天使の政治③
そしてその日も翠たちは農作業につく。真夏も近づく日々、真昼の暑すぎる時間は流石に労働から解放されるが、それ以外の時間はひたすら働き詰めだ。少なくない人々が殺されたので、生き残った人々のやる仕事はいくらでもある。
粛々と仕事を続ける翠たち。だが、頭の中では昨日のことを考えていた。
(東北で天使に勝った、か…、信じていい話なのかな…?)
翠は昨日の言葉を思い返す。それが真実なら願ってもない話だ。
(遠いけど…もし本当なら、危険をおかしてでも行く価値はある…。天使を殺す方法が分かれば…若菜も…)
農作業を続ける手は止めずに翠は考えを巡らせる。天使を殺す方法、トメさんのくれた情報の真偽、東北への行き方、若菜の安否…。
(できるだけ早く、行動を起こさないと、せめて、今の若菜の安否だけでも…。)
(でも…今できることじゃどうやっても助けられるとは思えない。)
(死にに行くんじゃない。助けに行くんだ。そのための力を…。)
きっと今の翠たちが若菜を助けるのは不可能だろう。そして、翠は自滅するつもりもない。若菜を助けられなければ意味がない。
そんなことを考えながら、農作業を続けていると翠に声をかけてくる者がいた。
「にいちゃん、翠にいちゃん。」
男の子の声だ。その声に、考え事をしている翠は気づかない。
「翠にいちゃん!翠にいちゃんってば!!」
「おお!?…ああ、キヨジか。いいのか?仕事中にこんなところ来て。」
翠に声をかけてきたのは近くの家に住む少年。キヨジだった。確か翠たちと違ってもともとこの村の少年で、7歳、8歳くらい、親2人と暮らしていたはずだ。
翠は仕事中に声をかけられてことに少し困惑していたがそんな翠をお構いなしにキヨジは翠に話しかける。
「だいじょーぶ、だいじょうぶ!今天使サマたちはあっち行っちゃっていないから!それよりにいちゃんもトメさんから話、聞いたんだよね!?」
(…!)
キヨジの言うトメさんの話、間違いなく件の話だ。
「ああ。キヨジも聞いたのか?」
「うん。…ねえおにいちゃんは東北に行こうとしてるんじゃないの…?」
(…っ!)
一瞬にして翠の緊張が強まる。
そんな翠をお構いなしにキヨジが続ける。
「ねえ。おにいちゃん。もしそうなら、僕も一緒に連れて行って欲しいんだ。」
キヨジはそう言って、翠を見る。そして、その心の内を吐露した。
「ぼく、もうこんな生活、こりごりだよ。ともじいさんも、ゆきねえも死んじゃった。次は…きっと僕たちなんだ。だから…その前に、逃げたいんだ。」
それは悲痛な訴えだった。彼があげた2人もこの村で昔から暮らしていた人たちだ。きっと仲が良かったのだろう。そして…最近天使に殺された人たちだ。
そこまで聞いた翠は、一つも迷うことなくこう答える。
「キヨジ。ごめんな。俺は逃げようなんてこれっぽっちも思ってないんだ。だから他を当たってくれ。」
真っ赤な嘘だった。だがこれでいい。
「…そうだよね。やっぱりそうだと思ってたよ…。じゃあね、翠にいちゃん。」
キヨジが少し残念そうにそう言って去っていく。
キヨジの姿が消えると、少し冷や汗をかく翠だった。
(危ない…。油断するのは良くないな。)
(もしかしたら、本心だったかもしれないけど…あれは『天使の使い』だったかもしれない…。)
(いや、その可能性が高いよな…。反逆者を炙り出すため…俺たちを罠にかけるため…。俺たちが東北の話を聞いて、うわついてるのが、バレてたのか?)
天使たちがたまに使う手法だ。こうやって村人を使って、反逆の意思がある者を炙り出すのだ。
さらに、信仰心の強い人たちがこれを自分の意思で行い、天使に密告することもある。油断は禁物だ。
(…これは…少し大人しくしていた方がいいか…?さすがに今動くのは危険だ…。)
翠は少し冷静さを取り戻し、仕事を再開する。少なくとも、すぐに行動に移るのは難しそうだ。
§
そして、トメさんからの情報を得て数日たったある日、朝のことだ。
「『重要な話』…、ねえ…。」
「天使がそういうこと言うのは、随分珍しい話じゃないか?」
いつもように朝早くに起床し、朝の集会のに向かう結衣、ゲンジ、そして翠たち。だが、今日は少し珍しいことが起きていた。
「翠…。天使のしそうな『重要な話』って…、なんだろう。」
「さあなあ。まあ、大方ロクでもない話なんだろうけど…。」
なんでも今日の朝の集会では何か重要な話があるらしい。そのため普段より少し早めに集められている。
詳しいことは何も聞かされていない。だが翠にはこの招集はどうせロクでもないものとしか思えなかった。
このあまり良くない状況に翠が一つアイデアを思いつく。
「…そうだ。朝日。『におい』はするか?もし、ロクでもないことだとしたら…逃げた方がいいかもしれないし…」
朝日のにおいを察知する力だ。もし危険があるなら、朝日が何か感じ取っているかもしれない。
「そうだね…。ちょっと待って…。」
朝日は考え込むようなしぐさで集中してあたりを探る。
「うーん、においはしなそうだね。…多分、大丈夫だと思うよ。」
朝日がそう言う。
「そうか。なら多分、安全か。」
朝日の言葉に翠はホッと一息つく。朝日が大丈夫だと言うなら、あの日のようなことは起こらないはずだ。
だが、結衣は一連のやり取りを少し信じきれていないようだった。
「ねえ翠君、それが前言ってた、朝日ちゃんのにおいで危険が分かるって力?」
「ええ。俺はこれのおかげで、あの日、殺されずにすんだんです。」
翠は天使が降り立ったあの日、この力がなければあの天下を両断した一太刀に巻き込まれ、死んでいただろう。もしあの一太刀に巻き込まれなかったとしても、そのあと天使に殺されていた。
「…にわかには信じがたい話ね。そんな不思議な力を持つなんて…。朝日ちゃんは陰陽師の家系ってわけでもないんでしょ?」
「……ええ。まあ、正確な朝日の出自は、誰もわからないので…そういう可能性もないわけではないですけど…。」
「そうだったわね…。悪いことを聞いたわ。」
「結衣さん、私は気にしてないですよ?今はこうして、みんながいてくれるから。」
結衣が謝る。朝日が孤児だったことを結衣はすっかり忘れていた。
だが、結衣の反応も当然だ。においで危険を察知できる力など、言われてもにわかに信じがたい話だろう。この時代も陰陽師のような不思議な力を持つ(と少なくとも本人はそう自称している)職業の者もある程度はいたが、それは特別な家系や縁を持つ者の特権と信じられており、こんな1人の子どもが持っている力だとは思われてはいなかった。
それはチキも同意見のようだった。
「僕も…翠の言ってることだとしても信じるのは難しいなあ…。もしほんとだとしても、なんで朝日はそんな力を持ってるんだろ?」
「……ああ。確かにな…。」
チキも同意見のようだった。教典に書いてあることさえ鵜呑みにしないチキだ。当然の反応だろう。
そんな話をしながら広場へと向かう翠たちだったが広場に近づくと、一行はすぐに違和感に気がついた。
「待って、翠君、この…この『におい』は…。」
「え…?朝日?まさか…?」
朝日の突然の言葉に翠が息を詰まらせる。
「翠…これは違うよ。僕にも分かる『におい』だ。」
そう言ったのはチキだった。
「『血』のにおい…、広場の方からだ…。
、血のにおいが…する。」
§
翠たちは急いで広場に向かった。
広場にはすでにたくさんの村人が集まっていた。そしてどうも人々は落ち着きなくそわそわしている。そしてこの鼻をつく血のにおい。間違いなく何かあったのだ。
「すいません…。」
翠たちは人混みをかき分けて広場前方へと進んでいく。嫌な血のにおいが強くなっていく。
そして広場前方に辿り着きその全貌が翠たちの目に飛び込む。
「ひっ。」
朝日がそう声を上げる。翠もその飛び込んできた光景に顔を引き攣らせる。
串刺しだ。
総勢5人の男女が広場の前方で串刺しにされている。下半身から木製の槍のような太い棒で貫かれ、その棒が口から飛び出している。
貫かれた下半身と口からドロドロと赤い血が溢れ出ている。
そして…、その中には翠たちのよく見知った者がいた。
「トメさん…!?うそでしょ…?」
5人のうち、中心で串刺しにされていたのはトメさんだった。
「トメさんッ…!」
ゲンジも思わず声をもらす。
「ひどい…、ひどすぎる…。」
朝日が口を押さえてそう漏らす。
翠は彼らが殺される理由のなんとなく察しがついた。
(……糞!トメさんが東北のことを言い回ってるのがバレたんだ!それで…)
(…他の人はおそらく、東北に逃げようとしたのか、あるいはそれを計画していたか…そうか、この間隣の子どもが聞いてきたアレか…。彼の誘いに乗っていたら今頃俺たちもあそこに並べられていたのか…。)
動揺、怒り、悲しみ、さまざまな感情を抱える5人。
だが自体は彼らを待ってはくれず、事の元凶が現れた。
降り立ったのはこの村を管理する三体の下位天使。そして京都東部この一帯の支配者、中位天使『ウール』だ。
ウールはその地に降り立つと振り返り、串刺しにされた五人を見る。
そして数秒、その光景を確認した後、こちらに振り返った。
赤い瞳がこちらを見る。完全にイカれているかのように目を見開いている下位天使たちとは違う。冷徹そうなその瞳が何を考えているのかは想像もつかないが、下位天使たちの瞳よりずっと不気味だ。
「今日お前たちを集めたのは他でもない。お前たちにいい知らせがあるからだ。」
(いい知らせ…?今回の目的はトメさんたちじゃないのか…?)
「蒼様が『豊穣祭』の開催を宣言された。」