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竹の花

作者: やづき

その駅で誰かが乗り降りするというためしはほとんどない。

稀に風呂敷包を抱えた老婆などが降りてゆくからもしかしたら村でもあるのだろうか。

ドアが開き、締まる、その数分間は何とも言えない空虚なものだ。

その駅に足を付けたときの乗客の視線は稀有なものを見るようなもので、それをよく覚えていた。覚えていたのに何故降りたのかわからないのだ。

深刻ではない人生の退屈や、日常への混沌とした慣れが自分を幼子の冒険遊びのような戯れに誘ったのだろうか。歩きつつ思考は冷静だ。

しかしもってこの駅は不可思議なものである。

改札に相応しい入口はあるものの自動改札などがあるはずもなく、銀の鋏を持った駅員が居るわけでもない。この手の中の切符をどうしたものか。

よく考えれば帰りの切符すら売っていない。手の中の切符の降車駅もここではない。

まったくわけのわからない。

よく考えればこの駅の名すら知らないのだ。知っているはずなのに覚えていない。思い出そうとするたび手から擦り抜けて行く。

わけがわからない。

誰もいない改札を抜け、町に降り立つ。

土埃のあがる一本道は青竹の葉がしなり空を塞ぐ。青い光が筋になって差し込んでくる。

行き当たった叉路は片側は今立っている道、駅へ、片側は村へと続いているらしい。本道はまだ先へ。

どちらにいくのか考えながら足は本道へ進んで行く。竹が道を空けている、草が道を譲る。それだけが道である証だ。

人が歩いた場所が道というならば、これを何と言えばいいのか。

視界の先には常に鬱蒼と繁る竹林。余りに青々としているから、それが生け垣に変わったことも目の前に来るまでついぞわからなかった。

「ごめんください!」

平屋の扉に呼び掛けるが返事はない。ところが縁側に目をやると佳人が座っている。

「さっきから居ましたか?」

「……」

返事はない。

「ごめんください。なにやら道を違えてしまったようなのですが…」

さてなにを言うつもりだったのか。言葉に詰まる男の前で佳人は口許を緩めた。

ぽつり、ぽつり。

頬に掛かる暖かい雨。見上げれば晴天に淡くかかる雲。

「にわか雨に打たれています、雨宿りさせて頂けませんか。」

佳人はすんとも言わず屋内へ入ってゆく。佳人は口がきけないのであろうか。後ろに結い上げた黒髪と薄紫陽花の色をした着物、白磁の肌が瞼に残る。

無言で出てきた佳人はひざ元を気にしつつ座り座布団を縁側に敷く。

「雨に濡れました。座布団など使えません。」

小さく首を横に振る佳人の頬に垂らした黒髪が綺麗だった。

「では……」


物言わぬ佳人との語らいは何とも甘美なものだった。

男は様々を語り、佳人は大学などのことはわからぬようだったが、時折笑顔を見せた。

「何故このような場所にお一人で住んでおられるのです。あの叉路の向こうには村もあるのでしょう。」

佳人は首を横に振る。

「行きたくないと?待ち人が?」

こくりと頷いた佳人を見て、男は残念な心地を覚える。

「……俺は帰らないといけません。」

立ち上がる男の上着を細く白い指が掴む。

「佳人さん、お待ちの方に宜しく。」

上着を固く握り首を横に振る佳人に男は困った顔を見せる。竹林の佳人を悲しませてはならない。

佳人は縁側に座り直した男の首に腕を絡める。

「あなた様でございます。狐の嫁入るがその証。」

鈴のなるような声。

「……ああ、アヤカシでしたか…」

男は呟いた。何者が男の身の中に居るのか。佳人の悲しい本性が男には見える。

「あい。わたくしは銀狐でございます。

あやかしと言いましても霞を喰らい竹林に眠るもの。力は脆弱話すことと化をとることもできません。

ましてあなた様を取って喰らおうなどという浅ましい者ではございませぬ。」

男は困惑し首を振る。

「私は人。種族は越えられません。」

「人もあやかしも魂に違いがございましょうか。

わたくしはあなた様のあにまを捜し千年ちとせを生きたもの。

どうしてここでお別れ致しましょう。」

黒曜の瞳からぽろりぽろりと銀の涙が落ちた。

佳人はもはや人の形を留めてはいない。銀狐がただうずくまるばかりである。

「いいえ致し方ないこと。現世うつせにはあなた様にも柵もえにしもございましょう。わたくしの身勝手な宿命があなた様を苦しめるわけには参りません。」

男の内なる声は千年の定めのものだったのか。佳人銀狐が今はただ哀れに愛しいばかりである。

「佳人さん名前を教えてください。千年の定めに沿うのに名も知らないではもとないことです。」

「あい。オウカと申します。」

「俺はタケトです。」

男が笑う。銀狐が静かに口許を緩ませた。



ふらりと駅を降りた大学生が、狐塚の横で微笑みを称え永久の眠りについているのを見つけたのは村の巡査であった。

晴天から暖かい雨が降り注ぐ昼下がりのことである。

千年を越えそのアニマは天を翔けたのである。



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