第五十九話 強制排除!
上手く切れなくて、約一万文字になってしまった。三千から四千文字でさくさく進んで、続きが気になる様な文章を書ける方が羨ましいと思います。
団体用の特別席である個室は地下一階から地下三階に在り、一般席は地下四階となる。壇上の商品を富裕層の顧客に良く見せる為の配置だが、地下二階の中央部が最も壇上に近く見易い様だ。リュージたちが居るのは地下二階の右端の部屋になるのだが、九番なので一階あたり八部屋ずつで右から数えるのだろう。
光学迷彩を発動したリュージは、開口部から身を躍らせ飛び降りる。劇場のボックス席が最も想像し易いだろうか。二階分の高さでも、足音すら立てずに降り立つと、目的の人物に近付き始める。
(さて、どうやって追い出すか……)
『力尽くで排除しないのですかニャ?』
(まぁな、オークション中止とか面倒だし……流血沙汰は避けたい。リアも見てるからな!)
自分で言っておいて何だが……リュージは、そこではたと考え始めた――リアは壇上の友だちに夢中だが、絶対にそうであるとも限らない。騒ぎが起これば、好奇心が刺激されても不思議ではないのだから。流血などといった凄惨な物は、保護者として見せるべきではないだろう。ならば、どうするのか? 気絶させるのは簡単である。頸椎の七番目付近に衝撃を与えるとか、頸動脈を圧迫して脳への血流を阻害するとか……何れの方法でも、一瞬ないし数秒で失神させられるが、後遺症が残る可能性が大きい。寧ろ、彼の膂力だと殺してしまうかもしれない。また、徴税官との関係性がはっきりしなかった……。
(う~ん、どんな繋がりかも分からないしなぁ。只のバイトって可能性も有る訳だし? 日雇いで、偶々今日来たら半身不随とか……最悪じゃね?)
『確かに、不運としか言い様が有りませんな。しかしながら、それを気に掛けるのはお館様が優しいからで御座います。理由はどうあれ、悪巧みに加担したのであれば、どんな結末を迎えようとも自己責任でしょう』
不確定要素が多いので、手間は掛かるが安全策を取る事にしたリュージに、独自の意見を述べるテン。やはり、AI毎で性格の違いはかなり大きいらしい。
(俺を煽てても何も出ないが、なかなかに苛烈な意見だなぁ)
『煽てるなどとは、滅相もない。全て本心で御座いますよ? それに、苛烈と仰いますが自然界は弱肉強食で御座いますれば、弱い者は淘汰されるのが当たり前かと存じます』
(いやはや、当たり前と来たか。流石、猛禽類の姿を取るだけあるなぁ)
それぞれの性格の違いを理解する為にも、コミュニケーションは無駄では無い。生まれたばかりのテンであれば、尚更である。リュージは、まだ付き合いの短いテンの考え方を知り、感嘆の声を上げる。
『テンは、かっこつけだニャ。良いかっこしいとも言うニャ! クゥーはそんな事無いから、強い御主人に甘えて守って貰うのニャン』
『失敬な! 如何にクゥー殿とはいえ、聞き捨てなりませんぞ!』
こうなると、やきもちを焼くのがクゥーである。何かにつけて対抗心を露わに喧嘩を嗾けるのだが、比較的に冷静なテンが一歩下がる事で、決定的な決裂までには至っていない。だが、流石に限界が近いのだろう。リュージの気絶中を除けば、初めて喧嘩に発展しそうである。
(またか? 頭の中で喧嘩するなって言ったよな)
『――ごめんなさいニャン』
『――申し訳御座いません』
尤も、リュージがそれを許す訳が無い。脳内……というか、意識下で喧嘩をされると罵詈雑言を伴って、悪夢の様な負の感情が嵐の如く叩き付けられるのだから……リュージにしてみれば良い迷惑であろう。昨日も、二体の負の感情に流され悪鬼の如く叱り飛ばしたばかりである。静かに警告を発すると、即座に謝罪する二体であった。
(まぁ、良い……三度目は無いからな? 取り敢えず、お話ししてみようかなぁ)
『お話し……ですかニャ?』
(そうそう、上手くいけばすんなり帰ると思うけど……どうなるかねぇ)
脳内でそんな遣り取りをしつつも、すんなりと目標の背後に立ったリュージは、耳元に口を寄せて静かに声を掛ける。
「声を出さずに聞け。目的は達した、目立たぬ様に撤収せよ!」
「おっ、お前は誰なんだ?」
「そんな事は、どうでも良いだろう? 雇い主が同じとだけ言っておく」
声の主を探してキョロキョロするが、振り返っても後ろに座る客に変な顔をされるだけである。それでも、止まない声に質問を返すが素っ気ない回答しか得られない。不安に駆られた男は、簡単に雇い主を明かしてしまうのであった。
「……ちょ、徴税官様、か。お前は、何処に居る? 何処から声を掛けてるんだ?」
「……そういう技能が有るんだよ。死にたく無ければこれ以上詮索するな。良いか、伝えたぞ?」
「お、おい、おいったら……」
意図して低い声を出しているとはいえ、暗殺を生業とする者を錯覚させるのに十分な効果は発揮した様である。今の話と仕事の内容を精査するも、確信が得られない男は、次第に疑心暗鬼へと陥ってゆく。やがて、姿の見えないメッセンジャーに対する恐怖が勝ったのだろう……悩んだ末に、すごすごと退室するのだった。
天秤に掛けたのは命と責任……あるいは、忠誠だろうか? 徴税官を知っていれば、本物の撤収命令だとは間違っても思わないだろう。それでも嘘の命令に従ったのは、沈む船から逃げ出す鼠の本能と同じ様に……危機を感じ取ったからかもしれない。
しかし、まだ終わりでは無い。追い出すべき鼠は、あと二匹残っていた。
だが――
次の男は、信じなかった! しかも、強情というか根性が据わっているというか……頑として聞き入れない。脅してみても、反抗的な態度を崩さないので――実力行使に切り替え――口を押さえてから、指の骨を折った。多少の呻き声くらいなら、テンションが上がってきた司会の声で掻き消されるであろう。喩え拳を握っていようとも、リュージからすれば人差し指と親指の二本で摘まめさえすれば良いのだから、実に簡単である。
「ぐぅっ、う゛ぅ゛ぅぅーー!」
「おっ、おい! あんた、大丈夫か? 具合でも悪いのか?」
隣の席に座っているおっさんが心配そうに覗き込んでくるが、リュージの存在には気付かない。その間にも、一本また一本と指は折られてゆく。
「分かっただろ? 俺は、存在するが見えないんだよ。ここでお前を殺しても、罪には問われないんだ……それに、優しい俺の命令を聞かないから無駄な苦痛を味わう事になる! 暫く左手は駄目だろ? 右手も行くか? 飯も食い辛くなるなぁ……」
「む゛ぅ゛ぅぅ、う゛ぅぅぅー!」
左手の指を全て折ってから脅迫を続けると、脂汗を流しながら、必死に呻き声を上げる男。反抗的なのも有り、大声を上げない様にと口を塞いだのを忘れていたリュージは、ゆっくりと手を放す。
「も゛う、勘弁じでくれぇ……頼むよぉぉ」
「じゃあ、帰るんだな? だったら、さっさと行け!」
リュージの標的となった二人目の男は、痛みに堪えながら小声で懇願する。指の骨だけでは無く、心が既に折れていた。姿の見えない化け物に押さえ込まれ、びくともしない己の身体……耳元で聞こえる嘲笑と、次々に折られる左手の指。炎症を起こして腫れ上がる左手は、自分の物では無い様であった。信じたくは無かったが、熱と共に感じる左手の鈍い痛みが、現実であると訴え掛ける。
懇願すると共に解放された男は、転げる様にして逃げてゆく。正に、一目散と言わんばかりの逃げっぷりは見事な物であったが、その様を見ていた周りの客は呆気に取られ困惑しながらも、そんな男を見送る事しか出来ない。――いや、大半の客は見知らぬ男の些末な出来事には興味が無く、オークションに夢中である。そして、最後の三人目は正に“さくら”としてオークションを盛り上げる事に必死であった。
勝手な話ではあるが、この段階でリュージは面倒臭くなった――というか、“飽きた”というのが本音である。
そこで、方針転換を図る。所謂、実力行使という今正に行ったばかりの方法であるが、嘘や方便など無用とばかりの力押し、ある意味で最もリュージらしいのではないだろうか。それを可能とするだけのスキルという圧倒的な力と、それを支えるステータスが在るのだから。
『結局は、こうなるのですニャン』
(まぁ、そう言うなよ。割りと頑張っただろ? でも、時間も無駄に出来ないしなぁ)
『結果的に見れば、強ち無駄では無かったかと』
(ん? そうかい?)
『周りの客が、余り気にしない事が判明しましたからな!』
(……成る程ね)
『相変わらずの結果オーライですニャ』
脳内で微妙に反省しながらも、最後に残った男の背後に立つリュージ。ヴァルターが、指示通り焦らす様に入札するので、何処まで吊り上げるべきか判断が付かず、「さっさと入札しろよ!」とか、「あのガキが欲しいんだろ?」などと、ぶつぶつと独り言を漏らしながら入札を待っている様であった。このままでは、落札してしまうという焦りを顔に浮かべ、余裕が無さそうな男に気楽な感じで語り掛けるリュージ。既に説得する気は無いので、軽口になった様だ。
「やぁ、聞こえるかな? お前たちは、邪魔なんだ~。だから、帰って貰ってるんだけど……説得するの飽きちゃったんだよね~」
「……なん、む゛むぅぅぅぅ――」
「だから、強制排除するから!」
突然、聞こえた囁き声に反応した男は、疑問の声でも上げようとしたのか口を開く。しかし、それは許されない――直後に、口を塞いで黙らせると結論を伝えるリュージ。それは、決定事項である。前例は既に作ったので、有無を言わさず転がされる様にして連れ去られるが、今度は、おかしな奴が多い日だというくらいの視線しか集めなかった。大部分の客にとっては、ライバルの減少は歓迎すべき事であるし、壇上の商品を競り落とそうとする会場の雰囲気に夢中なのだから。
拉致した男を力任せに突き飛ばし、転がしながら移動するリュージは、一つ思い付いた事を質問した。
「なぁ、徴税官は来てるのか?」
「……しっ、知らない」
「本当に? 俺の国には、嘘ついたら針を千本飲ませるって風習が在るんだけど……試してみる?」
「じゅっ、十二番目! 十二番目の部屋だ!」
周囲には、誰の存在も見えない。それでもはっきりと聞こえる声に戦々恐々としながらも、しらを切ろうとしたらしいが、常軌を逸したリュージの脅しに顔を真っ青にした男は、躊躇い無く居場所を吐いた。やはり、忠誠心などは皆無の様である。
「……ふ~ん、それってど真ん中の貴賓席って奴だよな? よしっ! 見学に行くぞ~」
「……い、いやっ、行きたくない。俺は、行かない」
「まぁまぁ、遠慮なんかするなよ。お前も本当は嫌いだろ? 嫌いだよなぁ……ん? 安心しろって、上手く殺ってやるからさぁ。手柄はお前に譲ってやるよ!」
都合良く徴税官の居場所を聞き出す事が出来たリュージは、この際だからと元凶の排除も目論んだ。本来なら用済みなのだが、姿を消しているので不自然さを無くす為に使えるだろうと嫌がる男を連れて行く事にしたのだが――
「い、いやっ、何で俺だけ……なぁ? あいつらみたいに帰してくれよ。もう、二度と関わらないから……お願いだから!」
必死の抵抗の上、懇願までされてしまう。何処でバレたのか―――割りと演技には自信の有ったリュージには――分からないが、軽い冗談のつもりが本気と取られたらしい。壁に張り付く様にして首をブンブンと振る姿は滑稽ではあったが、あまりの必死さに哀れみも誘う。
『御主人、残念ながら微妙なニュアンスの違いまでは変換されず、ストレートに訳されてますニャン。それでは、洒落にならないのですニャ』
「……」
『……』
つまりは、“やって”やると音を同じく、意図して別の意味を持たせた言葉が、そのまま“殺して”やると訳されていたという事である。上手く演じていたつもりだっただけに、魔道具の性能限界のミスは致命的であった。リュージの心境としては、とても複雑である。
クゥーの指摘で少し凹んだリュージは、いつもの如く沈黙を保つ事で忘れようとするのであった。人はこれを現実逃避と呼ぶ……。
「……あっ、ありがとう!」
黙っていると――何を勘違いしたのか礼を言って逃げ出す男を見て、どうでも良くなったリュージは、そのまま逃がす事にした。礼を言う筋合いの無い男が、礼を述べてまで嫌がる事を無理強いする嗜好は持ち合わせていないという事だろう。雑魚は雑魚でしか無い……固執する理由は無かった。
リュージの眼前には、重厚で他よりも豪華な扉が存在した。各階に八部屋在ると考えていたが、地下二階は一室少なかった。この階の中央に存在するのが貴賓室らしいが、二部屋分のスペースを贅沢に使っている。開口部からの侵入も考えた様だが、正面から堂々と行く事にした様だ。光学迷彩を使っておいて堂々も糞も無いが、彼の気分の問題なのだろう。
扉に手を掛けると、一切の躊躇も見せずに開け放つ。慎重などと言う言葉を、嘲笑うかの様な大胆な行動である。
「何だ? 風か? ちゃんと閉めたと思ったが……」
開かれた扉の横に控えていた衛兵の一人が、不思議そうにぶつぶつと呟きながら閉めようとするのを尻目に、難なく侵入を果たすリュージ。見たところ、衛兵の数はそれほど多くは無いが、特に制圧する必要は感じない。極力は無視しても良いだろう。
リュージは、真っ直ぐに会場の様子を眺める男の元へと歩いてゆく。雇っていた者たちが消えた事を、側近に当たり散らしているので一目瞭然であった。
「何だ! どうして、一人も居なくなったんだ! すんなり落札されてしまっては、儲からんではないか! おい、聞いてるのか!? 全く、使えない奴ばかり集めおって……こんな仕事すら満足にこなせんのか!」
そこには、ブクブクと醜く太った薄ら禿げが居た。テカテカしているのは、禿げだからでは無く脂ぎっているからだろう。これなら、毛根が死んでしまっても仕方無いというのが第一印象である。流石に本人も臭いが気になるのか、これでもかと香水を振り掛けているが、既に公害のレベルではないだろうか。その強すぎる匂いは、とてもではないが同じ空間では食事を摂る気分にはなれない。現代であれば、スメルハラスメントの元凶として訴えられるレベルではないだろうか。
(くっさ! 香水撒き過ぎだろ! これはもうスメルハザードだぞ!)
『そんな言葉……造語? 有るんですかニャ?』
(……知らん!)
リュージの勝手なイメージだが、陰険で眼光が鋭いだけのひょろひょろのマッチ棒の様な男が、高圧的な態度で税を取り立てて回っていると想像していた。しかし、現実は殆どが正反対である。贅肉で肥えた目蓋は、開いてるのかも分からないくらいで、目は細く眼光どころでは無い。想像通りなのは、塵が詰まった溝の様な性格だけだろうか。
「宜しいですか? これ以上無ければ、九番の方の落札となります。……宜しいですね? はいっ! それでは、五十七マアクでチェルシー嬢は落札です! それにしても九番の方々は、羽振りが宜しい様で……羨ましい限りで――」
「くそっ! もっと搾れた筈だろう……あいつら! 何処で油を売っておるか! おいっ! 九番の奴等は何処のどいつだ!? 何で奴隷を買い漁る? 何処から資金が出てるか直ぐに調べろ!」
「「「はっ!」」」
どうやらチェルシーは、問題なくヴァルターに落札された様であった。何と無く一仕事終えた気がして安心した束の間、徴税官という名の豚野郎が、リュージたちの調査を命じるのを目撃して怒りを覚える。
正直な話、名前を覚える気にもならない豚人間が、自分たちに危害を加えようとするのを黙って見ているリュージでは無い。駆けて行こうとする三人の軸足をタイミングを合わせて高速で払う。只の足払いだが、三人共に宙を舞い一回転して背中から床に叩き付けられた。駆け出したのが仇となったのだろう……軸足を払われた事で勢いを殺せず、前転してしまったのだから。不意打ちで、面白いくらいに宙を舞った三人は、衝撃で息が吐き出された事と痛みによる呼吸困難で身動きが出来ない。恐らく、混乱もそれに拍車を掛けているのだろう。手加減する為に慣性を利用したリュージは、最小限の力で発揮した最大限の効果に満足しつつ、歩を進める。
それを見ていた衛兵たちが、呆気に取られてオロオロとしている間に、リュージは徴税官の背後に回る。始末するのは簡単だったが、オークション中止は困るので暫く命令出来なくすれば良いかと考える……ただし、死んだ方が増しだと思わせるくらいには、苦しめてやるつもりではあった。
出来れば触りたくないという本音の表れであろうか、リュージは手に一本の棒を持っていた。それは、錬金術により咄嗟に作り出した鉄の棒……先を尖らせる訳でもなく、只々真っ直ぐなだけの鉄の棒であった。長さにして二十センチメートルも無いだろうそれで殴るのだろうか。
――いいや、そうじゃない。リュージは、これで突くつもりであった。何処を? 脊椎を! 何で? 痛いから! 粉砕すればショック死するかもしれないが、脊椎を加減して突くくらいなら悶絶はしても死にはしないだろう。椎間板ヘルニアにでもなれば面白い。腰椎を突いてぎっくり腰にでもなれば、身動きどころか自分の体重を支える事すら困難だろう。腰痛は癖になる……生きてはいても治るまでは動けず、長く苦しむ事になる。尤も、魔法が在るので直ぐに治る可能性も無い訳でも無いが、今が面白ければ良いのである。
(くっくっく……見てろ? この豚野郎がのたうち回る姿を……いや、脂汗を流して動けなくなるかな?)
『それだと、今と大して変わらないですニャ!』
『苦痛に歪む顔は拝めるのでは?』
(……ブタの顔を見てもなぁ~。まぁ、やってみれば分かるか!)
いたずらっ子とその仲間が、虐めの計画を立てるかの様な会話を愉しそうに交わしつつ、いよいよ実行に移そうと更に近付く。生憎と椅子の背凭れが邪魔だが、手が無い訳では無い。幸いにして、相手はブクブクと太った豚野郎である。椅子の脚を蹴り折れば、簡単に転がり隙を晒すだろう事は計算済みであり、恰も自重で折れたかの様に見えるので、疑う者も居ないだろう。
リュージは、四本ある脚の内で右後方の脚を蹴り折ると、背凭れを掴んで引き倒した。肉の塊が反動で転がり、もんどり打つ。二回、三回と転がり弾む姿を眺めて、堪え切れずに失笑が漏れてしまう。
「くっ、あ痛たた……はひっ、ふほっ……おいっ、手を貸せ!」
「プッ……クク、クックッ……」
「だっ、誰だ! 今、笑ったのは! そうだ、思い出したぞ……椅子を引いた馬鹿者は何処に居る! 全く、使えない奴ばっかりだ……さっさと助け起こさんかっ!」
「は……はっ!」
吹き出してしまったリュージの傍らで、喚き散らす徴税官を助け起こそうと近寄る衛兵たちに紛れて、じっと好機を待つ。両腕を抱えられる様にして起こされる徴税官の背後から、がら空きとなった脊椎を鉄の棒で打ち抜く。距離を計り、力よりも速さと精度を重視する様に調整して手加減を加える。椎間板や脆くなっている位置を心眼で見極め、瞬間的に五ヶ所を突いた。恐らく、痣くらいは出来るだろうが、出血はしていない筈だ。精々が内出血だが、気付く者はいないだろう。
「ぐぁっ! ……ぶぁかぁもっ!? ……さっ、触るなぁっ! ぐぅっ……ぐぅぉぉぉ!」
「大丈夫ですか? ……まさか、まっ、魔女の一撃か?」
「何? 本当か! それは、不味いな。担架だ……担架をお持ちしろっ!」
リュージは、二人がかりで抱き起こされるタイミングを見計らって攻撃を加えた。重い物を持つだけでは無く、くしゃみ一つでも引き起こされる事があるぎっくり腰に見せ掛ける為の措置だが、五ヶ所で骨折や椎間板ヘルニアを併発しているだろう。呼吸をするだけでも激痛が走るのか、脂汗を浮かべて硬直している。叫んで叱責した時が、決定的だったのだろう。力んだせいで、椎間板に圧力が掛かり飛び出してしまったのかもしれない。何れにせよ、ここでの用は済んだとみても良いだろう。
混乱する室内を見回してほくそ笑んだリュージは、応急処置と搬送の為に騒がしい貴賓室から抜け出し、仲間の待つ自室へと戻る。二部屋隣なので、十数秒と掛からずに到着である。
「リュージ? おかえり~」
扉を開けると、イヴァンジェリンが出迎えるが疑問形なのは、姿が見えないからだろう。光学迷彩を解いて姿を見せるとコリーンもやって来た。
「……ん、おかえり。首尾は?」
「ただいま~。首尾の方は、バッチリですよ」
二人に簡単に説明しながらヴァルターに近付くと、入札に使う札を手渡されたので受け取るリュージ。――しかし、何故だかリアは近付いて来ない。離れた場所から、暗い目をしてリュージを見上げていたのである。
「チェルシーって言ったか? 無事に落札出来たらしいな。ご苦労さん」
「いえ、大して邪魔も入りませんでしたから」
「そうか……案外、素直な奴らだったからな」
「そうでしたか? 二名ほど転げ回っている様に見えましたが……」
「そうだったか? 何れにせよ、大した手間じゃないさ。それより……リア、どうしたんだ?」
労を労うリュージに、謙遜するヴァルターが何を思ったのかは分からない。しかし、三名もの人間を周りに気付かせずに追い出して来る男が主なのだ、簡単なおつかいくらいの事で、誇る気分にはなれないのだろう。
そんなヴァルターの心境よりも、気になるのはリアの様子がおかしい事である。何かに怯える様な表情でリュージを見つめる姿は、初めての来客に警戒心を剥き出しにする猫を思い出させる。
「リア? どうした?」
「……ぐんしょーどん? こわい……いやなのっ!」
リアは、リュージと話をしながらもヴァルターが気になるのか、チラチラと盗み見る様に視線を彷徨わせる。――いや、まるで助けを求めるかの様だ! ヴァルターの近くに行きたい。だが、目の前にリュージが居るので、それが出来ないかの様な……。
「怖くないよ? リアの味方だよ。ここには、ヴァルターも居るじゃないか……」
「……んとね、こわくてね? おっきなおじちゃとね? おんなじなの……」
「同じ? 大きなおじ――あっ! ……ごめんなリア、そいつをやっつけた時に匂いが移っちゃったみたいだなぁ」
リュージに思い当たる事は、一つしか無かった。直前まで会っていた――姿を消して、一方的に報復する事が会ったと言えればだが――徴税官の事である。
リアは、徴税官が身に纏う強烈な匂いが恐怖の記憶と結び付き、トラウマを呼び起こしたらしい。恫喝でもされたのかもしれない……見たところ、それほど重度の症状ではないが、連れ去られる際に友だちも一緒に居た事が幸いしたのかもしれない。――正に、不幸中の幸いである。
「……あのおじちゃん、やっつけたの?」
「あぁ、リアを虐めた奴はやっつけて来たから安心だ! 嫌な事を思い出させて、ごめんな? お友だちにも、もうすぐ会えるからね」
「チーちゃんとローちゃん、あえる?」
「あぁ、会えるよ! さっき見ただろう? これからは、ずっと一緒に遊べるよ!」
「ほんとっ! ずっといっしょなの? やったー!」
友だちの話題で気を逸らすのは卑怯な気もするが、謝罪の気持ちは本物である。なんとかリアを宥める事に成功したリュージは、一時の笑顔を取り戻したのだった。
――もしかしたら、この笑顔は心からの物では無く、一過性の事に過ぎないのかもしれない。医学的なトラウマの治療法など知る由もないリュージは、友だちの事で喜ぶリアを見ながら、このまま忘れてくれれば良いと願いつつ、匂いを洗い流す為の魔法を発動する。
「千灑万洗!」
『移り香とは……うっかりしておりましたな』
(あぁ、そうだな。最後の最後で気を抜いたら駄目だよな……たまにあるが、本気で直さないと!)
服を着たまま魔法を使うリュージに、悔しさを噛み締める様に感想を漏らすテン。そんなAIの言葉に、リュージも詰めの甘さを反省する。
『分かっていても、なかなか直らないから癖なのではないですかニャ? 完璧な人間なんて、そうそうお目に掛かれないのですニャン! それをフォローするのが、クゥーたちAIの役目な訳ですが、学習が足りてないのも事実ですニャン』
(……つまりは?)
『次からは、お任せなのですニャ!』
ここで負けじと、クゥーも良い事を言おうとするのだが、何回の次が有るのだろうと考えると、いまいち締まらなかったりする。素直に聞けば、リュージを慰めている様に聞こえなくはないのだが――いつも、一言多いのが悪いのだろうか――そうは聞こえないから不思議である。
(今後の為に伏線を張ってる様にも聞こえるが……大本は俺だしな。期待しておくよ!)
『クゥーを信じてくれないのですかニャ? とっても悲しいニャン』
(だから、期待してるって!)
『何ですかニャ? その言い方は……あぁ、クゥーの御主人が変わって行くのニャン。それもこれも、テンの仕業かもしれないニャン』
『私のせいにしないで頂きたい!』
(あぁーー! 面倒臭いったらありゃしない!)
匂いを消した束の間に、本気で面倒臭くなる遣り取りを終えたリュージは、気を取り直して席に着くとオークション会場を眺める。今は、妙齢の女性を落札しようと盛り上っていた。
「さぁて、残りは何人くらいかなぁ……気になるのが居たら入札するから、遠慮するなよ? 幼なじみとか、近所で目を付けてた娘が万が一居たら、この機に物にするのも手ではある」
「いえ……知り合いは兎も角、若い女性は……」
「別に、“若い”とは言ってないけどなぁ……。まぁ、渡すのは二年後になるだろうが約束した財宝の分け前も有る事だし、本当に遠慮する必要は無いからな?」
壇上に上がる奴隷を見ながら、ヴァルターに掛ける声にはからかいの色が混じる。実際問題、今は良くても幼いリアには、女手が必要になる時が来るのではないだろうか。少なくとも、留守を任せられる人が必要なのは間違い無い。
意図を察したヴァルターは、何か心当たりでもあるのか、否定はするのだが――失言を指摘されて――顔を赤く染める。そんな子持ちの――自分の実年齢より遥かに若い――おっさんをからかいながら、遠慮は無用だと念押しするリュージの笑顔は、実に楽しそうであった。
所持金しか変化が無いので、ステータスは次で!




