天使の政治①
夏の日差しが降り注ぐ。灼熱地獄の中、人々が草刈りを続ける。
夏の農業は正に地獄だ。稲にしっかり栄養を届けるため、邪魔な雑草を排除しなければならない。田んぼ中の雑草を刈って刈って刈り続ける。そして田んぼ中の雑草を刈り終えたら、またすぐに最初に刈ったところで雑草が伸び始めている。だから再び最初に戻って雑草を刈り始める。これを一日中、永遠に続ける。
京都から少し外れた山奥の村。亀村と名付けられたその村の人々も、一日中草を刈り続けていた。誰一人として少しも休まず、一言もしゃべらず草を刈り続けていた。
その中に、翠達もいた。翠も朝日もチキも、結衣もゲンジもみな、黙々と草を刈り続けていた。
あの日から数か月がたった。翠達は中位天使、ウールの支配下に置かれていた。
§
「ああ、ようやく……ようやく、終わった………………」
そういうのは翠。亀村の外れのすこし大きな木造の家屋。その家に入った直後、翠が体を投げだす。
朝日やチキ、結衣とゲンジも続けて入ってくる。みな、疲れ切ったという顔をしている。
翠に同じく、疲れ果てた顔のゲンジがこうぼやく。
「もう何か月たったんだろうな………………。こんな地獄にぶち込まれて。」
ゲンジが目を細める。
あの日、天使に連れられ、この亀村にやって来た翠達。
翠達は他の村人たちも集まる村の広場に連れてこられた。その広場で住民たちに向けて、あの天使はこう宣言した。
「俺が今日からこの地域を管理する中位天使だ。そうだな…中位天使ウール様とでも呼ぶがいい。蒼様の御啓示のもと、この村を救済に導いてやろう。」
その天使ウールの言葉を、顔を強張らして聞く翠達一同。この天使は和也を殺した。そんな者から救済をもらっても、ありがたくもなんともない。だが、逆らえば殺される。それだけは明白だった。
その言葉を聞いているのを翠達だけじゃない。亀村の住民たちも聞いている。彼らの反応は様々だ。
「ありがとうございます。蒼様!ウール様…!」
喜ぶ者。
「何だあいつ、いきなりこの村に来て何様のつもりだ…。」
憤る者。
「ああ。蒼様、蒼教…!!」
涙を流す者。
「……!こいつ…!」
声を殺して天使を睨む者。
翠達と同じようにいきどおる者、困惑する者がいる一方、全くその逆に、満面の笑みで聞いている者、それどころか涙を流して喜ぶものもいた。
(どうなっているんだ…?亀村では、ぎゃく殺は起こっていないのか……?)
翠は困惑を隠せない。京都以外の場所ではぎゃく殺は起こっていないのだろうか?少なくとも、家族や友人を殺されてあのような反応をする人はいないだろう。
そんな翠の困惑をよそに、天使ウールは話を続ける。
「案ずるな。蒼様のもとで従順に働きさえすれば、お前らには救いが与えられる。だが、逆らう者には罰を受けてもらう。脳無しの貴様らにも分かりやすいだろう?」
(くっ…こいつ…!!)
明らかに人間を見下した言葉。翠はウールの言葉にいら立ちを覚える。だが、ぐっとこらえる。ここで逆らえば確実に殺される。死んでしまってはなんの意味もない。逆らう訳にはいかない。
しかし、亀村の住人の1人が声を上げた。
「おい!貴様!何のつもりだ!!」
そういいながら天使の前に出ていったのは、中年の男性だ。ずい分といらいらとした様相で天使に怒鳴り散らす。
「おい!お前だよお前!さっきから聞いてれば俺様が能無しだあ!?見下しやがってっ!!!」
なかなかに荒れた言葉だ。恐らく彼は天使に特別因縁がある訳ではなく、自分に指図するものが気に食わないだけなのだろう。きっと翠にとっては苦手なタイプの人間だ。だが、このままでは彼は……
「……止めないと。」
「ダメよ。」
翠にそういうのは結衣だ。まだ目が赤くはれているが、一旦彼女なりに切り替えたのだろう。
「…でも。」
そういう翠に、結衣が言い聞かせるようにこう語る。
「私はあなたに死んでほしくないの。あの人がどうでもいいって訳じゃないけど、私が死んでほしくないのは朝日ちゃん、チキ君、ゲンジ、それに翠君、君たちだけ。それに、あの人は、もう……」
そう言いながら悲しげに結衣が広場前方を見る。
広場前方では、さきほどの男が暴言を吐き続けていた。
「おい!なんだぁその顔!?天使だか蒼様だか知らねえけどよお、この村で一番偉いのは俺様なんだよっ!!ああ!?」
天使は手を男の目の前へと伸ばした。
そして、こう言った。
「失せろ。ゴミ。」
それはただのデコピンだった。
たった一発のデコピン。天使ウールのたった一撃のデコピンで、男の首がちぎれ、頭と体が二つに分かれる。頭が地面に転がり、少し遅れて体が倒れた。
「ひっ!!」
誰かが声を上げる。それに少し遅れ、広場中から悲鳴が上がった。逃げ出そうとするものもいる。
だが、天使ウールはそれを許さなかった。
「おい、騒ぐな。逃げるな。お前らもこいつの隣に並べられたいのか?」
それは、殺気だった。明確な殺気。一瞬でお前らなど殺せるぞと言わんばかりの強烈な殺気。
その圧に、広場は一瞬で静まり返る。
「安心しろ。お前らはこの馬糞以下のゴミムシとは違うだろう?正しく働きさえすれば、貴様らには救いをやろう。蒼様の力が、魂を極楽浄土に連れて行ってくださることだろう。」
だが、場は凍り付いたままだった。
「なんだ?不安か?恐れることはない。蒼様のもとにあれば、死は救済だ。そうだ、蒼様の降臨まで、多くの人が飢えで亡くなったな。だが、彼らのうち勤勉に働き、蒼様に祈りを捧げたものは、蒼様が極楽浄土に送ってくださった。だから、貴様らもせいぜい必死で働き、それに続くといい。」
その声にも、うっすら殺気がこもっていた。この村の人々もそれを理解したのか、理解していないのか分からないが、そのうちの一人がこう声を上げる。
「…そうだ!蒼様が救ってくださるんだ!!これほど素晴らしいことはないじゃないか…!!」
一拍置いて、一人の女性が続く。
「そうよ…!!みんなで頑張って、極楽浄土に行きましょう!?」
それに一人、また一人と賛同者が現れていく。
もちろん、翠達は賛同していない。賛同する演技をすべきだったのかも知れないが、できればしたくない、そんな思いだった。
翠は言いようもない気持ち悪さを覚えながら、その人々を見ている。
(本気………じゃないよな……?)
気づくと村のほとんどの人が賛同している。きっと、大半は演技のはずだ。翠はそうだと信じていた。
天使は誰もが蒼様をたたえていることを確認すると、再び無関心そうな顔に戻る。
しかし、無関心な顔をしたのもつかの間、一瞬翠達を見た。
(!?)
だが、すぐに無関心そうな顔に戻り、振り返った。
「今…、あいつ…。」
そうつぶやく翠に朝日が答える。
「うん……、私たちを、見た………」
天使がなぜ、翠達を見たのか、その理由は分からなかった。蒼様をあがめない翠達に不満を覚えたか、それとも、何か別の理由があるのか。
そして、天使は最後にこう言い残した。
「この村を直接管理するのはこの下位天使たちだ。こいつらのいうことを聞いて、しっかり働くんだな。」
そういうと中位天使ウールは何体かの天使を残して飛び立っていった。