初日
津村杉太は借りた部屋に改めて唖然となった。
駅から歩いて35分、築45年、風呂なし、古いエアコン付で3畳2万5千円は多摩地区でも格安のアパートではある。
今までいた野球部の寮がいかに快適な環境であったかを痛感する。
16歳にして初めての一人暮らしに挑むことになり、これからのことを思うと不安になる。
野球漬けの生活から一変、戦闘に特化した生活に完全に移ったことも心の均衡を乱す。
とはいえこれで大きなイベントが終了したのを強く感じた。
「探索者申請に野球部退部、引っ越しに数々の探索者に必須の講義受講に手続き。本当に大変だった……」
津村はここ1カ月の事も慌ただしかったと感慨に至る。20近くの書類を読み込んでサインし、役所などにも足を運ぶ作業は精神的に厳しかった。
いや初めてのことばっかりでしんどかった――そう考えたが思えば、野球部に入るまでもが平たんではなかったのを回想する。
これまでも十分に波乱に満ちていたと思う。
スカウトされ親元を離れての越境入学、1年で先輩の怪我でベンチ入りで春の甲子園に出場――しかし夏ではレギュラーどころかベンチ入りもできず、秋の地方大会でも同様であった。そして春季大会でも構想から外れていると監督に言われ、引退を決めたのだ。
探索者への申請はスムーズだった。すでに15歳の時に適正検査を受けて探索者としての合格判定をされていた。
ただ野球部の退部は簡単だったとは言えない。
津村の転進に野球部の半分が不快感を示したのだ。野球特待生で入ったにも関わらず、ベンチ入りできなかったとしても丸一年で部を辞めるのは無責任だという声が多い。
正直、これはキツかった。
津村も野球が嫌になったわけではないのだ。
ただ経済的にいってこれから先は非常に厳しいので、津村に取れる選択肢が探索者しかなかったのである。
父が会社をリストラされ、母の臓器の病気が再発していた。妹2人が大学に行くとなると津村が野球を続けるのは難しいのだ。
津村クラスの実力では社会人野球やプロ野球の育成枠に入るのは厳しいのが現実である。
野球部員で高校・大学からプロになれる確率は、合計55000人から換算すると0.16%というとんでもなく残酷な数字が出る。
そのうち10年以上プロ野球選手でいられる者は4割を切るという。
野球技術をお金にするのには、とんでもない才能と努力と強運が必要なのだ。
特待生の後の野球人生は金銭的にとてもハードルが高い。
その点、探索者はハードルは低い。
政府の探索者支援制度が充実して魅力だったのも大きかった。
1999年、地球の各地が同時多発で次々とファンタジー世界とリンクしたのである。
突然、妖精のいる森やオーガの砦が出現し、大きな混乱を巻き起こした。
そして数年でファンタジーな場所は変化していき、ダンジョンに変化して地下に伸びていったのである。
ダンジョンには地球には存在しなかったマテリアルやエネルギー素材が溢れているので、各国は開発に力を入れていく。ダンジョンを開拓する探索者を増やすことを国策にした国は少なくない。
日本は他国に比べて探索者が不足しており、その為に政府が探索者育成に昨年から大々的に力を入れていたのだ。
「よし! 初探索に行くか。いや、行こう!」
気鬱を祓うように津村は小さく言う。
探索には気軽に行ける状況だ。このアパートを借りたのは自転車で学校まで25分、下小山田ダンジョンまで30分の場所にあるからだ。
下小山田ダンジョンは全13階層の中規模のダンジョンで全国では17番目の難易度に指定されていた。
外に出た時に強烈な北風が吹く。3月下旬の強い寒さ「寒の戻り」が厳しい。
「寒い! 自分には風邪をひく贅沢はできない」
そこでウィンドブレーカーを取り出して羽織る。
がウィンドブレーカーの背には「伊江慶学園高校野球部」と書かれていた。退部したのに支給品を使うのは気が引けるが、まさに背に腹は代えられない。
現在、津村の財布には2454円しかなく、これで後8日間過ごさなくてはいけないので貧窮状態だ。
そこで頼りにしているのがダンジョン施設である。
食堂に400円の定食がABCとあり、ご飯・味噌汁・生卵・お漬物がおかわり自由で、一回で限界まで食べる予定であった。つまり一日の必要カロリーを一回で回収しようと目論んでいた。
また配信参加料も前払いしてもらえるよう交渉して、前向きな回答をもらえている。
ダンジョン施設は仮眠施設も、シャワー設備も、洗濯機も探索者ならば無料で利用できるので、最大限に利用する予定だ。要は探索者支援のサービスをフル活用する気なのだ。
日本ダンジョン協会の管轄の下小山田ダンジョン施設はコンクリートの城塞といった外観である。
かつてワイバーンの巣があり、自衛隊が大規模な攻撃を行った経緯もあり、全体的に物々しい雰囲気が立ち込めていた。
更衣室や食堂・カフェなどの福祉施設は2年前に新設されており、スポーツジムのような感じに映る。実際に5分離れた小学校をリニューアルした施設には探索者用の無料トレーニングジムもある。
中に入る時にまずは探索者カードを読み取りリーダーに当て、入館する。
すぐに受け付けに行き、今日の要件を伝える。
「津村杉太です。F級で今日が初探索になります」
受け付けの20代前半の女性がほほ笑み、探索者カードを受け取り、リーダーに置いて端末を操作する。
「はい、承りました。全ての講習・基礎指導を受けていますね。うん、ステータスビジョンも得ていますね!」
「はい! 取得しています」
ステータスビジョンとは、ダンジョンの中で頭の中にナビゲーション情報を浮かべる魔法技術である。主に魔法の術式を操るスキル保持者の魔法によって授かるのだ。探索者は講習の際にステータスビジョンを得ることは必須となっていた。
「今日は単独でダンジョンに挑まれますか?」
「はい、それでレンタル装備を希望します。あと配信を希望し、配信機材レンタルもお願いします」
「承知しました。レンタル装備利用は四カ月間までということは知っていますか?」
「はい。ですので週6で通う予定です」
「了解です。では購買部でレンタル装備・配信ドローンを受け取ってください。特殊武器希望の場合はこちらで受け付けますが――」
「ロングソードを希望します」
「はい。あと念のために行っておきますが、初心者なのですからダンジョンポータルには絶対に触れないでくださいね」
「講習で何度も聞きましたので大丈夫です」
「最後に一言、ヒールポーション、魔力回復ポーションは1本ずつ持っていってください」
「……は、はい」
「はい、では良いスキルが手に入るように祈っていますね!」
「はい、ありざっす!!!」
そういって津村は体を100度に曲げて頭を下げた。
顔を上げると受付嬢はびっくりし、目を丸くしていた。
野球部でいつもやっている挨拶だったが、面食らっているのが伝わる。
津村は今度は控えめにお辞儀をしてから、返却された探索者カードを受け取って、更衣室に向かった。




