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 第11話 呼ばれた声 記憶の継承   ~“赤い人”が微笑む夜~



風が止んだ夜、僕は夢を見た。

鏡の中で、少女がこちらを見ていた。

その瞳は、澪に似ていた。けれど、もっと幼く、もっと深く、何かを訴えていた。


「……おかあさん、どこ?」


その声が、僕の耳元で囁いた瞬間、目が覚めた。

部屋の空気が重い。

まるで、誰かが隣に立っているような——そんな気配。


花音が泣いていた。

「夢の中で、赤い人が笑っていた。鏡の中から、こっちを見ていた……」

漣は黙って、風呂場の鏡に布をかけた。

けれど、鏡の奥の“何か”はもう布では隠せないほどに、こちらへと滲み(にじみ)出していた。


僕は、祠の鏡に再び向き合った。

筆を握ると、少女の声がまた響いた。

「……わたし、ここにいるよ」

その声は、澪の子か、それとも“赤い人”の化身なのか——判別できなかった。


直人が言った。

「この家の裏にある竹林、昔“呼びの森”って呼ばれてたらしい。祠は、呼ばれた者を封じるために作られたって」

呼ばれた者——それは、澪の祈りに応えた“何か”だったのか。


僕は、鏡の奥に描かれた少女の姿を見つめながら、問いかけた。

「君は、誰を待っているの?」

鏡は答えない。

ただ、赤い光が揺れていた。


その夜、家の中で鏡が一斉に曇った。

風呂場、廊下、寝室——すべての鏡が、赤い染みを浮かべていた。

そして、花音が言った。

「……あの人、来るよ。赤い人が、また来る」


澪の祈りは、忘れられた記憶を呼び起こし その記憶は、鏡を通して現実を侵食する。 “名前のない少女”は、もう泣いていない。

彼女は、微笑んでいる。

誰かが、再び“呼ばれる”のを待って。  


名前のない少女が、鏡を見ていた。

夜の静けさが、家の隅々まで染み渡っていた。

風鈴の音は止み、鏡はただ沈黙を映している。

けれど、その奥で——誰かが目を覚ましていた。


名前のない少女が、鏡を見ていた。

その瞳は、澪の記憶の底に沈んだ風景を映していた。

誰にも呼ばれず、誰にも知られず、ただ祈りの残響の中で生まれた存在。


澪が封じた“最後の願い”。

それは、誰にも語られなかった痛み。

子を失った母の祈りは、やがて家そのものに染み込み、 鏡の奥に“もう一人”を生み出した。


——その少女には、名前がない。

なぜなら、誰も彼女を呼ばなかったから。

澪の声も、漣の絵も、花音の記憶も——彼女を描かなかった。


けれど今、彼女は鏡の奥からこちらを見ている。

僕の記憶に触れながら、静かに、確かに、現実を侵食し始めている。


家の裏の祠は、風に軋み、鏡の表面に赤い光が揺れる。

その光は、澪の祈りの残り火。

そして——名前のない少女の“目覚め”の合図だった。


鏡の奥に沈んでいた声が、今、現実に届こうとしている。

それは、澪の祈りの続き。

そして、まだ誰も知らない“家の真実”の始まり。


夜が、音を失った。


風も、虫の声も、時計の針さえも沈黙する中——家は、息を潜めていた。 誰もいないはずの廊下に、足音が一つ、二つ。 それは、記憶の底から這い出した“誰か”の歩みだった。


鏡は、もうただの鏡ではない。 澪の祈りが染み込んだその表面は、今や“境界”となり、 名前のない少女の瞳が、そこから世界を覗いている。


「……ここは、わたしの家?」


誰にも聞こえない声が、家の奥に響いた。 それは、呼ばれなかった少女が初めて発した“問い”だった。


祠の竹林がざわめく。 風はないのに、葉が揺れる。 その中心で、赤い光が脈打つ——まるで、心臓のように。


その夜、家の中の空気が変わった。 花音は、何かを感じていた。 漣は、筆を止めた。 そして僕は、鏡の前で立ち尽くしていた。


“赤い人”は、微笑んでいる。 それは、誰かの願いが叶う瞬間の笑みではなく、 誰かの記憶が侵される予兆のような、静かな笑みだった。


——この家は、目覚めた。 そして、名前のない少女が、初めて“呼ばれる”時が来た。

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