元最恐ヤンキー、転生して悪役令嬢全うします!
リーゼ・アレクシュールという伯爵令嬢がいる。
肩口でうねる炎のような赤髪に、キツくつり上がった目。
整った顔立ちをしているが、それゆえに第一印象は炎の魔女のようだ。
乙女ゲーム『光と剣のシークレットテイル』において、ヒロインを目の仇にし、足を引っ張ることに人生をかける悪役令嬢。
性格は顔に現れていて、苛烈で残酷。
ヒロインを貶めるためならどんなことだってやってのける。
従者に家畜の血を集めさせ、攻略対象から送られた純白のドレスに身を包むヒロインにぶっかけたこともある。
もちろん彼女は最終的に断罪される。どのルートでも他の犯罪組織や悪役令嬢たちとともに、首を刎ねられたり、毒を盛られたり、獄中で憤死、修道院に送られる途中で野盗に襲われたり……等々。
とにかく様々な理由でリーゼ・アレクシュールという令嬢は死ぬ。
そんな悪役令嬢リーゼが今、鏡に映っている。
手で頬を撫でる。炎に似た髪を撫でつける。感触がある。
つまりこれは、リーゼ・アレクシュールは“アタシ”だ。
ゲームの中に存在していたはずのキャラクターが、鏡に映る令嬢が、アタシが考え、動かしたままに動く。
しかしなぜ? 確かにさっきまでこのゲーム、ヒカケンをやっていたことは覚えている。
そうだ、確か最後の断罪スチル『断頭台の令嬢』を解放したら画面が光って……そして……。
気づいたらここに座っていて、アタシ──忍崎摩耶乃は、ヒカケンの悪役令嬢リーゼ・アレクシュールとなっていた。
……これ、もしかしてアイツが言ってた異世界転生ってやつか?
ってことはアタシは死んだのか? いや、死ぬにしても……。
そんなことを考えていると、ふと鏡に映る自分、リーゼがゲームよりも若いことに気づいた。
なんなら幼いと言ってもいい。キツめの顔立ちは年上に見られがちだが、よく見てみれば10歳ぐらいだろうか。
確かヒカケンでのリーゼは学園高等部の卒業を控えた17歳。
つまりゲームよりも7歳前後若いということになる。
手も小さい。握り締めた拳もヤワで、とても人を殴れそうになかった。体も手足も棒切れみたいに細かった。
「……マジか」
県内極悪最恐と言われたこの狂犬摩耶乃が、こんな頼りない子どもに?
立ち上がり、試しに壁を殴ってみる。
ドゴッ。
「おっ、おぉ……ぐぉおおっ……!?」
めちゃくちゃ痛かった。
「くそっ、壁殴った程度で痛いなんて何年ぶりだよ」
手を振ったあと、拳に息を吹きかける。あまりにも柔々で心配になる。
と、そのとき部屋のドアが勢いよく開かれた。
「おい、バカ妹! 殴らせろ!」
治安と頭の悪そうなことを言って入ってきたのは次兄のドリスだった。
「おやめくださいドリス様……!?」
後ろにいるのはリーゼ付きのメイド、シェリー。ドリスを止めようとしているが止まるはずもない。
そして彼女が恐れているのはリーゼが暴力に晒されることではない。バカな兄に泣かされた令嬢がシェリーにひどい八つ当たりをすることだ。
リーゼとしての記憶が頭の中を巡る。怯えで身体が硬直する。
アタシに向かって真っすぐ突き進んでくるドリス。醜い笑みが近づいてきて、リーゼとしての記憶と身体がドリスに抵抗することを諦めようとする。
「今日はまず三発な」
振り上げられる拳。このままでは殴られる。そう思った瞬間、アタシの中でスイッチが切り替わったのがわかった。
ドリスは油断している。反撃されないと思っている。にやけてだらしなく開いた口。12歳にして腹回りに脂肪がたっぷりついただらしない、体幹のまったくなさそうな身体。
「ふざけんな、ぶち殺すぞ」
「へ?」
リーゼの口からとんでもない言葉が飛び出したことに驚くドリスと、後ろで硬く目を閉じていたシェリー。
その一瞬だけで充分だった。
アタシはこの弱っちい拳を固く握り締めると、左足を前に出し、そこを起点に身体を回転させ、腕と拳を鞭のようにぶん回す。
ゴツッ。と鈍い音がした。
リーゼの拳がドリスの顎を的確に打ち抜いていた。
「おま、え……なにを……」
「ちっ、まだ一発じゃ無理か」
アタシは殴った反動で右足と左足の前後を入れ替え、今度はまっすぐ左ストレートを放つ。
「ばっ?!」
ドリスの鼻にヤワだがガッチリ握り締められた拳が突き刺さる。
「だっ、で、で……」
しかし鼻を押さえながらもドリスはまだ倒れなかった。力が圧倒的に足りない。仕方がない。奥の手だ。
「先にやってきたのはお前だぞ。恨むなよ兄貴」
アタシは棒立ちになったドリスの股間めがけて思い切り足を振り抜いた。
「どぅえっ……?!!?!?!?」
「きゃあああっ!?」
ドリスが白目を剥いて前のめりに倒れると、さすがにシェリーが悲鳴をあげた。
とりあえずアタシはドリスの頭を二度ほどつま先でつついて、呻き声が返ってきたので死んでないことに安堵する。
男の急所は本当にヤバイから、手加減できないこの身体でやりすぎたらさすがに申し訳ない。
「あ、あの……お、お嬢様?」
冷静にドリスの安否を確認するアタシにシェリーが恐る恐る近づいてくる。
「シェリー、兄貴……ドリスお兄様を部屋に運んであげて。他のメイドも呼んでいいから」
話し方を変えてニッコリ微笑む。するとシェリーは喉の奥で悲鳴を漏らした。最大限の笑顔だったが逆に怖がらせたか?
「……あ、あの……お医者様は?」
「気絶してるだけだから少し寝てれば治るわよ。ほら、早く」
「は、はいぃっ!」
シェリーが慌てて出て行くのを見送って、アタシは改めて転がっている12歳の少年と、自分の拳を見る。
「こんな弱っちい奴を倒すの三発。それも金的でか……」
小さくため息を吐く。狂犬と呼ばれた自分がまさかこんなことになるなんて。どうせ転生するなら脳筋騎士アルベルトのほうが楽しそうだった。
とはいえなったものは仕方がない。
「よし! いっちょ気合入れるか!」
アタシは両手で頬を打ってから、小奇麗なドレスを脱ぎ捨てて、動きやすい服に袖を通すことにした。
夢でもなさそうだし、泣いても喚いてもたぶん元の世界には帰れなさそうなので、それならこっちの世界を謳歌することにする。
そのための第一歩。まずは肉体改造からだ。
ー・-・-・-・-
そんなこんなであれから七年が過ぎた。
幸いアレクシュール伯爵家の周囲にはダンジョンや魔物の巣が多く、身体を鍛えることには困らなかった。
現代ではもちろんやってはいけない命のやり取りがあんなにヒリつくものだとは思わなかったが、おかげでこの世界でもアタシは『アレクシュールのヤバイ令嬢』として有名になった。
もっとカッコいい呼び名はなかったのかと思うが、血沸き肉躍る世界にこれ以上多くを求めても仕方ない。そもそもがまともに食事にありつける屋敷があるだけで充分合格点なわけだし。
とはいえそんなアレクシュール伯爵領で過ごせたのも五年間だけだ。十五歳になったアタシはゲームの舞台である王立バモンド学園に入学することになったからだ。
まあ五年間でだいぶここの常識も手に入れたし、身体を強くなったことだし特に文句はない。学園での生活もなかなか楽しいものだったし。
バカ兄貴がアタシの噂を広めてくれたおかげで喧嘩相手にも困らなかったし。
……実を言えばモンスター相手に命のやり取りをしていたから、最初手加減できなくて喧嘩相手をあっちの世界に出発させようとしちゃったのはここだけの話だ。
そんなこんなで無事に学園生活を謳歌しつつあったアタシは、学園の三回目の入学式である今日、校門近くの木陰でとある人物を待っていた。
そう、メインヒロインである聖女候補──エリッタ・アスメーヌだ。
諸事情で入学式に遅刻したエリッタは不良グループに目をつけられて物陰に引きずり込まれそうになるのだが、そこを助けるのが攻略対象である第一王子とかあの辺だ。
ただ、今回その役はアタシに譲ってもらうことにした。
この世界で七年も過ごしていると、やりたいことが出てくる。それはゲーム本編でさらっと流された場所や話だ。
けれどアタシにとっては、見過ごせない問題である。
「……来た!」
息せき切って走ってくる女の子。エリッタだ。
この美形だらけの世界で過ごしてきたアタシでも見とれるほどの美形。可愛さも備えているヒロイン。身体のメリハリもすごい。男なら垂涎物だろうなと思う。
「おい、待てよ」
そしてさっそく群がる不良グループ。過去にアタシがボコした奴も何人かいる。
「な、なんですか!? は、離してください」
「新入生? 可愛い顔してるな。ちょっとこっち……「どりゃあ!」
「げぼぁっ!?」
遠くのほうにいた第一王子よりも早く飛び出したアタシは、とりあえずエリッタの腕を掴んでいた男を蹴り飛ばした。
「誰だてめっ……げぇっ!? リーゼ!?」
「選べ。命か逃走か」
「く、くそっ! 行くぞお前ら!」
不良グループが即座にダバダバと逃げていく。ヨシ、懸命だ。
「あの、あ、ありがとうございました」
男たちを見ていたら、横からか細い声が聞こえた。そちらを向くと、怯えた顔のエリッタが上目遣いでアタシを見ていた。
「ワタクシ、リーゼ・アレクシュールと申します。アレクシュール伯爵令嬢ですわ」
ニッコリと微笑み自己紹介。この七年で身に着けた微笑みに、エリッタもホッとしたような顔。
「は、伯爵令嬢……あ、あの、私は……」
「エリッタ・アスメーヌさん。聖女候補ですわね」
「え? ど、どうして……」
「伯爵家の情報網はすごいので」
「な、なるほど?」
アタシはエリッタの手を取り、ギュッと握る。人心掌握にはこれがいい。前世で和解に抵抗しようとする頭悪しの手を握りつぶしたこともある。
「協力してほしいことがあるのですわ。よろしくて?」
「……は、はい……はい?」
「よろしくて?」
「……えっと、はい」
「ありがとう。さすがメインヒロインですわね」
「メイ……へ?」
さすがエリッタ。手を軽く包んでニッコリ微笑むだけで二つ返事。
交渉事というのはこうでなくては。人間素直が一番。
……人間素直が一番!
「では、さっそく行きましょう。あなたの力が必要なのですわ!」
「あ、あのどこに……うわっ、力強い!? えっ、足早っ……じゃなくて私の足浮いて……ひえっ、馬車より早っ……ひぃぃいいっ!?」
ということで、アタシは無事にエリッタを目的の場所まで運ぶことに成功するのであった。
ー・-・ー・-・ー
「……ここは……」
「貧民街、スラム街……いろんな呼び方がありますが、一番酷いのは肥溜めでしょうか」
「肥溜め……」
アタシとエリッタの前に広がるのは薄汚れた建物と人の群れだった。
生気のない、澱んだ顔つきの人々がアタシとエリッタを見る。
バモンド王国の暗部であり、病気やケガで働けなくなったり、孤児たちが集まる区域だ。当然犯罪の温床になっており、大小合わせて様々な犯罪組織が跋扈している。
「ここは、ワタクシの生まれ育った場所に似てますの」
「え……? 伯爵令嬢のリーゼ様の、ですか?」
「リーゼでいいですわ。これからあなたに大変なことを頼むので、対等な関係でいたいのです」
「えっと……私は庶民ですので……」
エリッタがモゴモゴ喋っていると、少女がひとり駆け寄ってくる。
「お姉ちゃんたち、お花買って」
少女が手にしていたのは枯れた花だった。当然価値などない。
しかしアタシは銅貨を一枚取り出して花と交換した。
少女が嬉しそうに駆けていく。
「ワタクシは、ここの民を救いたいのです」
「え?」
「自分から犯罪の道を選んだ者はもちろんどうでもよいのですけど、そうではなく、選ばざるをえなかった者たち、ここにしか居場所のない人々。そういう人たちを助けたいのです」
「助けるとは……」
「ワタクシには財力も武力もあります。けれどそれで是正しても一過性のもの。実際に生まれ変われることを目にしないと意識は変わりません」
困惑するエリッタを、アタシはジッと見つめる。
「あなたの清浄の魔法が必要なのです。エリッタ」
「どうして私の唯一の魔法を……」
「伯爵家の情報網はすごいので」
アタシが微笑むと、エリッタも笑う。しかしすぐに困ったように眉を八の字に曲げた。
「けど、私のクリーンは汚れを落とすぐらいで聖女に必要な癒しの効果は……」
「ええ、だからそれが必要なのです」
もちろん知っている。エリッタは謙遜するが、魔物が跋扈するこの世界において、エリッタのクリーンは武器になる。なぜならば魔物の巣を清浄化できるのだ。戦わずに消せるということは犠牲を払わずに済む。
それだけでも充分すぎるのに、さらに人の濁った心根までも綺麗にする。人々に希望を見せることまでできる。
クリーンを使える魔法使いはいても、エリッタと同じ効果のクリーンを使えるものはいない。
物語の後半になってから真の効能が明かされるまで、エリッタのクリーンはただ汚れを落とす便利な家事魔法としてしか認識されていない。
魔物を巣を壊滅させるほどの力は魔法を使って鍛えてからになるが、人の心に巣食う絶望を取り払うことは現時点でも可能だ。
「この場所は働けなくなったものたち、子どもたちが食い物にされています。麻薬だって出回っている。取り締まる動きも過去に幾度かありましたが、捕まるのは末端だけであっという間に元通り」
アタシはひとつため息を吐く。これからエリッタに家の恥をさらすことになる。
「そしてこの場所を取り締まるのは我がアレクシュール家の役目。けれど犯罪組織から賄賂を貰い、決定的な証拠を掴ませないようにしているのは我が父、アレクシュール伯爵なのです」
「……え」
そう。リーゼの父であるアレクシュール伯爵が金の代わりに見逃しているのだ。他の貴族と結託して。
「弱者にとって逃げ場があっていいだろう。などと、他の貴族と会話しているのも聞いたことがあります。ワタクシは、それが許せなかった」
拳を握り締める。前世、忍崎摩耶乃のときのことを思い出していた。
荒れた地域。力がなければ生き残れなかった。悪い大人たちの食い物にされて、そしてその大人たちもさらに悪い奴らに食い物にされる。
負の弱肉強食だ。誰も幸せにならない。
「だからワタクシは友人の言葉を思い出し、別名義で商会を立ち上げましたわ。化粧品が売れるからと。そしてこの場所を変えるだけの財を成した。これからも増えることでしょう。あとは、一過性ではないこの場所の立て直し……」
お金を施せば一時的に潤うだろう。だけどお金が尽きたら?
力で脅せば一時的に平和になるだろう。だけど誰の目も届かなくなったら?
人の心は絶望と仲良しだ。相性がいい。
人は誰しも無条件に希望を持って生きられるわけではない。
だから、力と財と、聖女の魔法が必要なのだ。
「改めて、力を貸してくださいませんか。エリッタ」
「……はい! 私で良ければぜひ! 素晴らしい考えですリーゼ様! むしろ手伝わせてください!」
差し出すまでもなく、今度はエリッタのほうからアタシの手を握ってきた。柔らかく温かな手。なるほど、これは心を掴まれるかも。
「それで、私はなにをすれば?」
「それはもう決まってるわ。片っ端から魔法をかけて。この区画に、人に、すべてをキレイにしてあげて」
「それだけ、ですか?」
「……この区画全部よ?」
「全然平気だと思います」
「……根性ありますわね。やっぱりあなたのこと好きですわ」
「私もリーゼ様のこと、好きになってきました!」
「ありがとう。ふふ。それじゃあ、始めましょうかエリッタ」
「はい!」
返事とともにエリッタが目を閉じ、詠唱を始める。
エリッタの身体が白く輝き始め、それは徐々にこの場所に広がっていく。
先ほどの少女が光に包まれ、薄汚れていた服、そして身体から汚れが取れていった。隠し切れなかった瞳の奥の絶望からくる淀みも、薄らいでいく。
そして貧民街と呼ばれていた場所全体の建物や人々が美しく変貌していった。纏っているのはボロだとしても、その表情に生気がみなぎり始める。
「これが聖女の魔法。思ったとおり、素晴らしいものですわね」
ゲームでは知っていたが、実際目の当たりにするとその凄まじさに驚かされる。
これが魔物の巣を消し去るほどの魔法。
今はまだその力がなくとも、アタシには心から信じることができる。
「アタシの世界にも、聖女様がいたらよかったのに」
ぽつりとつぶやく。お嬢様言葉が抜けてしまったが、聞いているものはいない。
思い出すのは前世のアタシ。忍崎摩耶乃の生まれ育った世界。
そこでは必ず、掃除をしたら出てくるものがあった。
それはこの世界でも変わらない。
「なんだこの魔法はぁっ!? 誰だこらぁっ!」
案の定、街の奥から出て来たのはこの区画で一番大きな犯罪組織の面々だ。希望を宿した人々を蹴飛ばし、表に出てくる。
「あの女だ! 妙な魔法使ってるぞ!」
「こいつらに希望持たせてんじゃねぇぞ!」
「おい! 早く呪魔法でこいつらを絶望させろ!」
彼らは人々が堕落していないと困る。最初は無理やり麻薬を使わせて、そこから抜け出せないようにする。女性男性問わず身体を売らせて、この街に縛り付ける。
自分たちにはここしかないと思い込ませる。自分たちには価値がないと信じ込ませる。善良な人々が食い物にされる。少年少女が夢を見ることすら許されず絶望を叩き込まれる。
許せるか?
許せるわけねぇよなぁ?
「ひっ……!?」
先頭を切って歩いてきた犯罪組織の男が怯える。
ああ、せっかく練習してきたのに、笑顔が昔に戻ってる。
燃えるような赤髪が風に舞い、最恐最悪の狂犬が姿を現す。
「皆様方。ご覚悟はよろしくて?」
アタシは喧嘩より難しかったカーテシーを披露し、それから先頭の男を殴り飛ばした。
「げぼぁっ!?」
男が吹き飛ぶ。続く男も蹴り飛ばす。ナイフを持った女も平手で頬を張り飛ばす。掌底を当てているので、殴るのとほとんど変わらない。たぶん顎の骨は折れただろう。
「女ひとり相手になんてザマだお前らぁっ!」
「お、お頭ぁっ!」
巨漢が出て来た。伯爵家情報網で知っている。犯罪組織のボスだ。
禿頭で蛇の入れ墨を頭や腕、背中、足などに所狭しと入れている。
睨まれるだけで怯んでしまうだろう。普通の人間なら。
「手間が省けましたわぁ」
アタシが嗤うと、逆に巨漢が怯んだ。本能はわかっているのだろう。直感に従ったほうが賢明だと思う。
しかし巨漢はプライドを優先した。
「ぶち殺すぞこの女ぁ!!!」
「それはこっちの台詞ですわぁっ!」
巨漢が振りかぶる。アタシも振りかぶる。
そして突き出した拳と拳がぶつかり、衝撃波が雑魚どもを吹き飛ばす。
当然、巨漢も血だらけの手を押さえてうずくまった。
「う、うぐぁああああっ……!?」
「栄枯盛衰。派手に栄えすぎましたわね」
「お、お前ら、何者だ……」
「え?」
アタシはいまだクリーンを発動し続けるエリッタと自分の姿を考え、それから笑顔で思い切り巨漢をぶん殴った。
「ぎゃひんっ!?」
「何者と言われましても。ただの伯爵令嬢と聖女ですわ」
ニッコリ。
そしてそれからたっぷり一時間。
アタシとエリッタは“掃除”に励んだ。
すべてが終わったあと、エリッタが周りに転がる強面の男たちに驚いていたが、そこは素直に驚かせて申し訳ないと謝っておいた。
「じゃあ、あとは任せましたわ」
「はい! リーゼ様!」
商会を立ち上げたときに雇ったというか、殴って改心させたら勝手に惚れ込んでついてきた元盗賊団の私兵に命じて、犯罪組織の面々を屋敷の牢屋に連れて行かせる。
腐敗貴族の息がかかった国の牢屋では何の罪もなく出てくる可能性が高いからだ。
「これで、リーゼ様の望む街になりそうですか?」
エリッタの言葉に、アタシは首を振る。
「いいえ。まだよ。もう一仕事残ってるわ」
そう伝えて、アタシは唇を引き締める。
ー・-・ー・-・ー
それから一か月が過ぎて──。
アタシとエリッタは王宮の謁見の間にいた。
目の前に王と王妃、左右を固めるのは多くの貴族たちだ。
「しかし本当に素晴らしい働きだった、リーゼ嬢、エリッタ嬢」
白い髭を蓄えた人の良さそうな王の言葉に、エリッタは恐縮し、アタシは小さく頷く。
「お褒め頂き光栄ですわ、我が王」
「自らの父の不正を暴けるものが今この国にどれほどいるだろうか」
「これからたくさん出てくるでしょう。そのための前例が生まれましたから」
アタシがニッコリ微笑むと、空気がざわりと動いた。
腐敗貴族たちの視線が、アタシを射抜くように見てくる。
しかしそれで怯むと思っているのだろうか?
見返してやると、臆病な者はすぐに目を伏せた。狡猾なものは視線をわずかに逸らした。そして挑戦的な者は、アタシをまっすぐに睨み返した。
思わず、口元が緩む。
令嬢となって七年の歳月が過ぎても、いまだその中身は血沸き肉躍る闘争を求める狂犬のままだ。
己が絶対だと信じている強者を叩き潰すほどの快感はない。
「褒美はなにがいい、リーゼ嬢」
「ワタクシはあの区画の統治権をいただければと」
「……ほう。お前たちが正したとはいえ、いまだ貧民街のあの土地をあえてか?」
「だからこそ、ですわ」
領土があれば人が増える。領土があればもっと大きな戦を仕掛けられる。これから売られるだろう喧嘩は、すべて買うつもりだ。
「わかった。統治を許そう」
「ありがとうございます」
「して、エリッタ嬢はどうする」
エリッタは一度アタシを見てから、王と向き合う。
「私はお姉さま、リーゼ様とともに働きたいと思っています」
「……ふむ。お前たちふたりなら、この国はますます発展しそうだ。だがお前は聖女候補。その力が必要となったら……」
「そのときは聖女の力を存分に振るわせましょう」
アタシが応えると、エリッタが微笑む。それを見て王も王妃も深く頷いた。
「あいわかった。では聖女候補、そして聖女としての務め以外はリーゼのもとで振るうものとする」
「ありがとうございます」
アタシは笑みを浮かべ、改めて周りを盗み見るように見渡す。
腐敗した貴族たちが歯噛みしている。どうせエリッタを取り込めば何もできないだろうと強引な手に出るつもりだったに違いない。
そんなことはさせない。けれど、これから強引な手を使ってアタシたちを潰そうと画策するのは大歓迎だ。
売られた喧嘩は商会を売ってでも買ってやる。
……それはエリッタに全力で止められそうだが。
「ふふっ……」
つい、小さく笑いがこぼれる。
本来の自分の役割を思い出して、そしてその役を真っ当できてしまっていることに笑ってしまったのだ。
悪役令嬢リーゼ・アレクシュール。
アタシは腐敗した貴族たちにとって、人を食い物にする者どもにとって──どうしようもなく悪役な令嬢となったのだった。