秘密の呪い
私はある人に異常なまでに嫌われている。
睨まれるのは日常茶飯事、近づけばその美顔を歪められる。
今のところ粗相をした覚えは無いのだけれど。
私は侍女である。そして彼は世界屈指の王宮魔術師様。
接点と言えば同じ職場で働いている位しかない。
なのになんでこうも蛇蝎の如く厭われているのか。
だが彼は貴族に部屋へ連れ込まれそうになった所を助けてくれたのだ。
そんな件で私は彼の事を嫌ってなかったりする。というか好きみたいだ。
「森の魔獣退治と伺いました。
バルバストル様であれば支障ないでしょう。
でもどうかお気を付けて」
普段の様子から嫌われているのは知っていた。
でも私はどうしても我慢できず遠征へ旅立つ直前、見送りの言葉をかけてしまう。
それに返ってきたのはやはり鋭い眼差しだった。
この出来事が一ヶ月前の話。
先程、彼は森の魔獣退治から帰還した。
無事に魔獣は倒したらしい。服装は汚れていたものの五体満足だった。
それに安心したのは言うまでもない。毎夜祈ったかいがあった。
彼の強さは名だたる物とは言え、万が一の事がないとは言い切れない。
城へ戻ってきた彼は陛下へ報告し、それから……何故か私の前に居る。
「好きだ、リーン」
私の手を取ってそう告げるバルバストル様。
いつもは眉間に皺を寄せて明らかに不機嫌です!な顔をしているのに、
今は恍惚とした表情でうっとりと私を眺めている。
にしても顔が近い。吐息のかかる距離にあの美貌だ。心臓に悪すぎる。
ちなみに私は現在仕事中だ。
なので周りには掃除を営む侍女仲間がいる。
とち狂ったとしか思えない状況にもかかわらず、
みんな普通に自分の作業に取りかかっていた。ええー?
「どうなさったのですか、バルバストル様」
「ジギスヴァルト……いやジギルと」
「え?」
「名で呼べ、リーン」
舌噛みそう度は苗字も名前も変わらないので、
別にそれは構わないのですが。
いったいどういう風の吹き回しなんだ。
気のせいでなければ、まるで私に恋しているかのような熱視線。
嫌悪から一転。どうしてこうなった。
というか、私の嫌われっぷりを知っている仲間達が、
全く気にしてないのが怖い。なんで?
お願いだから空気のように扱わないで。異常事態ですよ?
これならまだ仕事しろと怒られた方がマシだ。
「ずっと好きだった。
好きだ、リーン。俺の妻になれ」
ぎゅっと握った手に力が込められる。
本当にどうしてこうなっているのだろうか。
私には見当も付かない。これは彼の顔をした別人なのか?
でもこれは彼としか思えない。侍女の直感なんて当てにならないだろうけど。
「こ、恋人からではいけませんか」
咄嗟にそう返せば、抱きしめられた。ひゃー!
ぱちぱちと周りから拍手が巻き起こる。見れば仕事仲間が一斉に。
さ、さっきまで総無視だったのに!結局なんだかんだで見てたのか。
にしても何故に拍手?え、なんで皆にこやかなの?
ぷっつん
頭の中でそんな音がする。
もうなんか思考が追いつかず私は意識を失った。
夢だと思った。だが夢じゃなかった。
次の日も彼は私に熱烈に迫ってきたのだ。
ついでを言うと、その次の日も、次の月も。
そうこうしているうちに三月が経った。
ちなみに私以外誰一人として、
この件に違和感を覚えていないらしい。
でもそんな私もまたこの状況に馴染みつつあった。
「……リーン」
離れた唇からひどく甘い声で名を呼ばれる。
頬に手を添えられ再び口付けられた。
こうして唇を重ね合うのは何度目だろう。
心底ではおかしいと思ってる。
だってあれだけ嫌われていたのにいきなり恋人なんて。
でも嬉しいのだ。どんな理由であれ、彼に好かれたのは。
デートを始め、手を繋ぐのも抱きしめられるのもキスも全部嬉しかった。
どうも私の好意は思った以上に強かったようだ。
彼が変わるまでは気付かなかったけれど。
「……愛してる」
「……私もです、ジギル様」
瞬間、抱き上げられた。
私を掲げる彼は満面の笑み。
ああ、なんて幸せなんだろうか。
この瞬間がずっと続けばいい。
……そうやって現実から目を背けたから罰が当たったのだ。
「の、ろい?」
「ああ。随分と厄介だねえ。
これだけ強力ならあのジギルがかかってもおかしくない」
その事実を告げたのはこの国一の呪術師様。
遠征から還ってきた彼女はジギル様を見て私を呼び出した。
そして教える。その原因を。
そういえばジギル様はあの遠征をきっかけに変わった。
となれば明確だったじゃないか。
魔獣との戦い。そこで何かがあった事は。
「反転の呪いさ。こんなに変わっちまったのは。
お前さんには悪いけど戻してやってもいいかい?
奴の本当の人格は出てこれないけど全部見てる。
おそらく羞恥で堪えているだろうからね」
反転。ああ、だから。
一番嫌いだった私を好きになってしまったんだ。
納得してしまった。だって明らかにおかしかったもの。
誰も言ってくれなかったけれど。
そうか。まやかしだったのか。
私を愛していたのは呪いのせい。
ううん、愛されてなんかいなかった。だって全て。
「はい、解いてください。呪術師様」
呪いでしかなかったのだ。
なんて残酷な呪いなんだ、私の心ごと消えてしまえばいい。
そんな願い叶うはずもない。
けれど私達は本来在るべき姿に戻ったのだった。
ここ数日、私は彼に避けられている。
それもそうか。理由は痛いほど分かる。
呪いのせいとはいえ、私如きに心奪われていたなど汚点だろう。
それが一番厭わしい女となれば尚更。
「ふ、ぅ、あっ……」
気付けば彼との思い出の場所へと足が動いていた。
そして漏らす嗚咽。だったら来なければいいのに。
初めて口付けをした庭。二人照れながらも微笑み合った。
でも、もうそんな日は訪れない。
知っている。でも涙は止まらない。どんどん零れる。
本当に酷い呪いだ。解けた後すらこんな苦しい気持ちにさせるなんて。
もう彼から呼ばれない、あの瞳に映される事もない。
当たり前の事だった。それこそが真実だった。
でもあの虚偽の日々は幸福すぎた。
「じぎるさまぁ……」
「なんだ」
目を見開く。声が聞こえたのは後ろ。
咄嗟に振り返ればそこには、忌々しげに私を見るその人。
もっと泣きじゃくってしまうかと思ったけれど、
すーっと頭の芯が冷えていく。
目を拭って姿勢を正し向き合った。
「……失礼しました。バルバストル様。
見苦しい所を」
声は震えていない。
ちゃんと侍女の態度で返す事ができたのだ。
だから走り去ろうとしたのに、腕を掴まれ逃げられない。
「お願いです、離して下さい」
「嫌だ」
「止めて下さい!」
立場も忘れて泣き叫ぶ。
腕を引かれ、抱きしめられた。
押しのけようとしても力の差は歴然。
「うるさい聞け。
呪われていた間、俺は恥ずかしくて死にそうだった。
毎日毎日ガラじゃない言葉に行動に。
だから解放されて助かった」
最悪な記憶なんだろう、語る声は羞恥に染まっている。
じゃあ何故、私を捕まえるのだ。
私が嫌いなら構わないで。もしかして仕返しの為?
ならお得意の魔術でひと思いにしてほしい。
抵抗する。でもやはり腕は離さない。
「言いたい事、やりたい事、全部駄々漏れとか、
他の奴等の生暖かい眼差しとか、
本当に何回悶絶したことか」
「……え?」
「おかげでお前と恋仲になった訳だが。
呪いがなければ何もできないままだった」
拒絶を覚悟していた私にかけられたのは予想外の言葉。
まるでそれじゃ、私との仲を喜んでいたみたいじゃないか。
涙はいつの間にか引いていた。恐る恐る私は尋ねる。
「呪いは……反転、ですよね。
だから大嫌いな私に告白、して」
「……反転したのは好悪じゃなくて理性だ。
それに嫌ってなんかいない、むしろお前から愛されて嬉しかった」
じゃあ、そう切り出そうとすれば唇を塞がれた。
いつの間にか腰に回されていた手に引き寄せられる。
そんな事をしなくても、もう逃げないのに。
「そこまで強い魔獣とは思えないが油断してたんだろう。
俺は確かに呪われていた。でもあの俺は嘘じゃない。
言葉も行動も全部俺の欲望のまま。
誤解させて悪かった……泣いてたのはそのせいか」
縦に首を振れば、すまなかったと彼は言う。
ここで素直に許すべきだろう。
もう悲しくもなければ怒ってもいない。けれど。
「もう一度、言ってください」
「何を」
「呪われてなくとも、いえ、解けた後だからこそ。
おっしゃってほしいのです、私への気持ちを全て」
ジギル様の顔が引きつった。徐々に赤らむ。
でも私は容赦しない。期待の眼差しで見つめる。
ぼそぼそと蚊の鳴くような声で彼は呟き始めた。
「……好きだ」
「はい」
「…………ずっと好きだった」
「はい」
「まだするのか」
「もちろん」
「………………リーン、愛してる」
「はい」
「もういいだろ!」
「足りません」
「おい」
お前な、とごにょごにょ彼は言う。
だって一番肝心な事言ってないじゃないですか。
わからないのならばとヒントを。
「『恋人からではいけませんか』」
「は?」
「私は何の言葉に対して、そう答えましたか」
「……そこまで言わせる以上、覚悟はついてるんだろうな」
私の問いにジギル様は真っ赤っか。
良かった。覚えてくれたらしい。
ならば話は早い。微笑んで彼を待つ。
「俺の妻になれ、リーン」
それに私は口付けで応えた。
「……にしても」
ジギスヴァルト=バルバストルは非常に優秀な魔術師だ。
魔術に関してはこの国でただ一人を除いて彼の右に出る者はいない。
でもあまのじゃく。否、奥手だった。とにかくヘタレだった。
更に無愛想かつ不器用なのも悪い。なまじ顔が良いのも余計に。口調も厳しい。
ただ素直じゃないが、客観的にはわかりやすい性格なのは救いだった。
だから彼の恋は王宮に住む者にとっては公然の事実。
その気性故に空回りしているのを見て、
周りの者達は随分やきもきさせられたものである。
なので呪いがかかって箍のぶっ壊れた彼を見て、
戸惑いよりも先に、やっと正直になれたのかと祝福した。
拍手と生温かな眼差しはそんな事情から。
「無茶苦茶するねえ、貴方様は」
呆れた顔で全てを知る呪術師は進言する。
それを受けた青年は苦笑い。
「放っておけなかったんだ」
そう呟いた青年は妃となった少女と、
本当の意味で結ばれるまでに一年もの月日を要した。
全ての原因は青年の不器用さ。
だから似ているジギルをつい手伝ってしまった。
「……貴方様らしいっちゃ、らしいけどねえ」
あの侍女と魔術師は勘違いしている。
させられている、といった方が正しいか。
呪いがかかっていたのは紛れもない事実だ。
でも呪術師は知っている。
ジギルは本当に秀でているのだ、魔術に関しては。
どんなに油断していた所で魔獣如きに呪われるヘマはしない。
そもそも理性の反転なんて呪い、魔獣は使わないのだ。
人間相手ならともかく魔獣はもともと本能の生き物。
使った所で戦況が変わる訳がないのだから。
万が一使うにしてもあんな風に手加減はしない。
本音暴露ぐらいでは済まない。ケダモノになるまで落とす。
よって本当に魔獣の犯行ならば、彼は真っ先に愛しい娘を襲いに行っただろう。
なのに、そうならなかった。彼は侍女より前に報告へ向かった。
己が唯一敵わぬ、最高の魔術師である青年と。
忠誠と信頼を寄せるその人だから騙された。
呪いとは本来、貶めるもの。こんな風な使い方ができるのは人間だけ。
「言わないでくれるか?」
「ああ、秘密にするよ。
……優しい呪いだなんて本当に貴方様らしいねえ、陛下」
呪術師の言葉に、蒼の王は静かに微笑んだ。
という訳で黒幕はあの人でした!きっかけ大事!