、この眼力を見込まれて就いた職だよ~」
「可哀想~、他に人材が無かったんだね~」
信じられない言葉を聞かされ、余裕綽々だった従業員の態度に綻びが見え始める。横向きのままである仮面の奥では、細められた眼が僅かに揺れた。
「フンッ、ところで~、そちら様はどうされますか? 貴方の様な紳士でしたら、お断りする理由は無いのですが~?」
「えっ!? えーと……」
子供なんて相手にするのも馬鹿らしいと見切りを付けた従業員は、隣の人物に向き直ると甘言を弄する。そこには、話の矛先が突然変わった事に戸惑うヘルムートの姿があった。
そして――
「(リュージ、すまんっ! ここに来るのが夢だったんだ!)そういう事なら、折角だし……」
暫く悩む素振りを見せたと思ったら、そんな言葉を残してそそくさと入店してしまうヘルムート。彼なりの葛藤はあったらしいが、端からは簡単に転んだ様に見えた。
「あっ! 裏切りやがったぁぁぁーーっ!」
それは、魂からの叫びだったのかも知れない。声量のあるリュージの声は、辺り一帯に虚しく響いた。
「フフフッ、残念でしたね~。お一人で帰れますか~?」
したり顔で勝ち誇る従業員は、言わなくても良い余計な一言を宣う。お互い様とはいえ、底意地の悪さが浮き彫りとなった形だ。
「――ッ!(子供じゃないっ!)」
それを言ったら負けの様な気がして、リュージはその言葉を飲み込んだ。その時、視界に入ったヘルムートが、「すまんっ!」とばかりに手を合わせるのが見えた。だからといって許すという話にはならないが、それを見て無駄だと悟ってしまったリュージは、潔く諦める事にした。
非常に悔しいがこれ以上は格好が悪過ぎる。そもそもリュージは、意固地になって物事を強要するタイプでは無い。家庭環境から少し荒れていた時期はあるが、どちらかと言えば物分かりは良い方であり、四十二年の時を掛けて育まれた人生観は、早々変わる物では無いのだ。
――しかし、このままでは面白くないのも事実であり、リュージは八つ当たりをしておく事にした。何処かの組織には、『裏切り者には死の制裁を!』などという鉄の掟が在るらしい。そんなサブカルチャーの知識を元に、少しくらい脅かしても良いだろうと考えていた。実際に殺るつもりは無いが、援護すらしなかったヘルムートにはお仕置きが必要なのである。
「おいっ、ヘルムート。帰ったら絶対にぶっ飛ばしてやるからなっ! 精々、愉しんで来るが良いさ。序でだから、その首も綺麗に洗って貰えやぁっ!」
と、そんな捨て台詞を残してその場を後にするリュージ。肩で風を切って、振り返る事も無く娼館の敷地を出てゆく。赤く染まった夕日を受けて、強がる背中が泣いていた。哀愁を帯びる後ろ姿が、煤けていたとかいないとか――。
∽∽∽∽∽
往来する人影の先、路地の向こうでリュージの姿を見失う。ぼんやりとそれを見送ったヘルムートの脳内では、先程の捨て台詞がリフレインしていた。
(首を洗って貰えってのは……そういう事か? まさか、本気じゃないよな? いや、流石にそこまでは……しねーよ、な?)
流石に、命までは取らないと信じたい。だが、旅の間に在ったあれこれを思い出すと、自然と足が震えてしまう。
リュージは加減もするし、狂人でもない。容赦がない時もあるが、それは大抵ヘルムートから突っ掛かって行った時であり、決して理不尽ではない。それが分かってはいても、怒らせるのは恐い存在だった――。
「お客様? そろそろ宜しいでしょうか~」
「へぁ? あっ、あぁ、頼む」
気付かぬ内に、不安から逃れる為の思考に没頭していたヘルムート。掛けられた声に素っ頓狂な声を出しつつも、素直に店の奥へと歩み始める。
そこには、夢の光景が広がっていた――。
先ず目に入るのが、総レースで仕立てた透け感のあるドレスで着飾る美女たち。所々から薄らと覗く下着姿を、下品に成り過ぎない程度に見せ付ける。その計算された露出は、明け透けな裸体よりも男の欲望を掻き立てそうだ。
室内の照明はランプの灯火。連なる明かりと織り成された陰影が、得も言われぬ幻想的な空間を演出し、女たちの白き柔肌をより淫靡に映す。
格調高い調度品の数々と、飾られた色取り取りの花々。そして、その香り。それらは全て、夜の蝶たちをより美しく見せる為の舞台装置である。
(本当に……本当に来れて良かった! 噂に違わぬどころか、噂以上だ……)
ラストックでは、そうそうお目に掛かれない様な美女たちの艶姿に、ヘルムートの心臓は跳ねた。乱れ打つ鼓動が血流を速め、不整脈で倒れ兼ねない程に逆上せ上がる。
魅入られたかの様に凝視する内に、いつしか腹に感じていた痛みも無くなっていた。無意識に添えられていた左手は、ストレスからか胃の辺りを擦っていたのだが、今では胸を押さえていたりする。
入室したヘルムートに気付くと、笑顔を浮かべて定位置に並ぶ美女たち。表面的な話をするのであれば、苦界に身を沈めた者の悲愁といった感情は見受けられない。寧ろ、美しさに対する強い自負心を持ち、誇らしげですらあった。
一般的に娼館で春を鬻ぐ女たちは、少なからず似通うものだ。長く生活を共にすれば、自然な成り行きとも言える。弱き者は生きる為に集まり、強き者は生かす為に守る。嫉妬、羨望、憧憬、憐憫、そこには様々な情念が渦巻く。
上位者を真似ただけで売れるなら、誰も苦労はしない。それでも、自由を渇望する彼女たちの境遇がそれを選択させるのだろう。一番簡単で分かり易く、手っ取り早い方法なのも事実である。その殆どの者は、担保として己の身を差し出しているに等しく、売り上げを競う運命を課されているのだから。
しかし、この店にはそんな画一性は存在しない。人気店故かお茶を挽く事が無く、時間売りが無い為に余裕もある。つまり、熾烈な競争が起こらないのだ。また、一流どころの客と触れ合う機会は、知らず知らずの内に彼女たちを磨いていたに違いない。それは、図らずも自己を確立した女の生き様。飽くなき美への探究が実を結び、それぞれが独自の美しさを体現していた。
ヘルムートは、そんな彼女たちを表現する語彙を持たず、唯々目を奪われた。しかし逆を言えば、“目は口ほどに物を言う”を証明しているとも取れるだろう。
「こちらに居る十六名が、現在待機中の仔猫ちゃんたちで御座いま~す。どの仔猫ちゃんを選んで頂いても、ご満足頂ける自信が御座いますよ!」
「(これだけ居ると迷うぜぇ)……おぅ。(抜群に良い尻してんなぁ。いや、あっちもなかなか捨て難いか?)」
左の端から一人一人を順番に、執拗なまでに視線を這わせる。顔から足元までをじっくり見ると、また顔を見る。そんなヘルムートは、従業員の言葉があまり耳に入らないのか、選ぶ作業に夢中で適当に聞き流していた。
結局ヘルムートが選んだのは、燃える様な赤髪を持つ肉感的な女性。黒いワンピースドレスは、花をモチーフに織られた総レース。裏地は全体の三割程にしか無く、髪に合わせた赤い下着が透けて映る。
「初めてお目文字頂きます。今宵、ご指名下さいました事を誇れる様、精一杯務めさせて頂きます」
「ヘルムートだ。名前を聞いても良いか?」
「はい、宜しければアマルダとお呼び下さいね」
何処と無く、情熱的な踊り子を連想させる様な女性だが、リュージが居ればパメラに似ていると言っただろう。性格の違いからか雰囲気が違うので、気のせいと言えなくも無いのだが……。
何れにしても、夜は始まったばかり。百戦錬磨の美女を相手に、褥の上でハッスルするのだ。この時点で、忘却の彼方へと追いやられているリュージ。仮令後悔する事になるのだとしても、夢が叶ったと喜ぶヘルムートは本望なのだろう。
個室に移った二人は、アマルダのリードで終始イチャイチャした。引き締まった腰を抱き寄せ、柔らかな二つの秀峰に甘える。
『う゛お゛ぉぉあぁ゛ぁぁぁぁーーっ!』
――その夜、何処かの室内では何度と無く獣の様な雄叫びが轟いたらしい。
……入店を拒否られました。まぁ、分かっていた人も居るかも?
倫理観というよりは、一流店だからって感じでしょうか。ライバル店も多そうですしね……。
下手な噂が立っただけで、あっという間に閑古鳥が鳴くのが、サービス業の世界だと思います。




