燃える心
伊東英が、安アパートを出て向かった先は、街外れの配送センターだった。
契約社員として働くその職場も、いつまで続くか分からない。
それでも、他に行く場所はなかった。
道端の自販機の明かりがちらつく。
通り過ぎる人々の顔はどれも疲れていた。
誰もが、今日を生きることで精一杯だった。
信号が青に変わる。
その瞬間だった――。
空気が震えた。
低く、地の底を這うような唸りが耳を突く。
次いで、爆ぜるような音が街の中央から響いた。
「……なんだ?」
英が顔を上げた先で、ビルの一角が崩れ落ちていた。
人々の悲鳴。逃げ惑う群衆。
何か巨大な影が、建物の間をゆっくりと這っている。
それは――人の形ではなかった。
四肢とも呼べぬ巨椀のような触手をもち、黒い靄を纏った異形の生物。
岩のような外殻と、内側で光る紅い核。
《星外種》、塔の出現以降、幾度もニュースで見たその存在が、いま目の前にいた。
英は咄嗟に身を引いた。
瓦礫が降り注ぎ、地面が震える。
人々が逃げる中、英は動きを止めた。
視界の端――。
崩れかけた歩道橋の下で、ひとりの少女が立ちすくんでいた。
泣き出すこともできず、ただ星外種を呆然と見上げている。
英の心臓が、ひとつ大きく跳ねた。
――妹に、似ていた。
かつて病に倒れた妹。
看病のために働き詰めになり、過労で倒れ、この世を去った母。
十八の誕生日の夜、病室で妹の冷たい手を握ったとき、英の中で何かが壊れた。
それ以来、彼は「生きる」という行為に意味を見出せず、ただ死んでいないだけの屍だった。
だが、いま。
目の前で、妹に似た少女がまた死に飲み込まれようとしている。
「……クソッ!」
英は考えるより先に動いていた。
瓦礫を踏み越え、少女の前に飛び出す。
星外種の影が襲い掛かろうとする中、英は反射的に鉄パイプを拾い上げ、振りかざした。
乾いた音とともに衝撃が腕を走る。
当然、効くはずもない。
「こっちだ……来いよッ!」
星外種の紅い瞳が英を捉える。
全身の血が凍る。
逃げる暇もなく、触手がが地面を叩く。
衝撃で身体が宙を舞い、背中が壁に激突する。
骨が軋み、息が詰まる。
それでも英は、必死に立ち上がった。
「なにを……やってんだ、俺は……」
笑うように呟き、血を吐く。
もう一度、星外種が動いた。
巨大な触手が振り下ろされる。
その瞬間――。
眩い閃光が、瞬いた。
轟音とともに星外種の触手が爆ぜ、黒煙が空へと散る。
そこに立っていたのは、一人の女性だった。
黒いコートを翻し、手には光を帯びた剣のような武器。
黒髪が炎の中で輝く。
その瞳は、真っ直ぐに星外種を射抜いていた。
「大丈夫?」
短くそう言うと、彼女は再び前へ踏み出した。
風が巻き、地面が震える。
彼女の身体から淡い光があふれ出し、空気が震動する。
――EXTEND。
英は息を呑んだ。
テレビ越しでしか見たことのない存在が、
いま目の前で、現実として動いている。
星外種が咆哮し、彼女が剣を振るう。
一瞬で間合いを詰め、核を貫いた。
光が弾け、怪物が崩れ落ちる。
静寂。
煙の中に立つその姿は、まるで幻のようだった。
英は膝をつきながら、その背中を見つめていた。
力強く、美しく、そして――憧れた。
「……綺麗だな」
誰に聞かせるでもなく、呟いた言葉が唇を震わせた。
その瞬間、胸の奥に、
長い間凍りついていた何かが、静かに火がついた。
英は気づいていた。
――もう一度、生きたい。
彼女のように、誰かを救える人間になりたい。
それが、この灰色の空の下で、
初めて心にともった“光”だった。




