魔王軍四天王のみんながやたら過保護です
「人という種族ながら、魔王に手を貸す呪われた魔女め!」
勇者の剣が胸を貫いた瞬間、リディアの体から力が抜けた。
――魔王軍四天王のひとり、リディア。
彼女の熱い血が大地に滲んでいく。
(……ここまでか。けれど、同じ人間である勇者パーティー四人と、ここまで戦えたのなら悔いはない)
黒い髪と瞳、白い肌。血の赤はその姿をひときわ鮮烈に染めていた。
「……ああ、魔王様。せめて最後に役立てたのなら、それで……」
彼女は規格外の魔力を持って生まれたがゆえに“呪われた子”と呼ばれ、迫害され続けてきた。
居場所を失ったその時、魔王が差し伸べてくれた手。
その恩を返せたなら――悔いはない。
静かに目を閉じ、死を受け入れる。
だが――いつまで経っても首は落ちてこなかった。
(……おかしい。なぜ……?)
重たい瞼をわずかに開く。
勇者パーティーが蒼白な顔で後ずさっていた。
その視線の先――彼女の背後に立っていたのは。
銀毛を揺らす獣人の武神フェンリス。
白衣めいたローブを翻すダークエルフの少年ルキアン。
ワインレッドの長髪をなびかせ、赤い瞳を輝かせる吸血鬼ヴェリスティア。
リディア以外の、魔王軍四天王。
「な……なんでお前たちがここに……?」
勇者の声が震える。
リディアの心臓も、大きく跳ねていた。
「なんでって……そちらは四人、こちらも四人。数が合わなきゃ不公平だろ?」
銀毛を逆立て、フェンリスが鼻を鳴らす。
「フェンリス、それ……たぶんそういう意味じゃないと思うよ」
冷静な声でルキアンが突っ込む。
「何にせよ、今はリディアを助けるのが先決」
ヴェリスティアは艶やかな笑みを浮かべ、膝をついてリディアの傷口に顔を近づけた。
「ヴェリスティア……何を……?」
リディアが声を絞り出すと、彼女は真剣な眼差しで囁く。
「安心するがよい。わらわが血を吸えば、リディアも吸血鬼になり、この傷も癒える」
「馬鹿言うな! 俺がポーションを飲ませる!」
フェンリスは大瓶を構える。
「非効率だ。僕の延命装置を試すべきだね」
ルキアンはいつの間にか複雑な器具を組み立てていた。
「……みんな。気持ちは……嬉しいんだけど。落ち着いて……」
リディアの声は弱々しく震えたが、その眼差しだけは真剣だった。
勇者たちは顔を見合わせ、怯えきった声を漏らす。
「な、なんなんだ……この四天王ども……」
「俺たち、どうすれば……」
「――勇者どもはもう用済みだ。とっとと退場してもらおう」
フェンリスが唸ると、ルキアンとヴェリスティアが同時に詠唱を始める。
「な、待っ――!」
勇者パーティーは転移の光に呑まれ、瞬く間に姿を消した。
残された戦場には、瀕死のリディアと、彼女を囲む三人だけ。
(……どうして。どうしてみんな、ここに……?)
リディアは朦朧とする意識の中で、必死に声を絞り出す。
「……説明して。何があったの……?」
三人の視線が交わる。
そして、互いに覚悟を決めたように口を開いた。
「リディア。俺たちは……転生者だ」
「前世の記憶を持って、この世界に生まれ変わったんだ」
「そして全員、一致していた。――わらわたちの推しは、リディア。そなただと」
「……え?」
リディアは何一つ解決しない疑問を胸に抱いたまま、意識を手放した。
リディアは夢を見ていた。
――血と煙の渦巻く戦場。
振り下ろされた巨大な戦斧がリディアの視界を塞いだ。
「下がれッ!」
銀毛を逆立てた獣人が、血飛沫を浴びながらその一撃を受け止める。
両腕に食い込む刃を、全身の筋肉で押し返す。
「……フェンリス!」
「馬鹿、無茶するな! 俺が守る。お前は……絶対に倒れるな!」
腕から血が滴り、牙を剥き出しにして吠えるその姿は、もはや人の形から狼へと変じていた。
普段は半獣人の姿を保つ彼も、戦いの中で魔力が高まれば、より獣に近い「戦神」へと姿を変える。
敵兵が恐怖にすくむ。
だがフェンリスは一歩も退かず、斧を弾き飛ばすと、逆に拳で鎧ごと敵を叩き潰した。
血と鉄が弾ける。彼の周囲にだけ、ひとときの「壁」が生まれた。
その背は広く、熱く、傷つきながらも揺るがなかった。
「……ありがとう」
胸を締めつける戸惑いと共に、リディアは初めて「守られる」という感覚を知る。
血に濡れた戦場でさえ、不思議な安らぎが胸に宿っていた。
――夜更けの魔王城。
眠れぬ夜、リディアはふと足を運び、蝋燭の明かりに照らされたルキアンの部屋に辿り着く。
「眠れないの?……なら、少し話し相手になってよ」
そう口にしても、返ってきたのは短い相槌ばかり。
部屋に満ちるのは、無数の部品を組み合わせる乾いた音だけだった。
ルキアンは小さな指先で複雑な魔道具を組み立て、視線を逸らさずに淡々と呟いた。
「……君は、いつも自分を削りすぎる。だから、僕が君の寿命を伸ばす方法を考えてあげる」
幼い外見に似合わぬ、落ち着いた声音。
彼は実際、長命のダークエルフであり、四天王の中でも最年長だった。
幼さと老成の狭間にある横顔には、深い知識と確かな覚悟が宿っている。
やがて彼が不器用に差し出した魔道具は、小さな装置だった。
それを起動すると、天井と壁に夜空が映し出され、瞬く星が部屋を満たした。
「……綺麗」
星に見入るリディアの呟きに、ルキアンは目を伏せたまま答えた。
「君が、少しでも安らげるなら……効率は悪くない」
そのとき胸の奥に生まれた温もりは、いつまでも消えなかった。
――月夜の魔王城のバルコニー。
静かな風に長いワインレッドの髪を揺らし、ヴェリスティアは佇んでいた。
赤い瞳がリディアを捉え、艶やかに微笑む。だがその眼差しの奥には、切なさが滲んでいた。
「また、寂しそうな顔をしておるな。……安心せよ。わらわが、ずっと傍にいてやる」
からかいでも気まぐれでもない声音。
リディアの胸にある孤独を、そっと包むような温度があった。
「……また人間だから、などと気に病んでおるのか?魔王様の治める地を、いくつも見てきただろう。そこに生きる者は、種族も姿も皆違うが、それでも共に在る」
その言葉に、リディアの胸の奥で凝り固まっていた何かが、ゆるりと解けていく。
孤独に耐えてきた心を撫でるような優しさに、リディアはただ言葉を失い、夜風に身を委ねた。
夢はそこで途切れ、リディアは再び深い闇へと沈んでいった。
リディアは目を覚ました。
白い天井、柔らかなシーツの感触、薬草の香り――魔王城の治療室だった。
胸に手を当てると、あれほど深かった傷が跡形もなく消えている。
(……生きている。そうだ、あの三人が助けてくれて……)
ベッドの傍には、フェンリス、ルキアン、ヴェリスティアが倒れ込むように眠っていた。
三人とも鎧やローブのまま、安堵しきった顔で腕や尻尾を投げ出している。
その様子を、部屋の隅に控えた治癒師の助手が小声で説明した。
「リディア様が運ばれた時、あの三人、本当に大騒ぎでしたよ。
フェンリス様は強引にポーションを口に流し込もうとするし、
ルキアン様はわけの分からない延命装置を押し当てるし、
ヴェリスティア様に至っては、リディア様を吸血鬼にしようと血を吸おうとして……」
助手は苦笑しながらも、あの時の必死さを思い出したように両手を広げてみせる。
「『そんなにポーションを飲ませたらリディア様が破裂します!』
『ルキアン様、その装置は安全を確かめましたか? リディア様は人間なんですよ!?』
『ヴェリスティア様、許可もなくそんなことをしたら嫌われますって!』」
今は笑い話のようだが、声の端々には本気で制止していた時の焦りが滲んでいた。
「結局、治癒魔法で容態が安定したので、治癒師様は疲れ切って休憩に行かれました。
三人とも緊張の糸が切れたのか、そのままここで眠ってしまったんです」
リディアはゆっくりと身を起こし、三人の寝顔を見つめる。
(……ほんとに、子どもみたい……でも――)
その瞬間、しばしの静寂が破られる。
微かな気配に三人が一斉に目を覚ましたのだ。
それを見届けて治癒師の助手は部屋を去る。
「リディア!」
「目が覚めたか……よかった」
「心配かけさせおって」
ベッドに駆け寄り、口々に安堵の言葉を漏らす三人。
リディアは小さく息をついた。
「……平気です。みんなが助けてくれたんですから」
三人は互いに目配せをすると、同時に真剣な顔に変わり、口を開いた。
「リディア。聞いてほしい、隠していたが……俺たちは転生者だ」
「前世の記憶を持っている。僕たちはこの世界を“物語”として知っていた。結末も、君の最期も」
「リディア……そなたが勇者に殺される運命だったから、わらわたちがその運命を変えたのだ」
リディアは目を瞬き、ただ呆然と三人を見つめた。
三人の説明はこうだ。
この世界は、彼らの前世では“ゲーム”の舞台だった。
三人はそのゲームを知っていて、気づけば魔王軍四天王に転生していた。
お互いが転生者であることも、長い時間をかけて探り合い、やがて発覚した。
そして三人全員の“推しキャラ”がリディアだったため、
彼女に接する態度や交わす言葉には、無意識のうちにその想いが滲み出ていたのだ。
「……なんとなく、理解できた気がする……でも、“推し”って、何?」
その瞬間、三人の視線がぶつかり、空気が一変する。
「それはこれから俺がわからせてやる。未来はもう読めない。だが俺が守る!」
フェンリスが吠える。
「黙れ山田! 計算では僕が最適だ!」
ルキアンが机を叩く。
「笑止!佐藤のそんな弱っちい腕でリディアを守れるか?わらわが一番リディアを幸せにできる!
」ヴェリスティアがリディアの肩に手を這わせる。
「リディアに触るな! 佐々木!」
フェンリスが牙を剥いた。
飛び交うのは、聞き慣れない名前――前世での名らしい。
リディアは困惑しながらも、彼らとの日々を思い返す。
戦場で庇ってくれたフェンリス。
小さな星空をくれたルキアン。
孤独な夜に寄り添ってくれたヴェリスティア。
(……みんな、私にとって大切な仲間……)
胸の奥に、熱いものがこみ上げてきた。
「で、リディア。誰を選ぶ?」
三人が一斉にベッドへ身を乗り出す。
「えっ……そ、そんなことを聞かれても……」
リディアは顔を赤らめ、慌てて身を引いた。
その瞬間、低い声が部屋に響く。
「――全員、そこまでだ」
振り返ると、重厚な外套をまとった魔王が立っていた。
冷たい威厳をまとったその姿に、治療室の空気が一瞬で張り詰める。
そしてリディアの瞳が、ほんの一瞬だけ揺れる。
その目を、三人は決して見逃さなかった。
「リディアは今休むべきだ。お前たち、いい加減に――」
だが、その言葉をかき消すように三人の声が揃う。
「「「魔王様といえど譲れません!」」」
魔王の額に青筋が浮かぶ。
「話を聞け! 頭を冷やしてこい!」
魔王が手を払うと、三人の姿は転移の光に呑まれ、跡形もなく消えた。
先刻、勇者たちを遠くに飛ばしたのと同じ魔法だった。
「……あいつらは優秀だ。もちろんリディアも。だからこそ……胃が痛い」
こめかみに手を当て、魔王は深くため息を吐く。
リディアはその横顔を見つめ、そっと微笑んだ。
「魔王様……私、本当の家族には恵まれなかったけれど、こんなに大切に思ってくれる仲間がいる。
私、生きていていいんだって……初めて思えました」
頬を伝う涙は、死を望むものではなく、生きたいと願う証。
騒がしくも温かい空気の中で、リディアは悟る。
魔王軍四天王は、奇妙で、うるさくて……けれど間違いなく、自分の居場所なのだと。
「仲間、か……」
魔王は小さく呟き、ちらりとリディアを見やる。
「――あいつら、本当に苦労しそうだな」
辺境の地に飛ばされた三人。
「……なあ、もしかして俺たちのライバルって」
フェンリス――いや、山田が口を開く。
「言うな、山田。そんな気はしていた…… 」
ルキアン――佐藤が顔を覆う。
「魔王様か。どうする? わらわたちで勇者どもに手を貸して、魔王様を討つか?」
ヴェリスティア――佐々木がニヤリと笑う。
「そんなことする気もないくせに」
三人の声が重なり、どこか悔しげに、それでいて楽しげに響いた。
――そして騒がしい日々は、これからも続いていく。