旅立ち
連れ去られていく朝日。すぐに朝日の姿は空に消え、見えなくなってしまった。
一方で、天使が話を再開する。今日の用件はこれで終わりでは無かった。
「それと、この村から何人か、京都の豊穣祭に行く者を選ぶ。蒼様の恩ちょうを受け取り、村へ持ち帰るためだ。希望者はいるか?」
恩ちょうを受け取る……………その正確な意味は翠には分からなかった。天使の言うことの意味など未だに想像もつかない。姿かたちは人間と似ていても、やつらは人間じゃない。翼の生えた怪物だ。
その言葉の正確な意味は分からない。だが、確かなことがある。
チャンスだ。豊穣祭に行ける。朝日を取り返す、唯一のチャンスだ。
翠に迷いはなかった。
「はいッ!俺に……どうか俺にッ!やらせてくださいッ!!」
その声に振り返った天使。
翠に緊張が走る。
翠に近寄ると、翠の燃え盛る水色の瞳をじっと見つめる。
ウールがさらに翠に寄ってくる。目の前までくると、翠を見下ろす。
その天使のまなざしはひどく冷たかった。
その瞳の冷たさに翠は一瞬怯むが、臆せず見つめ返す。
(……………頼む…………)
そうやって見つめ合うこと数刻、天使ウールが口を開いた。
「いいだろう。貴様が行くといい。残りの参加者も貴様が選んでおけ。」
それは翠が想定していた中で最も良い答えだった。
「はいッ!ありがとう、ございますッ!」
「だが恩ちょうを独り占めしようものなら、その時は覚悟するんだな。」
そう言い残して、天使ウールは飛び立ち、去っていく。
(朝日………必ず………助けるからな。)
すんでのところで翠がつかんだ可能性。それはきっと、地獄に投げられた、一本の蜘蛛の糸だ。
§
その日の夜。翠達の家。
今日の労働を終えた朝日以外の4人は家の一室に集まっていた。一同の顔は暗かった。
沈黙に包まれた部屋で第一声を上げたのはゲンジだった。
「どうする…?翠の機転で豊穣祭に行けることになったのはいいが…」
翠の申し出は天使に受け入れられた。その結果、京都の豊穣祭に翠達4人がおもむくことになった。もちろん、表向きの目的は「恩ちょう」を受け取る事だが、彼らの狙いは言うまでもない。
朝日の奪還である。
ゲンジの言葉に、結衣が答える。
「正直、助けられる可能性は高くないと思うわ。生贄は拘束されているだろうし、見張りは天使…勝ち目はほぼ無いわね…」
「ああ。万が一助けられたとしても、馬の速さじゃ天使からは逃げきれないだろうしな…。ああっ!!クソがッ!!!」
ゲンジが床を叩く。音は出さないように、だが強く叩きつける。
天使との力量の差は明白だ。
和也と天使の戦闘から分かるように中位天使には攻撃は通用しない。下位がどうかは分からないが、恐らく翠達にとって有利な条件で無いのは間違いない。それに豊穣祭の会場には中位の天使もいることだろう。
移動速度の面でもかなり不利だ。下位天使は馬と同程度の速さのようだが、馬の移動は地形の制約を受ける。それに対して天使はいかなる地形でも最短距離で飛ぶことができる。馬の方が明確に不利だ。
だが、翠の決意は固かった。
「それでも、俺はやりますよ。朝日がいない世界なんて、考えられない。」
そして、それはチキも同じだった。
「僕も……行きます。止めても、無駄です。」
その言葉を聞いて、結衣は困った顔で、ゲンジは悲しい顔で二人を説得しようとする。
「2人とも……。できれば私は2人にはいって欲しくない。2人は賢いから、分かってるんでしょ?もし朝日ちゃんを助けられたとしても、この国は天使に支配されてる。私たちに逃げ場はないわ。」
「京都抵抗軍も滅ぼされたって話だ。俺たちじゃ…どうにもならねえ。」
結衣とゲンジの言うことはあまりにも正論だった。朝日を助けられる可能性は限りなくゼロに近い。そして、もし万に一つ、奇跡的に朝日が助けられたとしても、翠たちは追われる身になる。天使たちから逃げられる可能性など全くないと言っても過言ではない。
「でも!二度と朝日と会えないなんて!!!二度と朝日と話せないなんて!!俺は!そんなの!!嫌だ……!!」
翠が声を殺して叫ぶ。
そしてそれはチキも同じだった。
「僕も…そうだ。」
その答えはゲンジと結衣の予想していたものだったようだ。
「ははっ…やっぱそうだよな。もし俺らが止めても、2人だけでやるつもりなんだろ。」
「なあ結衣。お前も協力してくれるか?」
「当然。元よりそのつもりよ。もう誰も死なせやしない。そう誓ったんだから。」
彼らもまた、口にはしなかったが、翠たちと同じ気持ちだった。朝日を助けに行かないなどと言う選択肢ははなから無かった。
「でも翠もチキも約束して。必ずみんな、生きて帰るって。全員無事で、朝日ちゃんを助けるわよ。」
「ゲンジさん…!結衣さん…!」
「そのためにあと2日、出来ることは全部やるわよ。良いわね?」
「「はいっ!!」」
残された時間は短く、勝機もほとんどありやしない。だが、彼らの決意は固かった。