最高
翠は再び、木箱に手をかけた。今日まで、開けることのできなかった木箱。もし開かなければ、約束を破るほかないだろう。最後の賭けだ。
翠は木箱を空けようとする。だが、やはり何かに開けようとする手が阻まれた。
……予想通りだ。今日まで開かなかった箱が突然開くなんて、都合のいいことは起きるはずがない。
それでも翠は指を押し込む。けれども、箱が開く気配はない。だが、開けなければいけない。翠は必死で木箱をこじ開けようとする。
「開いてくれ!!開いてくれ!!」
ここで開かなければ、終わりだ。開かなければもうどうしようもない。翠は血が滲みそうになるほど、指に力を込める。
「開いてくれッ!!開いてくれよッ!!!」
……………あか、ない。開かない。どうやってもびくともしない。
「はあ、!はあ……。」
ダメだ。開かない。
これ以上は無理だ。これだけやっても無理ならば、どうやっても開かないだろう。それに、もう、その時が迫ってきていた。
後ろを見ると、白い翼たちが徐々に距離を詰めている。
「…………ごめん。父さん。」
もう無理だ。開く気配すらない。もう間に合わない。
父との約束はどうも守れそうにない。そんなことをしていれば、みんな死んでしまう。そんなことになって仕舞えば、なんの意味もない。
翠が木箱を投げる覚悟を決める。
投げる場所を決めるため、森の様子を伺う。
(もう崖道に差し掛かってたんだ………ならこっちだ。)
天使からの逃亡と箱を開けるのに必死だったため、今まで気づかなかったが、この辺りはすでに崖際の道だったらしい。片側は大きな壁が聳え、もう片側は深い崖になっている。
崖下に投げて仕舞えば、きっと天使はそちらを探しにいく…はず。きっと、多少は時間を稼げることだろう。
投げるならあの辺りかと翠が当たりをつけた時、結衣が叫んだ。
「みんな!!!止まって!!!」
「えっ!!」
慌てて4人が馬を止める。翠も突然のことに困惑しながら前を見る。
「…道が……崖が、崩れたのか…」
「…最悪…」
道が、塞がれている。
隣の崖が崩れ、完全に道が塞がれている。
崖崩れの規模は相当のものだった。壁のような高さの土砂が道を塞ぐ。これではう回するにもかなりの時間が―――
その時、翼のはためく音が聞こえた。
翠達5人は咄嗟に振り返る。
天使だ。追い付かれた。
翠達の様子を伺うかのように翠達の上を飛ぶ4体の天使。その全員がこちらに槍を向けている。
後ろは崖崩れ、前には天使、左右は崖。もう逃げ場はない。
詰みだ。
どうあがいても逃げる術はない。
「もう…駄目だ…」
チキが震える声でそういう。
「糞………もう、どうしようもないのかよ…」
ゲンジも歯を食いしばりながらつぶやく。
「………。」
結衣は何も言わず天使たちをにらみつける。
「翠君…あなただけでも…逃げて。」
朝日は声を震わせながらそういう。
皆、もう万策尽きたことを理解していた。
目の前の天使は槍を構えながら徐々に接近してくる。もう残された時間は幾許もないだろう。
「…いや!まだだッ!!」
翠が、叫んだ。
翠は諦めていなかった。
(…とは言ってみたが…どうすてばいい!?)
だが、そう叫んだ翠にも策はなかった。
翠は天使たちを睨みつけながら必死に頭を回す。
(もう…箱を投げる手は使えない…この間合じゃ箱で時間を稼いでもすぐ追い付かれる…)
翠は必死で策を考える。しかし、状況は策を弄したところで、どうにかなるような盤面では既になかった。四方は塞がれ、今にも天使がこちらを殺そうとしている。もう逃げ切る術はない。
(…はは、どうしようもないじゃないか…はは、ここまで来て、朝日も取り返したってのに、何も思いつかないじゃないか!)
(……はははっ!そうだ、…こうなったらっ!!)
「ゲンジさん!!銃を!!!」
京都から逃げた時結衣と和也が二丁持ち出していた銃。一丁は結衣が囮になる際に使っていたが、もう一丁はゲンジが持っていた。翠はゲンジから銃を受け取る。
(ああ…、そうだ…それがいい!)
ゲンジから銃を受け取った翠は馬を歩かせ結衣の隣に出る。そして銃を天使に向け構えこう言う。
「結衣さん!同時にやつらの翼を打ち抜きましょう!!」
(…もう、策なんてどうでもいいじゃないか!…勝てる可能性がゼロになるくらいなら、イチでもある方がマシだ!!)
翠に作戦などなかった。でも、そんなことどうでもよかった。可能性があるなら、もう何でもやるしかない。それ以外の選択肢は無い。どう考えても自暴自棄だ。だが、それですら諦めるよりかはマシだった。
翠の言う意図を結衣はすぐさま理解した。結衣は咄嗟に銃を構え、答える。
「翼を撃てば……飛べなくなるかしら?」
「さあ…?…ははっ!でも、やるしかない!」
「…そうね……!」
2人が銃口を天使に向ける。最後の賭け。
覚悟を決めたその時だった。
「はは、ははは!!!ははははは!!!」
突然、森中に甲高い女性の声が響き渡る。
「おめえらッ!!」
「最ッ高だ!!!」
その叫び声と同時、後方の崖崩れの上から一つの人影が飛び立った。
そしてその影は翠達の上を通り抜けると即座に天使のうち一体に詰め寄る。
外套を被っていてよく顔は分からないが確かに女性だ。
その女が刀を抜いた。そして、自由落下の中、天使に接近するごく一瞬、女は刀を振るった。
あっという間の出来事だった。一体の天使の両翼が根元から切り落とされた。
驚きと困惑が混在している5人の前に天使と女が落ちてくる。
だが、それだけで終わりではなかった。
「ガハハッ!お前らの意思!!しかと見届けたぞ!!」
それは男の声だった。先ほどよりも大きな人影が崖くずれから飛び立つ。
その男も、同じ外套を着ていた。男は別の天使に迫ると次は両翼と首、その全てを同時に切り裂いた。
そして、もう一つ、小さな影が音もなく飛び立った。
その影の主も同じ外套を着ている。
小さな影の主は、一体の天使の上に飛び乗った。即座に影の主は刀を抜く。
「はあああああっ!!!」
そう叫びながら、一瞬で飛び乗った天使の首と両翼を切り落とす。
そしてその両翼の落ちた天使を蹴とばすと、その反動で最後の天使に迫る。
「はあっ!!」
そう叫んだ瞬間、最後の天使の首と両翼が切り落とされる。
そして、少年が落ちてくる。
「良かった…みんな、無事みたいだね。」
3人目おかっぱの小さな少年だった。なぜか両目をつぶっている。
年は翠達と同じぐらいだろうか。さきほどの動きからは想像もつかないほど若い。
3人はあっという間に、4体の天使を倒してしまった。