ダンジョンの底なし沼にハマった件
アイアンウルフを倒した翌日から、蓮は2階層に通い詰めた。
三日もすれば2階層のモンスターにも慣れた。ゴブリン、アイアンウルフ、ロックリザード——アナライザのデータベースは順調に膨らんでいく。分析速度はさらに上がり、いまでは敵を見た瞬間に弱点が表示される。
「本日の収益、487ルト。過去最高です」
「いい感じだな。もう2階層じゃ効率が頭打ちか」
「データ的にはそうなります。2階層のモンスターは既にほぼ全種を網羅しました」
蓮はギルドの掲示板を見ながら考えた。
3階層の情報はまだ少ない。掲示板にはDランク以上向けの依頼が並んでいるが、3階層産の素材はどれも高値だ。闇石、夜光苔、バットの翼膜——2階層のドロップ品とは桁が違う。
「効率を考えるなら、深い階層に行った方がドロップがいい。リスクはあるけど」
「マスターの現在の戦力では、3階層のリスクは高めです。推奨しません」
「でもさ、お前の分析があれば何とかなるだろ。2階層のアイアンウルフだって倒してきたんだから」
「アイアンウルフは単体でした。3階層では群れで出現するモンスターが確認されています。質的にも量的にも、対応が困難になる可能性があります」
「大丈夫大丈夫。いざとなったら逃げればいいし」
アナライザは何か言いたそうに口を開いたが——結局、いつもの一言で締めた。
「……了解しました」
* * *
3階層に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
光がない。1階層や2階層にはあった松明の灯りがほとんどなく、蓮が持ち込んだランタンの光だけが頼りだった。天井は高く、岩肌がゴツゴツとした洞窟のような地形が広がっている。足元には苔むした岩が転がり、水滴が落ちる音が反響していた。
——嫌な予感がする。それは前世で「このプロジェクト、炎上するな」と直感でわかるあの感覚に似ていた。
「環境分析」
「気温低下。湿度八十パーセント以上。視界はランタンの有効範囲——約五メートル。音響パターンから推測すると、この階層は広大な洞窟構造です。マスター、視界が悪い環境では奇襲のリスクが——」
「わかってる。慎重に行く」
蓮は壁に沿いながら進んだ。
十分ほど歩いたところで、最初のモンスターに遭遇した。天井にぶら下がった黒い影——コウモリのような姿だが、体長は人間の腕ほどもある。岩のように硬い体表からロックバットという名がついている。
「分析」
「対象:ロックバット。脅威度:D下位。単体であれば対処可能——」
アナライザの声が途切れた。
天井を見上げた蓮の血の気が引いた。
一体じゃない。三体でもない。天井の暗闇の中に、赤い目が無数に光っていた。ざっと数えて——十五体以上。
「アナライザ……あれ全部ロックバットか?」
「はい。確認できる個体数——十七体。群れです」
十七体。同時に襲ってきたら詰む。
「全部分析しろ。個別に弱点を——」
「警告」
アナライザの声がいつもと違った。硬い。
「同時分析対象が私の処理上限を超えています。十七体の個別分析は——実行不可能です」
蓮の思考が一瞬、止まった。
「……できない?」
「はい。現在の処理能力では、同時に分析できる対象は最大三体です。十七体を順次分析する場合、推定所要時間は四分以上。群れの攻撃速度を考慮すると——」
「四分も持たない」
「はい」
天井のロックバットたちが、一斉に蓮を見た。侵入者を感知したのだ。
甲高い超音波のような鳴き声が洞窟に反響した。
「全個体が戦闘態勢に入りました。マスター、撤退を——」
「もう遅い! 来るぞ!」
ロックバットの群れが天井から雪崩のように落ちてきた。
* * *
蓮は走った。
考えるより先に体が動いた。狭い通路に飛び込み、頭上からの急降下を岩陰でやり過ごす。だが群れは追ってくる。暗闇の中で翼の羽ばたきと超音波が反響し、方向感覚がおかしくなりそうだ。
「アナライザ、一番近いやつだけ分析!」
「了解。直近の個体——攻撃パターン:急降下噛みつき。回避方向:左」
左に転がる。岩に爪が食い込んだ。蓮は短剣で反撃するが、ロックバットの体表は名前の通り硬い。刃が弾かれた。
「硬い! 弱点は!」
「翼の付け根の薄膜部分。ただし——次の個体が来ます。右上!」
しゃがむ。頭上を別のバットがかすめる。続けて三体目、四体目。
「処理が追いつきません。マスター、私は——」
アナライザの声にノイズが混じった。処理限界だ。AIにも限界がある。それを蓮は今、身をもって思い知っていた。
——前世なら。
走りながら蓮は歯を食いしばった。
前世でも同じことがあった。大量のタスクを一度にAIに投げると、処理が遅くなったり、精度が落ちたりする。そういう時、どうしていた?
——一括じゃなく、分類するんだ。
前世のプロンプトエンジニアリングの基本。大量データを扱う時は、まず分類して、グループ単位で処理させる。個別に一つずつ見せるのではなく、パターンで括る。優先度をつけて、重要なものだけ詳細分析する。
「アナライザ!」
「は、はい……」
「指示を変える。全部を個別に見なくていい。種別でグルーピングしろ。ロックバットは全部同じ種族だ。行動パターンを個体ごとじゃなく、群れ全体で分析」
「群れ全体……?」
「そうだ。群れの行動パターンに法則があるはずだ。あと攻撃の優先順位を決めろ。脅威度が高い順にソートして、上位三体だけ詳細に分析してくれ。残りはグループとしてざっくりでいい」
沈黙が一秒。
「……新しい処理方式を受領。分析アルゴリズムを再構築中——」
アナライザの瞳が今までにないほど強く光った。光の粒子が彼女の周囲を渦巻き、まるでシステムが再起動するように——
「——バッチ分析モード、起動」
空気が変わった。それは確かに「変わった」としか言いようがなかった。アナライザの声から先ほどのノイズが消えた。クリアで、正確な声が蓮の耳に響く。
——お前、進化したのか。
「群れの行動分析完了。結果を報告します。この群れには統率個体が存在します。体が二回りほど大きい個体——現在位置、左上方七メートル。統率個体が鳴き声で群れの攻撃パターンを制御しています。統率個体を排除すれば、群れの連携が崩壊し、個体が散り散りになります」
「リーダーを潰せば瓦解する——ゲームでよくあるやつだ。リーダーの弱点は?」
「詳細分析中。完了。統率個体の翼膜は通常個体より薄く、投擲武器で貫通可能。さらに——鳴き声を出す際、〇・八秒間の硬直があります。その間は回避行動が取れません」
「鳴いてる隙に翼を狙う。シンプルだな」
蓮は足元の石を三つ拾い上げた。短剣では届かない。だが石なら投げられる。
「アナライザ、リーダーの次の鳴き声のタイミングを予測してくれ」
「了解。予測モデル構築中——三秒後に鳴きます。二、一——今です」
洞窟の上方で、一際大きなロックバットが翼を広げて甲高い声を上げた。
蓮は石を投げた。
狙いは翼の付け根。アナライザの分析が指し示した一点。
石は闇を裂いて飛び、リーダーの薄い翼膜を突き破った。
リーダーが悲鳴を上げた。バランスを崩し、天井から落下する。蓮はそこに飛び込み、露出した腹部に短剣を叩き込んだ。
リーダーが光の粒になって消えた瞬間——残りのロックバットたちの動きが変わった。
統制が消えた。
群れはバラバラに散り、洞窟の奥へと逃げていく。数体がパニックを起こして壁にぶつかり、自滅していった。
「統率個体の排除を確認。群れの組織的攻撃が崩壊しました。残存個体は散開中。脅威度——大幅に低下」
「よし……よし!」
蓮は散開した個体を一体ずつ仕留めていった。統制を失ったロックバットは単体では大した脅威ではない。アナライザのバッチ分析が残存個体の動きを群れ単位で追い、効率的な掃討ルートを提示してくれる。
十五分後。洞窟は静かになっていた。
足元に散らばるドロップアイテムの山を見て、蓮は思わず声を上げた。
「すごい量だな……」
「ロックバットの翼膜十二枚。コモン素材。闇石三個。アンコモン素材。そして——」
アナライザが一つのアイテムを指し示した。
小さな銀色のイヤリング。暗闇の中で淡く光っている。
「エコーの耳飾り。レアリティ:レア。装着すると聴覚が大幅に強化され、暗所でのモンスター感知範囲が拡大します。リーダー個体からのドロップです」
「レア装備か!」
蓮はイヤリングを手に取った。装着すると、世界が変わった。今まで聞こえなかった水滴の反響、遠くの壁を這う虫の足音まで聞こえる。
「これ、すごいな……暗い場所で目の代わりになる」
「この階層の攻略に最適な装備です。運ステータスAが寄与しているのかもしれません」
さらに、リーダーの核も回収した。アンコモン素材だが、用途次第では高く売れるだろう。
「アナライザ、今日のレポート」
「本日の戦果。ロックバット討伐:十五体。獲得素材:翼膜十二枚、闇石三個、エコーの耳飾り一個、リーダーの核一個。総換金額——推定1,580ルト。昨日比、約340パーセント増です」
「340パーセント……!」
「ただし——」
蓮はアナライザを見た。
「ただし?」
「マスターが無謀でなければ、もう少し安全に達成できました。群れへの突入は、本来であれば事前偵察を行ったうえで——」
「……はい。すみません」
蓮は素直に頭を下げた。調子に乗っていた。アイアンウルフに勝って天狗になっていた。もしアナライザが処理限界に達した時に、あのプロンプトを思いつけなかったら——今頃コウモリの餌だ。
「でもさ」
「はい?」
「お前、新しいモードを覚えたじゃないか。バッチ分析。あれ、お前が自分で構築したんだろ?」
「……いえ。マスターの指示を受けて、私の処理アルゴリズムを再構成しただけです」
「それが"成長"ってことだよ」
アナライザは黙った。
「俺のプロンプトの質が上がれば、お前の能力も広がる。お前が強くなれば、俺はもっと的確な指示を出せる。——いいコンビじゃないか」
「……合理的な共生関係ですね」
「そうそう。合理的なやつだ」
蓮は笑いながらダンジョンの出口に向かった。
* * *
ギルドに戻ると、リリアが目を丸くした。
「3階層をソロで……? しかもこの討伐数……Fランクの方が単独でロックバットの群れを?」
「運が良かっただけですよ」
「運だけでは済まないと思いますが……」
リリアは蓮をじっと見つめた。何か考え込んでいるようだった。
「……神崎さん。もしよろしければ、近いうちに昇級試験をお勧めします。この実績であれば、Eランクどころか——」
「はい、はい。また今度」
蓮は換金を済ませて、エコーの耳飾りを装着したままギルドを出た。
夕暮れの街で、蓮は耳飾りの効果を確かめるように立ち止まった。遠くの酒場のざわめき、路地裏の猫の足音、ダンジョンの入口から吹き出す微かな風の音——。
「アナライザ。今日学んだこと、まとめてくれ」
「了解。本日の教訓を三点にまとめます。一、単体と群れでは対処法が根本的に異なる。二、AIの処理能力には限界があるが、指示の出し方を変えることで限界を拡張できる。三——」
「三?」
「身の程知らずな挑戦は、高い代償か、大きな成長のどちらかをもたらします。本日は後者でしたが、次回も同じとは限りません」
「肝に銘じておくよ」
蓮は苦笑した。
AIに説教される人生は、前世と変わっていないのかもしれない。




