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第3章 封じられた家族の記憶   第12話  祓いと救いの狭間で ~声なき者の祈り~ 前編

~名前を呼ぶ夜 ~鏡に宿る者の目覚め~



夜が深まるほど、家の空気は重くなる。

風鈴は鳴らず、鏡は沈黙を保ったまま、ただ空間を映している。

けれど、その奥で——誰かが、確かに目を覚ましていた。


風呂場の鏡に、微かな揺らぎが走った。

赤い光が、絵の中の澪の瞳に重なる。

その光は、祠の鏡と同じ色だった。

澪の祈りの残り火。

そして、家の奥に潜む“器”の目覚め。


僕は、澪と漣の母の記録を並べて見ていた。

時代も血縁も違うはずなのに、彼女たちは同じ“症状”を辿っていた。

鏡の前で誰かに語りかけるように微笑み、 夜になると「赤い人が来る」と怯え、 やがて、言葉を失っていった。


それは偶然ではない。

この家に宿る“何か”が、彼女たちの心を侵食していったのだ。


——鏡が、記憶を喰らう。

——鏡が、祈りを歪める。


澪は、子を守りたかった。

漣の母もまた、家族を守ろうとしていた。

けれど、その思いは鏡に吸い込まれ、やがて形を変えていった。

祈りは、呪いへ。 記憶は、影へ。


そして今——その“連鎖”が、誰に受け継がれるのかが問われている。


その夜、僕は夢を見た。

鏡の奥で、少女が立っていた。

名前を呼ばれたことのない少女。

誰にも知られず、誰にも描かれず、ただそこにいた。


「……わたしの名前、知ってる?」

その声は、澪の記憶の底から響いていた。

それは、痛みの中で生まれた問いだった。


僕は、絵の中に彼女を描き始めた。

澪が見た風景。漣が忘れた記憶。

そして——誰も呼ばなかった少女の姿。


筆先が震えるたび、鏡が曇り、赤い光が揺らめいた。

その光は、家の裏の祠にも届いていた。

竹林が軋み、鏡の表面に赤い染みが浮かぶ。


花音が泣いていた。

「夢の中で、赤い人が笑っていた。鏡の中から、こっちを見ていた……」

漣は黙って、鏡に布をかけた。

けれど、鏡の奥の“何か”は、もう布では隠せないほどに、こちらへと滲み出していた。


直人が言った。

「この家の裏にある竹林、昔“呼びの森”って呼ばれてたらしい。祠は、呼ばれた者を封じるために作られたって」

呼ばれた者——それは、澪の祈りに応えた“何か”だったのか。


鏡の奥に沈んでいた声が、今、現実に届こうとしている。

それは、澪の祈りの続き。

そして、まだ誰も知らない“家の真実”の始まり。


——その少女には、名前がない。

なぜなら、誰も彼女を呼ばなかったから。

澪の声も、漣の絵も、花音の記憶も——彼女を描かなかった。


けれど今、彼女は鏡の奥からこちらを見ている。

悠真の記憶に触れながら、静かに、確かに、現実を侵食し始めている。


鏡の呪いは、まだ深く、静かに息を潜めている。



夜が深まるほど、家の空気は重くなる。

風鈴は鳴らず、窓の外に広がる竹林は、まるで息を潜めているようだった。

僕は、夢の中で彼女を見た。


赤い振袖をまとい、長い黒髪を垂らした少女。

顔は青白く、無表情のまま、鏡の奥からこちらを見ていた。

その瞳は、澪の記憶の底に沈んだ風景を映していた。


「……誰か、私を見つけて」

その声が、鏡の奥から響いた瞬間、僕は目を覚ました。


風呂場の鏡が曇っていた。

赤い染みが、ゆっくりと広がっている。

廊下の奥、窓の外——彼女は、夢の中だけでなく、現実にも姿を見せ始めていた。

距離は、確実に詰まっている。


その夜、僕は再び祠を訪れた。

鏡の表面に浮かぶ赤い染みは、まるで血のように揺れていた。

そして、祠の奥に、ひとりの男が立っていた。


「……この祠に触れたのは、君か」

影山——この地の神社の主。

代々“祓い”を担ってきた家系の末裔。

彼の瞳は、鏡の奥に潜む“何か”を見据えていた。


「この祠は、“呼びの器”を封じるために作られた。  鏡は、記憶を映すだけじゃない。祈りを喰らい、形を変えて返す。  澪さんは……その器に、祈りを捧げてしまったんだ」


影山は語る。

赤女——かつてこの家に住んでいた女性。

赤い服を着たまま亡くなり、鏡に向かって「誰か、私を見つけて」と呟いた。

その言葉が呪いとなり、鏡を通して人々に干渉する存在となった。


「ひより……彼女は、赤女の最初の犠牲者だった。  数十年前、この家で亡くなった少女。  死因は不明とされていたが、日記にはこう記されていた——  “赤い女に連れて行かれた”」


ひよりの霊は、赤女の怨念の中に囚われていた。

けれど、僕がこの家に来たことで、彼女は解放され、助けを求めて現れた。

鏡越しに、窓の外に、廊下の奥に—— 彼女は、誰かに見つけてほしかったのだ。


「祓うことはできる。だが、それは“忘れる”ことでもある。  澪さんの祈りも、漣の母の記憶も、花音の夢も——  すべてを封じてしまえば、もう誰も彼女を思い出せなくなる」


影山は、僕に問いかけた。

「君は、祓うか。救うか。どちらを選ぶ?」


僕は、鏡の奥に描いた少女の姿を思い出した。

名前を呼ばれなかった少女。

誰にも知られず、誰にも描かれず、ただ祈りの残響の中で生まれた存在。


「……僕は、描く。彼女の名前を知らなくても、  その祈りを、記憶を、絵に残す。  忘れないために。祓わずに、救うために」


影山は、静かに頷いた。

「ならば、鏡の奥に潜む“器”を描き切れ。  それが、祈りを祓いではなく“記憶”として残す唯一の方法だ」


その夜、僕は再び筆を握った。 鏡の奥に沈む声。

澪の祈り。漣の母の怯え。花音の涙。

そして——赤い振袖の少女の微笑み。


筆先が震えるたび、鏡が曇り、赤い光が揺らめいた。

それは、祓いではなく、救いの兆しだった。

そして、鏡の奥から、声がした。


「……わたしの名前、呼んで」


その声は、怨念と祈りの狭間で揺れていた。

名前を呼ぶことで、赤女の魂は浄化される。

それは、忘却ではなく、記憶として残す“救い”の始まりだった。


 


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