第四十二話 一千マアクの使い道!
男爵夫人が立ち去った後の高級服飾店アルチュール……残された衛兵を外に放り出した所で店主が目を覚ますのだった。
「うっ、うう~ん、顔が…首も痛い?」
「ご店主、気が付いたかニャ? 咄嗟とはいえ、申し訳無かったのニャン!」
気が付いた店主の顔をクゥーが覗き込む様に声を掛けると共に謝罪する。
「ひぃっ! だ、男爵夫人は? お帰りになられた?」
店主は、目の前で喋るクゥーに驚き短い悲鳴を上げるのだが、殴られた事を覚えていないのか……猫が喋った事に驚いたらしい。喋る事は不可思議だが、仔猫の姿の為か警戒心を薄れさせ、それよりも男爵夫人を目で探し始める。
「ご店主、内装が少し壊れてしまったのニャ、弁償も含めた慰謝料は支払うニャン! このまま買い物を続けても良いかニャン?」
やがて、男爵夫人が帰った事を察して若干の安堵を得るのだが、店が壊れた事や慰謝料の話をクゥーに聞かされた上に、買い物を続けたいという厚かましい申し出に頬を引き攣らせる。
「えっ、べべっ、弁償して頂けるのなら……いや、しかし……」
店主も商売人の端くれ……少しばかり気に喰わないお客様でも、金さえ落とすなら大概の事には目を瞑る自信があるのだが、今回は男爵夫人が関わっている。彼女に逆らった者に服を売ったら、どんな報復を受けるか分かった物では無いのである。店主が、躊躇いを見せ……言葉を飲み込むのも、無理は無いのかもしれない。
「これ以上の迷惑は掛けないと約束するニャン! 選んだ服を含めて一千マアクでどうかニャン?」
「いっ、一千マアク!? 迷惑を掛けないんですね? 良いでしょう。…約束ですよ」
そんな店主の躊躇いも、クゥーが提示した金額の前に吹き飛んでしまう。人数は4人……最高級の服ばかりを選んでも半分は残るだろうと即座に計算した店主は、約束だと念を押した上で許可するのだった。
今のラストックでは、高額の税を支払うので精一杯で、服などのお洒落に気を遣う余裕の有る者が少ない。そんな中で、この金額がどれ程有り難い物かは言う迄も無いだろう。付け払いの貴族も多い中での、少なくない現金収入なのだから……。
高級服飾店などと言ってはみても、買い物客がいなければ商品も売れず、税も支払えないのだ。辛うじて男爵夫人を始めとした貴族の顧客がいるが、所詮は辺境の服飾店なのだ。それほど頻繁に買って貰える訳では無い……最新の流行を追うなら、王都であろうと買いに行くのが着道楽である。
税が高く無ければ、もしくは入門税なんて物が無ければ頻繁に仕入れに行けるのだが、現状ではそうも行かない。少ない着道楽の顧客が減って行くのは自明の理である。余計に男爵夫人などの少ない顧客を逃がす訳にも行かなくなり、ただでさえ頭が上がらないのに決して逆らえないという図式が成り立ってゆく。
イヴァンジェリン達が服を選んでいる間、クゥーは店主からの愚痴を延々と聞かされていた。自分から聞き出したのだが、思っていた以上に鬱憤が溜まっていた様だ。
昔は例え相手が貴族であっても職人として毅然としていられたが、店を出して人を雇う様になるとそうも言ってられず、職人よりも商人としての役割の方が大きくなる。
景気悪化で客が減ると、ただ努力しただけではどうにもならない限界が見えてくる。やがて貧すれば鈍するとでも言えば良いのか……いつからか、卑屈に成らざるを得なくなったらしい。
「これでもデザイナーとしては、そこそこ名が売れましてね? 王都から故郷のラストックに帰って来て、この店を出したのが十年前ですか……。以前は良かったんですが、男爵様が代官として来られてからは酷い物です」
二年前に任命されたラストックの新しい代官こそが、ゲルト・フォン・クルーン男爵であり、その妻が先程まで居た男爵夫人である。
「代官という事は、治めるべき伯爵なり侯爵がいるって事ニャ、或いは王の直轄かニャン? 訴える事は出来ないのかニャン?」
誰もが、一度は思うであろう質問をぶつけると店主の顔が一層暗くなり、沈鬱な表情になる。
「直訴ですか……猫君、今の代官様が集めた税を何に使っているか分かりますか?」
「有りがちな話なら、より高い地位に就く為の根回しかニャン?」
「確かに、そんな噂も有りますね。ただ、専らの噂では軍備の増強と派閥権力の拡大らしいのですよ」
「……噂とはいえ、まるで男爵が反乱でも画策しているかの様な言い方ニャン。男爵風情には、荷が重いのでは無いかニャ?」
街を一つ任された所で、男爵の出来る事など高が知れているだろう。反乱を起こした所で、簡単に鎮圧されるのは目に見えている。地下に潜んでゲリラ作戦を展開しても、民衆の支持も無いだろうし時間の問題でしか無い。
「いえ、ダンジョンですよ……ダンジョン討伐による報償金と名誉が目的って話です」
「軍備の増強は兎も角、派閥の拡大は関係無くないかニャン?」
脱税した金をチマチマと有力者に贈って、いつになるか分からない出世を待つよりも、ダンジョン討伐により名誉を得てしまえば出世も望むままであり、近い将来に敵になるかもしれない有力者の力を、わざわざ自分から強くしなくても済むという事らしい。強い探検者を集めたり装備を揃えたり、軍備の増強は分かる気はするが、何処に派閥が関係するというのだろうか。
「直訴が成功しないのは、男爵の派閥の者があらゆる所に入り込んでいて、途中で握り潰されるらしいのですよ……商業ギルドも努力している様ですが」
「いろいろと、知り過ぎじゃないのかニャン?」
高級服飾店の店主とはいえ、一般人にしては内情を知り過ぎていると訝しんだクゥーは、ストレートに聞いてみる。
「こんな噂なら、ラストックに長く住んでる者なら誰でも知ってる事ですよ。それでも逆らわないのは、追い込まれて潰された店を見ているからです……その後どうなると思います?」
店主は何でも無い事の様に、誰でも知ってる事だと言うと共に逆らわない理由を吐露するのだが、質問も返して来た。
「税が払えない者は、盗賊になるか野垂れ死ぬかって聞いたニャン」
「そうですね……中には自分自身を売って奴隷になる者も居ます。自分だけならいざ知らず、妻や娘を奴隷として売らなければならなかったり……悩んだ末に無理心中を図る者も居ますし、盗賊に堕ちて気が付いたら曾ての友を殺していたなんて話も聞きます。逆らえばそんな地獄が待っているのだと知ったら、逆らえなくなりました……」
ラストックに長く住む者ほど知り合いは多いだろうし、何かしらの店を開く者ならば尚更である。いろいろと見たく無い物を見たのかもしれない、店主の全てを諦めたという表情が重苦しい雰囲気を助長しているかの様であった。
そんな会話も、服を選び終わった女性陣の乱入で強制終了となる。有る意味でナイスなタイミングだが、勿論狙った訳では無いだろう。
「可愛い服が多くて、沢山選んじゃった!」
「……イヴが選んだのは、主にリアの服……」
「イヴちゃん、ありがと~」
「本当にありがとうございます。私の分まで……」
それぞれが感想や感謝の気持ちを述べるのだが、緊張感はまるで無かった。だが、暗い雰囲気を吹き飛ばすにはこれくらいが丁度良かったのだろう。店主の表情は服を褒められたからか、多少なりとも明るい物になっていたのだから。
「では、イヴァンジェリン慰謝料込みで有り金全部を代金として出すニャ」
「えっ? うん、有り金って一千マアクでしょ? それで良いなら……ご迷惑をお掛けしてごめんなさい」
クゥーに促されて銀貨の詰まった袋を取り出すイヴァンジェリン。辿り着いてすぐに店主は張り倒されてしまったので、有耶無耶になっていたが改めて謝罪するのだった。
「いえいえ、もう十分ですよ。ただ暮らすだけなら、税を支払っても二年は遊んで過ごせる額ですからね……内装も床の石材を貼り直すだけですし、お客様も来ないので工事中は休みにしても問題無いでしょう」
「ほら、リア謝るよ? ごめんなさいって……すみませんでした!」
「ごめんなさい!」
次はリアの番の様だ、父親に優しく促されて謝罪する。そのヴァルターも、親として心からの謝罪を口にする。大事な娘を塵の様に扱われた時は、謝る気持ちなど起きなかったが時間が経ち冷静になってみれば、相手の立場に立って考える余裕が生まれたらしい。男爵夫人には絶対に謝らないと決めているあたりは、割り切れない物が有るのだろう。
「こちらこそ、本当にごめんよ……手を上げられて怖かったかい? 情けないけれど、おじさんも男爵夫人が怖くてね」
アルチュールの店主も、流石に小さな子を怯えさせたのを気にしていたらしい。もっと慎重に事を運べば違っていたのにと、反省していたりする……あの時は、気が動転して焦っていたのだ。ゆっくりと、リアの小さな手を取り握手をしながら謝罪の言葉を発すると共に、懺悔するのだった。
「……その……床の石材を、ごめんなさい……」
「あれは貴女が? 魔法……ですか。慰謝料も受け取りましたからね。もう、気にしないで下さい」
正直に言えば、衛兵の拘束を解いて元に戻す事も出来たのたが、魔力を多く使って疲れていた為に放置したのである。そんな少しだけ自分勝手な罪悪感から出た謝罪では有ったが、知らぬが仏という言葉もあるのだ。コリーンが凄く気にしている様に見えたのか、気にしなくても良いとの許しを得る事に成功した。
「それじゃあ、お金も無いしリュージと合流する為に宿に帰りましょうか!」
「店主、今度は御主人を連れて来るニャン」
イヴァンジェリンが宿に帰ろうと音頭を取ると、クゥーが次はリュージを連れて来る事を約束する。
「騒ぎを起こすのは勘弁して下さいね」
「それは相手次第だと思うニャ。善処はするニャン!」
「まぁ、今日来たので暫くは男爵夫人も来ないでしょうね……来店は構いませんが、本当に頼みますよ?」
下手をすれば出入り禁止も有り得たが、次回来店の許可も得たので気兼ね無くリュージを連れて来れると、クゥーは密かに安堵するが騒ぎを起こさない様にと、当たり前では有るが念押しはされてしまうのだった。




