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魔王■殺  作者: s
4/6

覚醒


鐘の音が、祝福に聞こえない。




手の甲が光る。


神官が俺の腕を掲げる。


歓声が上がる。


花びらが舞う。




何度見ても同じ始まり。何度目でも同じ顔。




――この先も同じだ。




俺は腕を引いた。


「ゆ、勇者さま?」




神官の手が空を掴む。どよめきが広がる。


それでも構わない。今は、息ができない。


 


俺は人波を押し分けて、大聖堂の裏へ回った。


石壁が冷たい。影が深い。鐘の余韻が遠くなる。


手の甲の紋章が、まだ光っている。


 


こいつだ。


 


ここに引き戻される場所。


俺を“勇者”に縛るもの。


 


吐き気がする。


俺は息を吸って、聖水盤の前に立った。


白い石の鉢に、水が静かに張られている。


祈りの水。浄化の水。


 


手を突っ込む。


冷たい。


その冷たさが、皮膚の表面じゃなく骨の奥まで刺さる。


 


俺は紋章を擦った。爪で、強く。 


水の中で光が揺れる。消えない。




擦る。


擦る。


痛い。


爪が割れそうになる。


消えろ。


消えろ。


 


紋章が、脈を打った。


 


――ドクン。


 


心臓じゃない。


手の甲が、手の甲の奥が、鼓動している。




世界が、きしんだ。


音が伸びる。鐘の余韻が引き延ばされる。


大聖堂の白が灰色に滲む。空の青が黒に落ちる。


 


水面に、別の景色が映った。




黒曜の床。


欠けた柱。


溶けた彫刻。


玉座。


魔王城。


 


息が止まる。


鉄の匂い。血の温度。剣が床を転がる高い音。


掴んだ手首の冷たさ。信じられない重さ。


 


そして、あの感覚。


 


心臓が裏返る。肺が縮む。視界が反転する。


音が途切れる。色が抜ける。熱が消える。


 


終わり。


始まり。


終わり。


始まり。


 


断片が、杭みたいに打ち込まれていく。


一つじゃない。二つでもない。数えきれない。




俺は水盤の縁に手をついて、喉を鳴らした。 


吐きたいのに吐けない。


 


(……俺は)


(俺は、何回――)




頭の内側で、誰かが笑った。




『遅い』


俺の声だ。


でも、今の俺じゃない。




景色が割れる。


玉座の間。


俺は剣を構える。


光が薄くなる。


魔王は詰めてこない。


俺が叫ぶ。踏み込む。掴む。




そして。




魔王が、剣を抜く。


自分の喉に当てる。


刃が走る。


赤が弾ける。


 


「……っ」


声が出ない。


喉が、凍ったみたいに動かない。




次の断片。


魔王の胸が、内側で光る。


弾ける。音もなく、炎もなく。血だけが黒く散る。




次の断片。


魔王が笑う。笑っていない目で。


次の瞬間、膝から崩れる。




どれも同じだった。


 


俺が殺したんじゃない。


魔王は、俺に殺されていない。




全部、自分で終わらせていた。


その事実が胸に落ちた瞬間、今まで溜めてきたものが一気に噴き出した。


 


怒りが来た。


次に恐怖が来た。


その次に、吐き気が来た。


そして、最後に――理解が来た。


 


魔王は、俺を殺せる。


でも殺さない。


俺が近づくのを待って、最後に自分で終わらせる。


それは偶然じゃない。癖でもない。


手順だ。




(なんで……)


口を開いても声が出ない。




(なんで、お前が……)


 


魔王の目が、あの一瞬だけ揺れる。


言葉にならない疲れ。長い長い疲れ。


その揺れが、今なら分かる気がした。




壊れてない。


壊れかけてるだけだ。まだ、選んでいる。


 


断片が最後にひとつだけ、形になった。




玉座の前に立つ“俺”の背中が、いつの間にか黒い外套を纏っている。


それを見た瞬間、喉の奥に嫌な納得が沈んだ。




……逃げ道は、最初から用意されている。


俺のために。




胸の底が抜けた。


拒絶が湧いた。


叫びたかった。


殴りたかった。


逃げたかった。




でも、その言葉は知っているという感覚と一緒に来る。


 


知らされるんじゃない。思い出してしまう。


 


――俺は、魔王になる。




それが逃げ道として用意されている。


膝が落ちた。石畳が冷たい。水が肘を濡らす。


息が浅い。視界が揺れる。


 


泣きたかった。


でも泣きたいのは俺じゃない、と思った。


 


泣くべきなのは


これから先の、誰かだ。


 


俺が魔王になって、また勇者を生む。


また誰かが、あの最上階に立つ。




手の甲が、また脈を打った。


まるで「当然だろ」と言うみたいに。


 


ふざけるな。


唇が震えた。


 


今度は声が出た。


「……ふざけるな」


 


俺は立ち上がる。脚が笑ってるのに、立った。


水が床に落ちる。冷たい音がする。




魔王のもとへは行く。


だが、用意された手順には乗らない。


次は、あいつが剣を抜く前に、止める。




そして、この仕組みの喉元を掴む。


 


鐘が鳴る。


祝福の音のはずなのに、今日ははっきり分かった。


 


これは、始まりの音じゃない。


檻の鍵が閉まる音だ。


 


水で濡れた手を握り締めて、歩き出した。




俺は――誰かの犠牲で回る世界なんて、絶対に認めない。

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