第三十一話 旅立ちの朝!
早朝、里長の屋敷に着くと栗毛の馬が係留されているのだが、目を引くのは寧ろその横の物体。
所謂、大八車という奴だろうか。
(まさか、これで旅をするのか?)
「おぉ、リュージ! 来たか、おはよう。朝早くから、態々悪いのぅ」
「いえいえ、構いませんよ。お早う御座います里長……他の人は未だなんですか?」
「いや、馬車を取りに行って貰っておるんじゃが……もうそろそろ戻って来るじゃろう」
里長と挨拶を交わし、同行者について聞いていると蹄鉄を鳴らす馬の足音と共に、車輪の転がる音が響いて来た。暫く待つと徐々に音が大きくなり、やがて屋敷に一台の馬車が現れる。
その馬車を牽くのは青毛と青鹿毛の毛色を持つ二頭の立派な馬である。胴は太くて背と後躯もガッチリとしており、直頭で頸が長くて逞しい姿は、見るからに輓馬用である。
「うわぁ~、スゲー格好良い!」
ばんえい競馬で活躍しそうな二頭の勇姿を見上げ、リュージが感嘆の声を漏らしていると、荷台から降りて来た女性が気付き声を掛けて来た。
「里長、借りて来たわよ、これで良いかしら? あら、おはようリュージ!」
「あぁ、お早う御座いますイヴ先生。この馬車で旅をするんですか?」
挨拶をして来たのは勿論、イヴァンジェリンではあったが、リュージの心は馬の事で一杯であり、分かりきった質問を返した。状況からみて間違い無いのだが、早く確証を得たくて仕方無いという雰囲気が、見た目も相まって子供その物である。
「えぇ、そうよね、里長?」
「そうじゃよ、悪かったのぅ。準備はしてくれてあったじゃろう?」
「……準備万端……」
会話に割って入ったのはコリーンである。存在感を馬に奪われて目立たなかったが、御者をしているのがウルバインであり、その隣にずっと座っていたのだ。
「結局、旅立つメンバーはこれだけですか?」
「そうじゃ、何か有ってもリュージなら何とかするじゃろうし、案内役はウルバインだけで十分かとも思ったんじゃがな。どうしても、一緒に行くと言って聞かんのじゃよ」
「他にも居たんだけど、人数とか色々な事情もあるから」
虹彩異色症は幸運の象徴とされると思っていたが、この国では魔眼持ちの多くがこの瞳を持つ為、セシリーは悪目立ちする。アデルは治療師の仕事が有るので泣く泣く諦めたらしい、人妻であるダーナは夫の事は兎も角、九歳の娘を放って行くつもりは無く、メーベルとスージーはリュージの教えたじゃんけんでこの二人に負けたとの事だった。
「昨日は、そんな素振りを見せませんでしたね?」
「決めたのは、リュージがパン屋に向かうので別れた後だもの! ちょうど里長の屋敷に秣が運び込まれる所を見たのよね……で、その話題で盛り上がったって訳」
秣とは馬の餌の事であるが、徒歩で約四十日ともなれば馬の足でもそれなりの日数が掛かるので相当な量になるだろう。
戦争に軍馬を使用していた頃の軍隊用語に糧秣という言葉があるが、人の食糧と馬の秣を意味している。この時に用意された秣は、一頭につき一日あたり大麦が五千二百五十グラム、干し草が三千七百五十グラム、藁が三千七百五十グラムであったとされているので、単純に徒歩の倍の速度で進めると考えても二十日分は必要となる。
餌の重さとしては二頭分で五百十キログラムとなるが、水の事も考えればそれだけでも餌以上の重さになり、荷台スペースにしてもかなりの場所が埋まるのだ。
今回の事を考えても、同じ位の荷が必要なのでアイテムBOXが無ければ、余計な人員を連れて行く余裕は無かっただろう。水を魔法で出せるのと、アイテムBOXを持つリュージが居るからこそ可能な我が儘であるが、そもそも彼が居なければこんな我が儘も言わなかったりする。
「急に決めたんですよね? 食糧は大丈夫なんですか?」
「それは勿論、大丈夫よ! もし、足りなければ現地調達すれば良いのだし」
「……問題無い、兄も居るから……」
「兄? えぇっ!」
食糧に問題が無いなら良いのだが、コリーンがウルバインを指差して兄と言った。リュージが驚いて二度見をすると、誇らしそうにポージングを決めるハゲマッチョが居たのだった。確かに寡黙な所など似ているのかもしれない――見事に禿げ上がった頭部は、剃っているのか一本も髪の毛が無いのだが、よく見ると眉毛の色が同じである事に気付く。
「未だに、人間関係がさっぱりですね……マジですか?」
「そう? 分かり易い例だと思うけど。それだと、里長とバルザックが兄弟だっていうのも知らないわよね?」
「うえっ?」
「……イヴは里長の娘……」
「どえぇぇ~っ!」
里長は老け過ぎだし、バルザックは縦一文字の傷で隻眼だったりと、人相が違い過ぎて分かる訳が無いのだが、言われて見ればそうかもしれないという雰囲気は有った。だが、イヴァンジェリンが里長の娘というのは想像の埒外の事であった。
「だって、里長って!」
「公私混同はしたくないしね。バルザックは叔父にあたるけど同じ理由だと思うわよ?」
「儂としては、寂しいんじゃが……」
公私混同って問題だろうか? 哀愁を帯びた表情で寂しがる里長が印象的であった。
馬車の荷台に荷物を積むが、せいぜいが馬の手入れ道具といった所であり、邪魔な物は全てリュージのアイテムBOX内に収納された。これは、二頭立ての大型四輪馬車に幌をつけた物だが、キャラバンとかワゴンと呼ばれる種類だろうか? 屋敷に到着した時に在った大八車と馬は、食糧や秣を運んで来るのに使っただけであり、最初に心配した様な事は無かった。
南の馬牧場で借りて来たとの事だが、こんな立派な馬と馬車が隠れ里に必要なのだろうか。里長曰く里で独自に交配して改良されてきた品種で従順な性格の温血種だそうだ。体高が、百七十センチメートル近い馬の威風堂々とした佇まいを見ながら、リュージは嬉々として説明を聞いていた。
「青毛の馬がエアステ、青鹿毛の馬がドリッテじゃ! 仲良くするんじゃぞ」
「エアステとドリッテですか。よろしく頼むな!」
二頭とも同じ繁殖馬を親に持つ姉妹で、全姉のエアステは全身が真っ黒い方の青毛の馬になる。全妹のドリッテが限り無く黒に近い茶色だろうか、鼻先と目元の他に臀部も褐色で、額に大流星の白斑という特徴がある青鹿毛の馬だ。名前の由来は一番目と三番目を意味するそうだが、一郎とか三郎みたいな物だろうか? 当然だが、姉妹なので二頭とも牝馬である。
「リュージ、そろそろ行こうって話になってるんだけど? 準備は良いかしら」
「分かりました、いつでも大丈夫ですよ」
「すまないが頼む。くれぐれも気を付けて、無事に帰って来るんじゃぞ」
御者台に座って馬を操るのは、ウルバインの仕事になった。他に居ないから仕方無いのだが、興味津々なリュージは隣で見学中である。荷台の中から、見送る里長に手を振っているのがイヴァンジェリンとコリーンの二人だが、里長が見えなくなっても通り過ぎる一人一人に「行って来ま~す」と挨拶をしている。
里の西側に広がる田園を進むと、顔見知りの一団が見送りに来ている様だった。
「遅いよ、何してたのさ? 待ちくたびれて帰ろうかと思ったよ!」
「メーベル、気持ちはありがたいけど、それなら里長の所でも良かったんじゃないかしら?」
メーベルが不満を述べているが、イヴァンジェリンが礼を言いつつも正論でバッサリと斬るのだが――
「駄目よ、風情が無いしゃないの」
「……風情……」
「コリーン、言いたい事が有るのならはっきりと言いなさいな」
「……無駄? 非効率……」
セシリーはご不満な様だ、恐らく彼女が発案者なのだろうが、コリーンと言い合いを始めてしまう。
「相変わらず情緒に欠ける発言の数々…黙っていれば可愛いのにね?」
「……失礼だ……」
「お二人とも、その辺にしておいては如何ですか。折角の旅立ちですし、それこそ風情に欠けるのでは?」
徐々にヒートアップして来た二人を見て、お互いに決定的な一言を言う前にとアデルが仲裁に入った。タイミング的にバッチリだったのか、こうした状況に慣れているのか渋々ながら離れる二人は、決して仲が悪い訳でも馬が合わない訳でも無いらしく、戯れてるだけなんだとか。だったら止めなくてもと思うのだが、それはそれで問題が有るらしい。人が面倒な生き物なのか、女性がそうなのか……。
「お互いにコンプレックスが有るから適当な所で止めないと、止まらなくなっちゃうんですよ。僕にも有るから良く分かるけど」
「二人とも意地っ張りなのよね」
「イヴには言われたく無い」
「……イヴに言われたく無い……」
呆気に取られているリュージに、フォローがてら説明をしているスージーにイヴァンジェリンが乗っかるが、それはセシリーとコリーンの二人にとっては納得がいかないらしい。双子の様にピッタリとタイミングが合う事は無かったが、全く同じ様な事を言ったというのは誰もが分かっただろう。
そんなこんなで、すったもんだしている間も、ウルバインは馬の世話をしながらポージングしていた。本当にそれは必要なのだろうか? エアステとドリッテも呆れている様な気がする。
皆にお土産を買って来て欲しいと頼まれつつ別れてから、一時間は経っただろうか? だが、旅は始まったばかり――馬車はゆっくりと常歩で進んでゆく。




