第二話 襲って来た野犬!
――寝たのが早過ぎた。
夜中に、野犬だか狼だかの遠吠えが聴こえて、目が覚めたのだ。――それが良かったのか、悪かったのか……普段通りに熟睡中であれば、起きてなかっただろう。
襲われるだろうか。夜行性だったとしても、夜中まで狩りをするのだろうか? 獣の習性までは知らないが、餓えていれば時間帯なんて関係無いのかもしれない。
(う~ん、変な時間に起きちゃったなぁ)
遠く離れている様にも聴こえるので、楽観的に大丈夫だろうと思いつつも、緊急時に対応出来る様に火を焚いて置く事にした様だ。何れにせよ、人は闇を恐れ光を求める……意味も無く暗いままで居る者は少ないだろう。
少なくとも、煙の臭いがする所には近寄って来ないのでは無いだろうか。山火事から逃げる獣のイメージが有るだけで全く確証は無いが、落ち葉を入れて煙を出してみる。
(夜明けまで、何時間位なんだろ? 正確な時差もよく分からないし、場所が分からないと見当も付かんな)
この時、ここが日本じゃ無い事は確定していた。日が暮れる時に時計を確認したが、既に二十ー時を過ぎていたのだから。
二十気圧防水のタフな腕時計だ。目覚まし時計は残念ながら、ご臨終していた。だが、こいつがあれば問題無いだろう。――全滅よりは、遥かに増しなのだから。
ふと見上げた夜空には、見た事も無い程の満天の星々が輝いていた。
(凄いな! ……こんなに星が見えるのは、街の灯りが無いからだろうなぁ)
星の数には圧倒されるが、幾つか知っている星を見付けた。
(あぁ……オリオン座は分かるな。北斗七星も分かる……すると、北極星はあっちか? 有った! 今日は、新月なのかなぁ? 月が見えないなぁ)
そうこうしている内に、辺りが明るくなって来る。未だに薄暗いが、夜明けは近い。――その時、鬱蒼とした茂みを掻き分け、四つ足の獣が現れた。暗くて、はっきりとした姿は見えないが、既に包囲されているらしい。今の今まで気付けなかったのは、襲い掛かる為に静かに近付き、飛び出すタイミングを計っていたからだろうか。……では、姿を見せたのは何故か? 脅威には見えなかったからだろうか。はたまた、群れによる狩りだからか? 恐らく、そのどちらもが正解なのだ。炊いた炎を警戒して奇襲は見送ったが、諦め切れずに観察した結果が“これ”な訳なのだろう。
(うわ~。“野犬”か? 何か囲まれてるし~。まず、逃げられないよなぁ……とりあえず、マチェット構えて……刺激しない方が良いのかな? 石でもぶち当てたら、逃げてくれんかな?)
「「「「グルルルゥゥゥゥゥゥ」」」」
「おいおいおい、何を殺る気になってんだよ! (勘弁しろよなぁ……三、四匹か?)」
右手にマチェットを構え、左腕に半乾きのジーパンを巻いて盾にする。正直、多勢に無勢である。包囲されている現状では、絶対に逃走は不可能だろう。機動力は勿論、体力でも勝てる気がしない。――で、あるならばといっそ覚悟を決める。
テントを背にすれば、背後からの攻撃の脅威度は、一気に減る。少なくとも視界が遮られる為、野犬は自分よりも大きな障害物を嫌い、正面側に集まるだろう。死角からの攻撃は無視出来ないが、警戒度は下げられる。幸いにして、炊いた炎が牽制になっている……と、なれば二方向に注意を向ければ良い。
注意するべきは、左右からの同時攻撃に絞られる。流石に、いきなり突っ込んでは来ないが、襲われるのを待ってやる程の余裕は無い。殺らなければ、殺られるのだ! 命の重さを考えて、躊躇う事が許される状況では無かった。
右側から、じりじりと間合いを詰める野犬に、一刀を振り下ろす。これをバックステップで回避されるが、所詮は犬畜生って事なのか……必要以上に大きく飛び退く。この時、隙ありとばかりに左側に居た野犬が飛び掛かってくるが、ジーパンを巻いた左腕には牙が通らない。
「ギャウン!」
噛み付いたまま、引っ張り倒そうとする野犬に抵抗するが、決して離そうとしないのでマチェットで腰の辺りを叩き切る。マチェットでは、流石に両断する事は出来なかったが、確かな痛打を与え、手応えから腰骨が折れたのは確実だろう。あまりの激痛に、噛む事を忘れてのたうち回る野犬を一瞥すると、出血も多く立ち上がれそうに無い事から、命が尽きるのは時間の問題だと、嫌でも分かる。
次の獲物を探して右側を見ると、予備動作なのか左右に跳ねる様な動きを見せる。どうやら、タイミングを測っている様だ。
(残りは、三匹……)
マチェットの一振りで、牽制を入れてタイミングをずらすと、また左側から噛み付いてくる奴がいる。死角から来るだろう事は予想済みである。同じ様に態と左腕を噛ませながらも、マチェットを振り回して他の野犬を牽制する事を忘れてはならなかった。身長が縮んだ事もあり、振り回されて体力を消費してしまうが、同時に掛かられるよりは遥かに増しと言えるだろう。
――むしろ、上出来である。テンションが上がっているからだろうか、何だか視界が広く感じる。注意を向ければ細かな動きまで良く見えるし、意識しなくても視界内の全てを把握出来る気がする。
「だあぁらぁぁぁ!」
「ギャイィン!」
気合いと共に、再び野犬の腰骨を狙ってマチェットを振り下ろす。振りかぶったのを見たのだろう――噛み付いていた牙を離して、飛び退こうとした様だが……もう遅い! 必死に噛み付く事に夢中で、回避が遅れた野犬の頸を切り裂く事に成功した。首から血を撒き散らし、ショックでその場に倒れ込む。
(あと……二匹)
――その時点で、決着は付いていた。理由は分からないが、いつの間にか逃げていた野犬を追って、もう一匹も逃げる様だ。旗色が悪いと見ての撤退なのか、臆病風に吹かれただけか……野生の本能が、全滅だけは避けようとするのかもしれない。
深追いする事に意味は無い。出来ればもう来ないでくれと、心から願うばかりである。
後に残された野犬は、まだ生きていた。最初の一匹は、腰を骨ごと叩き切られて立つことすら出来ずに横たわり、もう一匹も頸から血が止めど無く流れて死にゆくのを待っていた。
死にゆく動物の、虚ろな眼を見るのが辛かった。襲い掛かってきたのは、向こう側だ……降り掛かる火の粉は払わねば、屍を晒すのは自分自身になる。――だが、分かってはいても、心に重く乗し掛かる罪悪感は拭えないのだった。
「そんな眼で、睨むなよ……」
正直、怖かったんだろう。戦闘中というのは、ある意味で過度な興奮状態に置かれる為、平気でいられた様だが……それ自体が正気のさたでは無いのだろう。――だが、戦闘後に平静を取り戻してから見た野犬の眼が、瞼に映り忘れられないのだ。
止めを刺して、楽にしてやるべきだと葛藤する。……だが、出来なかった。もっと鋭い刃物が有ったなら、マチェットがもっと切れ味の良い刃物だったら。もっと技量が有ったなら! マチェットで、叩き切るのを躊躇う理由は有るのだろう。大して切れないマチェットでは、更なる苦痛を強いるのが明らかだった。――いや、違う! そんなのは言い訳だろう。綺麗に並べ立てた飾り言葉だ。……本当は、これ以上罪悪感を味わいたく無かっただけなのだから。
『カラ~ン……カラ~ン』
「っ! ……何だ? 何の音だ?」
止めを躊躇って辺りをウロウロしていると、何処からか鐘の音が鳴り響いた。遥か遠くから聴こえる音に耳を澄ますが……外では無く内側から、耳からというよりも脳内から直接という感じだろうか。遠いのに近くで、近いのに遠くから聴こえる不思議な音色であった。
言うなれば幻聴って奴が近いだろうか。何れにしても突然の出来事に困惑していると、瀕死だった二匹の野犬が息を引き取っており、朝日が顔を出した。
マチェットに付いた血を洗い流した後で、野犬の墓を掘ったが、謝る事はしない。傲慢かもしれないが、何かが違う気がしたのだろう。何が違うのかは分からない……ただ、分からないまま謝る位なら、忘れずに覚えていてやろうと考えたらしく、それは己の行いに真摯に向き合った結果であった。
尤も、強烈な体験はトラウマにもなりうる。人と眼を見て話せるのだろうか。今でも、思い出せば吐き気を催すだろう。吐きたいのに吐けない、いっそ出し切ればスッキリしそうなのに、それが出来ない。……嫌な気分だった。
朝食の気分では無い。気分を変える為、島の外周を廻ってみようと早速出発する。昼には戻って来れる予定であった。
先ず、東側に向かって歩く。昇る朝日がポカポカとして、嫌な気分を洗い流す様で気持ちが良い。昨日は、北側に向かった事もあり別の方角にしたのだろうが、深層心理が朝日に救いを求めたのかもしれない。そんな中、歩きながらふと鐘の音を思い出す。……あれは、何だったのだろうか。疑問に思い始めると、ある思考が頭を過る。
(まさか、とは思う。でも、この身体の事もあるしな……試してみるか?)
誰も見てはいないのだが、何となく周囲を見回し、その姿は気恥ずかしそうな雰囲気だ。何度も唾を飲み、緊張しているのが窺える。
(さあ、やる……やるぞ!)
「メニュー! ステータス! 状態! 地位? ウィンドウオープン! 後は、えっと……あっ!」
叫ぶ必要は、全く無い! 何故、叫んでいるのか知らないが、何と無く該当しそうな言葉を思い付く限りに羅列する。
結果は――
「やった、出たっ!」
《メニュー》
[ステータス] [スキル]
[アイテム] [称号]
[装備] [コンフィグ]
《ステータス》
名前 鈴木立志
性別 男
年齢 42
職業 放浪者
所属
種族 異世界人
レベル 2
生命力 300/330
魔力 ∞
力 16
体力 18
知力 23
素早さ 17
器用さ 29
運 21
魔素ポイント : 99999999
目の前に現れたのは、メニュー画面とステータス表示であり、まさかと思いつつも期待した物であった。そして、初めて表示された鈴木立志のステータスは、野犬との戦闘を経て既にレベルが上がっていたのであった。