最後の朝⑦
人々は再び、天上の言葉を繰り返す。
『レーカ・モガイジャー・ジンニン・ギマネッタ!!!!レーカ・モガイジャー・ジンニン・ギマネッタ!!!!我らが最上なる神、蒼様の祝福を!!!!!』
(本当に!?蒼様なのか………!?)
翠は蒼様の姿を知らない。翠はチキのようにそう教典を読みこんでいるわけではない。だから、蒼様の服や目の色なんて知らないが、確かチキは両目の色が違うの少女…だと言っていたような。
それに、人々の振る舞いを見るにあれが蒼様のようだ。そして、そう言われて納得してしまうほど、その少女は異質だった。
その髪の色も、その目の輝きも、そのまとう服も、そのどれもが、余りに異質だ。
そして何より、その少女は、自らに祈りを捧げる民を一瞥もすることなく、ただ空を見ていた。普通、自らを崇めたたえられ、全く無関心を貫くものなどいないだろう。
まるで、船の下の出来事に全く興味が無いように。人々に、なんら興味はないのか、それとも、空を見ながらも、祈りの言葉を聞いているのだろうか。
そしてしばらくして、祈る人々の1人が立ち上がり、声を上げた。
「蒼様!!お会いでき、光栄ですッ!!」
頭を下げる人々の集団、その前方に居た人の内の1人男性が、蒼様に向かって声を上げる。
翠はその男に見覚えがあった。
(隣の教会の教主の……そうだ、テンさんだっけ。)
ここ、京都にある教会は一つだけではない。あの男性、テンは翠の属する教会の隣の教会の教主だ。確か一度だけ、翠達の教会に来て教えを説いていたことがあったはず。
その言葉に蒼様が振り返る。そして、蒼様がテンのことを見た。
その目はやはり、底なしに冷たかった。
そして、蒼様が声を発した。
「………あなたは………?」
その声は冷たかった。だが、意外にも普通の声だった。
そう、普通の、底なしに冷たい声だ。
まるで、この世の全てを凍りつかせるような冷たい声。あなたは、と相手の出自を聞いているにも関わらず、本当は相手になんの興味も無いと言わんばかりの、冷たい、冷たい声。慈愛の神から発せられる声には到底思えない。
だがそれは同時に、普通の声だった。普通の声、という表現は少しおかしいかも知れないが、それまで全てが異質だった少女が発した声は、ごくごく平凡な少女の声だった。
そして、名を聞かれた当人、テンが片手を胸に当て名乗る。
「私の名は天と申します。ここ、京都の京都小道教会で、蒼教の教主を務めさせていただいております。」
天が名乗りを上げる。その名乗りを聞いた蒼様はこう呟いた。
「…………………蒼教…。…………そうですか。」
蒼様は冷たい声で蒼教、という言葉を噛みしめていた。
その蒼様に、テンがこう尋ねた。
「その蒼様、今回はどういったご用件で、この世界へとご降臨なさったのでしょうか。」
そうだ。それが問題だ。
恐らくここに居る全ての人が気になっていたことだ。蒼様は何故今ここに現れたのか。教典には蒼様は人々に恵みを与えるため降臨したとあるが、今回もそうなのか。そして、なぜ、なぜ慈悲の神と呼ばれる蒼様が、御所を潰したのか。
だが、蒼様の出した答えは翠の予想と異なる物だった。
「私はこれまで、人間の営みを上界から見守ってきました。」
蒼様は突然そう話し始めた。
(なんの…ことだ……?)
きっと違和感を覚えたのは翠だけじゃない。これを聞く信者たちも同じように違和感を覚えたはずだ。
だが、蒼様はそんなことお構いなしに続ける。
「当初、下界の人間はこの上なく愚かな生き物でした。しかし、最初は愚かだった人間も、時を経て変わっていくと信じて見守ってきました。下界への介入は最小限にとどめ、人間の心の成長を、待ち続けていました。」
「ですが、人間、あなたたちはいつまでたっても愚かなままでした。騙し、奪い、争い合う。挙句、数えきれないほどの同族を殺してきた。数万年前から変わらない。余りにも愚かです。」
(何を言っているんだ………?蒼様は………?)
翠には蒼様の言っていることが理解できなかった。人類の歴史の話だろうか。……愚か………?確かに人は奪い合うし、殺し合う。それはそうだし翠もそのような行為は愚かだと思う。だが、今この状況の説明にはなっていない。
(違う…俺が知りたいのは、どうして、御所を…)
だが、蒼様にとってはそれで十分な説明だったらしい。それ以上そのことに触れるつもりはないらしい。
その代わりに、蒼様はその冷たい目で人々を見下すと、こう宣言した。
「ですから、私は決めました。本日より、神である私が、この国を直接、統治します。私がこの国の支配者となります。」
(支配者………?統治………?)
突然の宣言に困惑する翠。だが、人々はそうではなかったようだ。
先ほど祈りを捧げていた人たちが、次々に声を上げ始める。
「今蒼様、直接統治してくださるって言ったよな!?」
「ああ。ってことは、蒼様が直々にこの国を管理してくださるってことだよな!?」
「私たちの蒼様が、直々に導いてくださるのね!!」
盛り上がる人々。そして、そのうちの誰か1人がこう叫んだ。
「蒼様!!万歳ッ!!!」
そういいながら、1人の男性が両手を上げる。それに人々が続く。
「蒼様!!万歳ッ!!!」
「蒼様!!万歳ッ!!!」
『蒼様!!!!万歳!!!!!』
京都の空に、万歳の声が響き渡る。信者たちの声は歓喜に満ちあふれていた。
翠は蒼様の言っていることも、信者たちの喜びを理解できなかったが、はっと、それどころでは無かったことを思い出す。
(そうだ………そんなことより、父さんだ。)
余りに異様な光景に当てられてしまっていたが、それどころではない。翠の父はあの御所に居るはずなのなのだ。早く行かなければ。
翠が再び駆け出そうとしたとき、翠の右手が捕まれる。
「翠君ッ!!待ってッ!!!」
引き止められた翠が立ち止まる。
その声は良く知っている。
朝日だ。
「朝日!?どうした!?どうしてここに!?」
翠を引き留めた朝日は、かなり走っていたのか息は荒く、少し取り乱していた。
朝日は息を戻すとこう言った。
「翠君、少し、こっちに来て欲しいの。」
「ん……。どうした?」
朝日は翠が今非常に急いでいることは知っているはずだ。それなのにわざわざ引き留めたということは、それ相応の理由があるのだろう。
翠はそう考え、朝日についていく。
朝日は翠の手を引きながら、御所沿いの道を少し歩いていくと、立ち止まる。距離にして100メートル弱、御所の正門から少し離れたが、先ほどの場所と大して変わらない。
「それで朝日、何があったんだ………?」
そう尋ねると、朝日は少し困った顔をしながら、こう言った。
「こう言っても信じてもらえないかも知れないけど……………あの場所…………とてもイヤな、ニオイがするの。」
「………………ニオイ………?」
「うん。………………理由は分からないんだけど、あそこはとてもにおう。ヘンな…ヘンなニオイがする。それで、あそこにはいちゃいけない気がする。」
そういって、朝日は御所の前の人だかりを指さす。翠もそこに目をやる。
(におう……………か………。)
正直、翠には朝日の真意がつかめなかった。翠は先ほどまであそこにいたが、何のニオイもしなかった。それに、ニオイがしたところでそこから離れる理由はないだろう。
だが、翠は少し考えたあと、朝日を信じることにした。
「分かったよ。じゃあニオイがしなくなったら教えてくれよ。」
「……うん!!」
そういうと朝日が微笑む。朝日も信じてくれるとは思っていなかったのだろう。あまりに唐突な言葉だ。翠でさえこんなこと信じてもらえないと思っていたのだろう。
そんな会話をしていると、さっきの人だかりから声が聞こえてくる。この声は、隣の教会の教主、テンさんの声だ。
「蒼様!!この国を統治してくださるということでここは一つ、我々の願いを聞いていただけないでしょうか!?」
「……………なんでしょう。」
テンが何か蒼様に願いを言うようだ。だが、テンは気づいているのだろうか。最初から蒼様の瞳はずっと冷たいままだ。
確かに、蒼様はこれまでの冷害から人々を救ったとされる。だが、おおよそ慈悲の神とは思えない全てを見下すような目をした神が、本当に何かを叶えてくれるのだろうか。
翠の思いなどいさ知らず、テンが続けた。
「この国は今、ひどい冷害に見舞われております。特に今回の冷害は深刻で、既に50年前の冷害以上の死者も出ています。」
「みな今年の冬は越せるかと不安な毎日を過ごしております。どうか、蒼様の手で私たちを救ってくださらないでしょうか。」
テンの願いは至極真っ当なものだった。皆心に抱く不安は同じだ。今年の冬は越せるのか。来年隣の友人と笑ってくらせるだろうか。信者たちも信者でない翠も同じ。誰だってそのことを考えている。
そして、今目の前に居るのはかつて冷害から救ったとされる蒼様だ。この願いにたどり着くのは当然ともいえるだろう。そして、もし叶えばこの上なくうれしいことだ。叶えてもらえるなら、蒼教にまた入ることを考えてしまうかも知れない。
だが、目の前の蒼様の目が凍り付いている。それだけが不安だ。
その願いを聞いた蒼教は一瞬目を閉じ、少し何かを考えるかのように静止すると、突然目を見開いた。
そのオッドアイの両目はその日一番見開かれていた。
蒼様はゆっくりと、こう宣言した。
「よろしい。その願い、叶えて差し上げましょう。」
(え……!)
蒼様の意外な言葉に、翠が目を見開く。先ほどまで常にこちらを見下していた神とは思えない発言だ。
蒼様の言葉を耳にした天が喜びをあらわにした。
「ありがとうございます!!蒼様!!!これでみなも!私の子供も!!今年は苦しまずにすみます!!!!」
(そうか……あの教主様も…)
天にも子供がいるのか。それで、なんとしても今年の冬は無事に越したかったということなのだろう。神を信じるものであれ、信じないものであれ、大切なものは変わらないのかも知れない。
だが、その時、後ろに居た朝日が鼻を抑え、こう言った。
「翠君……におう………におうよ………………。」
「え?」
その時、蒼様はテンのことをじっと見ていた。蒼様は喜びを示すテンに、こう尋ねた。
「あなた、食糧難がなぜ起きるか、分かりますか。」
突然聞かれたテンは少し戸惑っている。テンは何か答えようとしたが、蒼様はそれをさえぎり、こう言った。
「食糧難が起きるのは、人が多いからです。食糧難を解決するには、人を減らせばよいのです。」
「え………」
テンはその言葉をぼう然と聞いていた。テンだけでない。他の信者も、翠も予想外の答えにあっけに取られていた。
ただ朝日だけが、震えながらこうつぶやいた。
「……………………………………だめ……………ダメ……………!!」
突如蒼様が刀を取り出した。それは、船の色と同じ銀色の刀だった。蒼様の小柄な体に似合わない長い刀。
蒼様が刀を突き出すと、その銀の刀が青白い光を放つ。
最後に、蒼様はこう言った。
「神たる私が直々に、人を減らして差し上げましょう。愚かで愛しき我が民に、慈悲と試練を。」
そして、蒼様が刀を振り上げ、振り下ろした。
その瞬間、まばゆい光が京都全土を駆け抜けた。
光と同時に、爆風が翠と朝日に襲い掛かってきた。あまりの衝撃に二人の体が吹き飛ぶ。
翠はなんとか朝日の手を掴み、朝日を抱え込む。そして受け身を取って衝撃波の中を転がった。
それは嵐だなんて言葉で生易しい表現するにはあまりに足りないほどのものが翠たちを飲み込んでいった。
爆風は数十秒の間、絶え間なく翠と朝日を飲み込んだ。これ以上吹き飛ばされぬようにと、翠はぐっとこらえる。
衝撃波が、止んだ。
「大丈夫か!!朝日ッ!!」
「……うん……翠君は…?」
「ああ、俺も大丈夫だ。」
2人とも、何とか無事だった。そして、今のは一体何だったのかと御所の方を見る。
その光景を見た翠と朝日は、あまりのことに言葉を失った。
「………なんだ…………あれ……………。」
「………………う………………そ………。」
京都が、真っ二つに、割れていた。
いや、正確には、蒼様が刀を振ったその直線上、その直線上にあったもの全てが消滅していた。
道路があったはずの場所は深くえぐれ、そこにあったはずの建物が全て跡形もなく消え去っていた。その先にあったはずの山までもが、真っ二つに割れ、消滅している。
何もかもだ。何もかもその全てが消えていた。