豊穣祭④
そして翠は人混みの前の方、式の様子が良く見える場所に陣取る。式の開始を待つ。
雨足はさらに強くなっている。蓑や傘、手ぬぐいなどの雨具を持っている者もいればそのままびしょ濡れになっている者もいる。そして翠も雨具など持ってきていない。このまま濡れ続ければ風邪をひいてしまうだろうが、今はそんなことを心配している余裕はない。
前もって知らされていた開始時間はもうすぐだ。翠は周囲の警戒を怠ることなく式の開始を待つ。
そうして待つこと数刻。
「来た…」
京宮御所の中から天使が出てくる。女性の中位天使だ。冷たく、赤い瞳。その天使はウールと同じアイボリーを基調として、青い2本の流線がひかれた法衣を纏っている。
そしてその右手が縄を引いている。
天使の縄に引かれて次々と人々が歩いてくる。
間違いない。生け贄だ。
その人たちはみな、両手を縄で縛られ、白衣と袴をまとい、天使にひかれながら会場に入ってくる。 生け贄には子どもから大人、男性から女性まで、様々な人がいた。生け贄の人の属性は、特別重要ではないらしい。
生け贄の人々の列をじっくりと確認する翠。しばらくして、待っていた人が現れた。
「…朝日…!」
翠が小さな声でそう呟く。
(…良かった…。とりあえずは…無事みたいだ…。)
現れた朝日は他の人と同じように白衣と袴をまとい、縄で縛られている。目立った傷なども見当たらない。
豊穣祭前に生贄が殺される可能性もゼロではなかった。だから、翠はとりあえずほっとした。
(でも、やっぱり、若菜はいないか…。)
あの日、教主様によってさらわれた若菜。翠はさらわれた理由が今日、生贄するためだという可能性もあると考えていた。それならば、若菜も一緒に奪還できるかもしれないと考えていた。だが、そうではないらしい。
生け贄の人々が出そろう。だがやはり、そこに若菜の姿は無かった。やむを得ない。今は朝日の救出に専念しよう。
そして最後にもう一体中位天使が出てくる。こちらは男の中位天使だ。
(さて、問題はここからだ…)
生け贄の人々を確認する。彼等は今、横一列に並ばされている。全部で30人強と言ったところか。
朝日は列のだいぶ後ろの方だった。儀式が列の前の人から順番に行われるとしたら朝日の順番はだいぶ後だ。前の人の儀式を確認して作戦を調整する時間は十分にあるだろう。これも翠たちにとっては幸運だ。
翠がそんなことを考えていると、御所の門から、さらに2人が現れた。
「あ…」
翠は思わず声をもらす。
背筋が冷え上がるのを感じる。時間をとめられたかのような感覚。恐怖が体中を埋め尽くす。
蒼様だ。
若菜より幼げな体。それにも関わらず、青と赤に光る両目はあの日と変わらぬこの世の全てに無関心とでも言うような、死に切った目をしていた。
あの目を見ると嫌でも思い出す。あの日の惨劇を。
冷害を解決すると言った蒼様は、京都を両断した。家族が家で待つ信者をたった一振りで粉微塵に変えた。天使を放ち、京都を血に染めた。
そして、信頼していた教主様は、敵だった。蒼様の仲間だった。
あの日の全てが一挙にフラッシュバックする。死への恐怖が体中を暴れ回り、息が止まりそうになる。そして同時に、あまりに理不尽な神に、怒りが湧いてくる。許せるはずがない。蒼様のせいでどれだけ人が死んだか。
(許せるものか………)
だが、それではいけない、怒りに身をまかせていてはいけないと翠は自分に言い聞かす。
(落ち着け…。それは今はどうでもいい…。俺の目的は朝日を助けることだ…!)
数え切れない命が、蒼様によって奪われた。許していいはずがない。それでも、翠の目的は復讐でも正義を振りかざすことでもない。
(そうだ…。俺は朝日とチキと、若菜と、今までのようにいれればそれでいい…!悪魔を裁くのなんて、全然どうでもいいじゃないか…。)
そうだ。悪人がいようとどうでもいいじゃないか。強盗が、猟奇殺人が、悠々と街を闊歩しようとどうでもいい。そんなことよりまた、あの日々が戻ってくればそれでいい。悪人を裁くのはやりたい人がやればいいじゃないか。
翠は自分の想像以上に冷静だった。恐怖で体が震えることは変わらないがそれでも動ける。作戦は続行できる。
再び翠は状況を確かめる。
現れたのは蒼様と一体の天使。その天使の法衣はウールら中位天使が着ている法衣より描かれた青の流線が一本多い。
法衣の意匠はたった一本の流線の差。だがその「存在」の威圧は明らかに他の天使と一線を画している。
(間違いない…上位天使だ…。)
上位天使。天使の中ではもっとも位階が高く、たったの数体しかいないらしい。そして、蒼様にもっとも近い存在。
江戸を始めとする京都以外の主要都市の支配は上位天使が行っているという。そのことからしても中位天使と比べても別格の存在なのだろう。
中位の数は多くない。それ以外は上位一体と蒼様本人だけ。やはり天使の数自体は多くない。だがそれ以上に一体一体が危険なのが肌で分かる。
そのことは会場の後方に待機しているゲンジも感じ取っていた。
(はは、冗談だろ?今から俺たちはあいつらに歯向かうのか?)
ゲンジは血の気が引いていくのを感じる。ゲンジは蒼様や上位天使この目で見るのは初めてだ。それでも一瞬で分かる次元の違い。あれはこの世の者とは思えない。
神が人間のことを虫けらとしか思っていないことも納得だ。あまりに住んでいる世界が違う。
(だが、やるしかねえよな…)
ゲンジの決意も固い。今更引き返すつもりなどさらさらない。
そうして、各々が敵の異常さを改めて確認しているうちに、女の中位天使、上位天使と蒼様が断頭台の上に立つ。
(始まるのか………)
断頭台の上の女の中位天使が、一呼吸置くと式の開始を告げる。
「これより豊穣祭を開始する。始めに、蒼様への感謝を伝えるため、天上の言葉を捧げなさい。」
厳かな言葉が京都と中心に響く。雨の中でもその言葉ははっきりと翠達に届いた。豊穣祭が始まった。そしてすぐ、その言葉を合図に、人々が両手を合わせ目を瞑る。
翠も彼らと同じように手を合わせる。
(ここはこらえるしかないよな…もしばれたら、全部終わりだ。)
翠は本心では、間違っても蒼様に祈りなど捧げたくなかった。だが、もし祈りを捧げないことで疑われでもしたら、全てが無駄になってしまう。今大切なことは、朝日を助けることだ。朝日を助けて、5人で京都を脱出することだ。
そして人々が、翠が、ゲンジが目を瞑り、声を上げる。
『レーカ・モガイジャー・ジンニン・ギマネッタ!!!!レーカ・モガイジャー・ジンニン・ギマネッタ!!!!我らが最上なる神、蒼様の祝福を!!!!!』
『レーカ・モガイジャー・ジンニン・ギマネッタ!!!!レーカ・モガイジャー・ジンニン・ギマネッタ!!!!我らが最上なる神、蒼様の祝福を!!!!!』
雨の京都の中心で天上の言葉がこだまする。
豊穣祭が、幕を開ける。