表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/15

第9話  後編 祈りのかけら ~澪が託したもの~



鏡の奥が、静かに揺れていた。

まるで、誰かがそこから“出ようとしている”かのように。

僕は、漣のスケッチブックの最後のページを開いた。


そこにあったのは——澪が鏡に封じた“最後の絵”。


家族が笑っている風景。

風呂場の前で、母が花音の髪を乾かし、父が漣に何かを話しかけている。

澪は少し離れた場所で、微笑んでいる。

その絵は、穏やかで、優しくて、どこか懐かしい。


けれど——そこには、描かれていない“誰か”がいた。


空白の場所。

誰かが立っていたはずの空間。

その空白が、絵の中で異様に浮かび上がっていた。


僕は気づいた。

澪が漣に託した「描いてほしかったもの」は——その“空白”だった。


それは、澪が引き受けた痛み。

鏡に封じた記憶の中で、誰にも語られなかった“もう一人”。


ひよりに託した祈りは、漣の希望だった。

けれど、澪が鏡に残したのは——“誰にも見せられなかった真実”。


僕は、筆を握った。

空白の場所に、澪の視線が向けられていたことに気づく。

その視線の先に、誰かがいた。 澪が最後に見た“影”。


それは、幼い少女。

花音とは違う。

ひよりとも違う。

名前も、記憶も、誰にも知られていない存在。


——鏡に囚われた、もう一人の“守護者”。


筆先が震える。

絵の中に、澪の涙が滲む。

風呂場の鏡が曇り、赤い光が揺らめいた。


そして——鏡の奥から、声がした。


「描いてくれて、ありがとう。  これで……次へ進める」


風鈴が鳴る。

その音は、祈りの残響だった。

絵の中の空白が、ゆっくりと色づいていく。

澪が見ていた“最後の風景”が、完成する。


僕は、鏡の前に立った。

その表面に、澪の微笑が浮かび上がる。

けれど、その奥には、まだ何かが潜んでいた。


家には、まだ誰も知らない謎が隠されている。

澪が封じた“もう一人”。

その存在が、次の扉を開こうとしている。


鏡の呪いは、形を変えて続いている。

そして——次に現れるのは、“名前のない少女”。

鏡の奥が、再び揺れた。 澪の微笑が、ゆっくりと霧のように消えていく。 その背後に、ぼんやりと“影”が立ち上がる。 輪郭は曖昧で、顔も見えない。 けれど、確かにそこに“誰か”がいた。


僕は、筆を握ったまま動けなかった。 その存在は、絵に描くにはあまりにも不確かで、 けれど、空白の中に確かに息づいていた。


「……あなたは、誰?」

声に出した瞬間、鏡の表面が波打つ。

風鈴は鳴らない。

代わりに、微かな“水音”が響いた。


ぽたり、ぽたり—— まるで、鏡の奥で誰かが泣いているような音。


その影は、ゆっくりと顔を上げた。

瞳は、深い闇のように静かで、 けれど、その奥に、微かな“光”が宿っていた。


「私は……名前を持たない。  澪さんが、最後に封じた“痛み”のかけら」

「誰にも語られなかった記憶。  家族の中で、居場所を持てなかった存在」


その声は、幼く、けれどどこか大人びていた。

まるで、長い時間を鏡の中で過ごしてきたように。


僕は、スケッチブックの余白に目を落とす。

そこには、澪の筆跡で、かすれた言葉が残されていた。


「——もし、漣が描いてくれるなら。  

この子にも、名前をあげてほしい。  忘れられた痛みに、光を」


その瞬間、僕の中で何かがほどけた。

筆先が、静かに動き出す。

空白の場所に、影の輪郭を描き始める。


髪の流れ。瞳の奥の揺らぎ。

そして——微かな微笑。


その少女は、鏡の奥でずっと待っていた。

誰かが、自分を“見つけてくれる”ことを。

誰かが、自分に“名前をくれる”ことを。


風鈴が、ようやく鳴った。

その音は、まるで“誕生”の合図のようだった。


「ありがとう、悠真さん。  あなたが描いてくれたから……私は、ここにいる」


鏡の表面が、ゆっくりと透明に変わる。

その奥に、少女の姿が浮かび上がる。

まだ名前のない、けれど確かに“存在する”少女。


そして——その瞳が、次の扉を見つめていた。


家の中には、まだ語られていない記憶がある。

澪が封じた“痛み”は、ひとつではなかった。

鏡の呪いは、誰かの祈りによって形を変え、 今、次の章へと進もうとしている。


——“名前のない少女”が、物語を動かす鍵になる。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ