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第5話 封じられた記憶と鏡の呪い     ~記憶を喰う家~

鏡は、ただ映すだけのものではない。

この家にある鏡は、記憶を吸い込み、封じる。

忘れたはずの声が、夜になると耳元で囁く。

「お兄ちゃん……思い出して……」

昭和の木造住宅。 何度も住人が入れ替わり、誰も長く住めなかった家。

語られない理由。残されない記憶。

それでも、確かに“何か”がここにいる。

風呂場の鏡。 赤い女が棲む場所。

蓮の妹・花音が消えた場所。

そして今、僕の記憶もまた、曖昧になり始めている。

日記に記された名前。

なおと。花音。蓮。 そして、“僕だけが覚えている”と。

その声は、鏡の奥から届く。

絵を描くことで、記憶を外へ引き出す。

封じられた過去を、筆先で呼び起こす。

だが、鏡の奥には、もうひとつの声がある。

もっと古く、もっと深く、もっと悲しい——

「描いて……私を……思い出して……」

鏡の表面に浮かぶ赤い涙。

それは、忘れられた誰かの叫び。

そして僕は、今夜も鏡の前に立つ。

記憶の奥に潜む“呪い”を、描くために。


昭和中期に建てられた木造住宅。

僕の今住んでいるこの一軒家は、何度も住人が変わっている。

だが、どの家族も長くは住み続けられなかった。

理由は語られない。記憶にも残されていない。

ただ、誰もが口を閉ざす。

この家は、過去に起きた悲劇や感情が“記憶”として染みついている。

そしてそれは、住人の記憶を曖昧にし、やがて奪っていく。

まるで、家そのものが記憶を吸収・封印しているかのように。

特に――風呂場と鏡。

それらは、この家に染みついた”何か”の焦点だった。

鏡は、赤女の死と強く結びついている。、

過去の出来事は、鏡の奥に封じられ、誰にも触られないまま今もそこに在る。

漣、花音、直人――彼らが幼少期にこの家に関わっていたにもかかわらず、記憶が曖昧なのは鏡の影響だ。

蓮が帰った後、僕は風呂場の鏡の前に立ち尽くしていた。

鏡の奥に見えた赤い女と、蓮の妹らしき影。あれは幻ではない。

この家には、確かに“何か”がいる。

そして、それは鏡を通して僕に語りかけている。

僕は再び、あの日見つけた日記を開いた。

震える筆跡の中に、見覚えのある名前があった。

「なおと」「花音」「蓮」

——花音?

蓮の妹の名前だ。だが、なぜこの日記に?

日記のページをめくると、こう記されていた。


花音が泣いている。鏡の中で、赤い女と一緒に。 なおとは忘れている。蓮も忘れている。鏡が記憶を食べたから。 僕だけが覚えている。僕だけが、見た。

この“僕”とは誰なのか。

日記の主は、蓮ではない。

もっと前の住人か、それとも——


その夜、僕は夢を見た。

鏡の中に花音が立っていた。

彼女は僕に向かって手を伸ばし、静かに囁いた。

「お兄ちゃん……思い出して。私、ここにいるよ」

目覚めた僕は、鏡に向かって叫んだ。

「花音!君は、まだそこにいるのか?」

鏡は何も答えなかった。

ただ、曇った表面に、手形が浮かび上がっていた。

それは、濡れてもいない鏡に、確かに”誰か”が触れた跡だった。

翌日、僕は直人に会いに行った。

彼はどこか落ち着かない様子だった。

「なおと……君も、あの家にいたんだろ?蓮と一緒に」

直人は驚いた顔で僕を見た。

「なんでそれを……いや、確かに小さい頃、蓮の家によく遊びに行ってた。でも、あまり覚えてないんだ。風呂場の鏡が怖かったことだけは覚えてる」

「それは、鏡が記憶を吸収してるからだ。君の記憶も、蓮の記憶も、封じられてる」

直人は黙り込んだ。そして、ぽつりと呟いた。

「花音って……蓮の妹だよな。俺、彼女と話した記憶がある。でも、顔が思い出せない。声も……全部、ぼやけてる」

僕は日記を見せた。

直人は震える手でページをめくり、目を見開いた。

「これ……俺が書いたんじゃないよな?でも、見覚えがある。なんでだ……?」

鏡は、記憶を吸収する呪物。

この家に関わった者は、鏡に記憶を奪われる。

そして、赤い女は——その記憶の中に棲んでいる。

その夜、僕はキャンバスに向かった。

花音の姿を、蓮の記憶を、直人の曖昧な記憶を——

鏡に封じられたすべてを、絵として“外”に引き出す。

筆を握り、風呂場の鏡を見つめながら、花音の姿を描き始めた。

すると、鏡が微かに震え、湯気もないのに曇り始めた。 鏡の奥から、赤い女がこちらを見ていた。

その声は、花音のものではなかった。

もっと深く、もっと古い——この家に染みついた“誰か”の声だった。

「描いて……私を……思い出して……」

僕は筆を止めた。

鏡の奥にもうひとつの記憶が眠っている。

それは誰のものなのか。

そして僕は、――それを描いてしまっていいのか。

鏡の表面に、赤い涙のような跡が流れた。

それは、記憶の叫びだった。


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