とある公爵令嬢の婚約破棄
とある公爵令嬢の婚約破棄
「アーデルハイト・ラインベルク、貴様との婚約を破棄する」
静かな昼下がりに似合わぬ大声に、小さなため息が零れる。
ここは、貴族たちの多くが通う王立学園。生徒の多くは名ある一族の者ばかり。社交界の縮図とも言えるその場所で、不用意な発言をすることの意味を分からぬ程の愚か者だったか、と呆れ顔でアーデルハイトは振り向いた。
「殿下、このような場所でするお話ではございませんよ」
婚約破棄するのは結構だが、こんな衆目のある場所でする話ではない。近くに寄ってくるような野次馬が少ないことだけは救いだが、王族にあるまじき大声では嫌でも耳に入ってしまうだろう。
(これでは、早晩噂は広がりますね)
普通の貴族令嬢であれば、婚約破棄は不名誉なこと。貴族の結婚と言えば、政略結婚が主なだけに、婚約解消は珍しいことではない。家と家の利害関係が一致しなくなれば、双方納得の上で解消することはままある。だが、破棄となると話は別だ。特に有責であれば、まともな結婚は望めないだろう。歳の離れた男の後妻に入るか、修道院に行くか。いずれにしても、明るい人生とは無縁となる。
だが、アーデルハイトにはどうでもいいことだった。腰に下げた剣を取り上げられる方が、よほど悲しい。もっとも、そんなことをすれば実力行使で奪い返すが。
「ふん、貴様の悪行をばらされるのが怖いのか」
「悪行……ですか?心当たりがありませんけれど」
そもそも、婚約者である第一王子とは学園に入学してからは顔を合わせることもなくなっていた。
婚約の締結は十歳の時のことだった。それから二年程は月一回のお茶会や、子ども同士の社交の場で会うことはあったが、いつの頃からかお茶会はなくなり、社交の場では顔を合わせるだけになっていた。本来ならばあり得ないことかも知れないが、アーデルハイトは武術の鍛練や勉学に忙しく、付き合いがなければないで一向に構わなかった。一応、父であるラインベルク公爵は何かにつけて王子に誘いをかけていたが、「体調が優れない」と型通りの返事が来るだけ。たまに承諾したかと思えば、「急病で」と直前に断りが入る。
(まあ、五歳も下の相手に手も足も出ずに負かされれば、そうもなりますね)
剣の鍛錬の結果を見せただけだが、腕っぷしはからっきしな王子をあっさりと倒してしまった。ラインベルク家は武芸に秀でた家だ。女子どもだろうと関係なくあらゆる武器を仕込まれる。
「なんだと!貴様は、この可愛いメアリを虐めただろう?」
言われてはじめて、第一王子の背中に隠れるように一人の可憐な少女の姿が目に入った。やわらかな金色の巻き毛。まるでビスクドールのように整った愛くるしい顔立ち。深い蒼の瞳を彩る睫毛まで美しい金色だ。潤んだ瞳で見上げられては、世の男性どころか女性までも言うことを聞いてしまいそうだ。
しかしながら、アーデルハイトにはこの少女に見覚えはない。服装や装飾品からおそらくは貴族の令嬢だとは思うが、この学園には内証の豊かな商家の者も通っている。
「……失礼ですけど、どちら様ですか?」
「なんだと!とぼけるな」
「とぼけてなどおりません。……それとも、そちらの可憐なお嬢様は騎士科のご所属なのかでしょうか?剣の一つも下げておりませんけれども」
この学園には大きく五つの科がある。官僚を目指す法学科、研究を主とする科学科と文学科、多くの学生が所属する教養科と、騎士を養成する騎士科だ。アーデルハイトは、騎士科に所属している。騎士科の生徒は、学内であっても武器の携行が許されている。有事の際には、許可があれば戦闘も可能だ。
「ご存知の通り、この学園は科が違えば、校舎も授業も異なります。七年の在学中に一度も顔を合わせない生徒の方が多いと思いますが」
実際、アーデルハイトも同じ騎士科の者以外の顔見知りは数える程度だ。
「な……!隠し立てをするつもりか!ますます王子妃には相応しくないな」
「本当のことを申し上げているだけですが」
婚約破棄は大歓迎だが、面倒なことになった、と思う。一応王子の身分を持つ者だ。その発言が与える影響は大きい。
(ご自分の発言の重さも分からぬから、このようなことを平気で言い出すのでしょうけれども……)
呆れて物も言えないとはこのことだ。
「お前は、このメアリ・ハンザ嬢に対し、冷たい振る舞いをし、教科書を破いて捨てだろう!三日前に至っては、階段から突き落とした。公爵家の身分を笠に着てやりたい放題ではないか」
「三日前……でございますか?」
そもそもメアリ・ハンザなる令嬢自体をたったいま認識したところだが、言ったところで聞く耳を持つまい。
「それは私には無理ですね。三日前でしたら、騎士科は朝から演習でしたから。バール大草原での模擬戦の日でしたので、その日は登校しておりません。現地集合、現地解散ですからね。演習に出ていたかどうかは、同級生や先生方にご確認をいただければと」
その場にはいなかった―いわゆる、アリバイだ―を答えれば、ぐぬぬぬ、と拳を握り締める。
(あらあら、せっかくの美男子が台無しね)
この第一王子は、とんでもなく秀麗な顔立ちをしている。神が作った奇跡、と称される美貌に、薄紫色の瞳。輝くようなプラチナブロンドは短く切り揃えられているが、陽の光の下で金や銀に移り変わる幻想的な色をしている。
「だが、お前ならば取り巻きを使っていくらでも出来るだろう!自分の不在が確実な日を狙うとは、卑怯だぞ」
ああ言えばこう言うだな、とアーデルハイトは疲れてきた。そもそも、こういった口論や貴族同士の長ったらしい会話は苦手だ。騎士科で武器を振っている方がよほど楽だ。
「ハンザ……ああ、思い出しました。ハンザ伯爵家のご令嬢ですか。ご令嬢のお名前は存じ上げておりませんが、ハンザ伯爵家は存じております」
「ほら、やはり知っているではないか」
「私の言葉、ちゃんとお聞きになっておりました?」
顔だけはいいが、中身は本当に残念だ。もっとも、それは婚約を結んだ時には分かっていたが。当時の彼は十五歳だったが、二つ下の第二王子の方が優秀過ぎて霞んでいた。ただし、見た目だけは、飛び抜けて美しい第一王子に比べて地味だと評されていた。むしろ、外見以外は秀でたところがない、と言ってもいい。
「私はハンザ伯爵家を存じていると申し上げましたが、ご令嬢のお名前は存じ上げていないと申しましたよね?お名前を存じ上げないようなお方に対して何の感情もございません」
「わ……私がいけないのです!ルドルフ様には婚約者がいらっしゃると分かっておりましたのに、惹かれる気持ちには逆らえなくて。ラインベルク公爵令嬢がお怒りになるのは当然のことですわ」
するりと王子に腕を絡ませながらこちらを見てくるハンザ令嬢。美男美女が並んでいてお似合いだな、と思いながらアーデルハイトは一瞬だけ宙に視線をやった。
(本当に面倒なこと……)
目を潤ませ、か弱さを前面に押し出してきているハンザ令嬢。十人中九人はその姿に落ちてしまうに違いない。残念ながら、アーデルハイトには通じないが。
「メアリ、怖い思いをさせてしまって申し訳ない。もう大丈夫だよ。婚約破棄をすれば、嫌がらせをされることはなくなる」
うっとりとハンザ令嬢の髪を梳く王子。実に絵になる二人だ。何も知らぬ者が見れば、悪役に立ち向かう主人公とヒロインのように見えるだろう。
「もう、よろしいでしょうか」
「何だと?よろしいはずがないではないか!メアリをお茶会へ招待しないのはどういった理由だ?教科書を破いたのは?」
言い募られて、ますます面倒な気持ちが膨らんでくる。今日は午前中だけの講義の日だから時間に追われている訳ではないが、鍛練の時間が減るのはいただけない。
「まず申し上げておきますが、私はお茶会を主催したことはございません」
何が悲しくて実にもならない会話を交わす会を催さなくてはならないのだ。表面上を美辞麗句で取り繕う見苦しい言い合いなどする趣味はない。
「……だが、他のご令嬢に命じてメアリを招待しないように言うことは出来るだろう」
「お茶会への招待は主催者が決めることですから、他の方がどのようなお考えなのかは存じ上げません」
言いがかりもいいところだが、相手は王族だ。きちんと答えなければ、どんな罪状を捏造されるか分かったものではない。
「では、教科書の件は?」
「存じ上げませんが……ご参考までに、それはいつのことなのか教えていただいてもよろしいでしょうか?」
「学年が上がったばかりの頃だ」
「具体的な日時を申していただけませんと、こちらの行動をお話し出来ません」
学年が上がったのは、一月ほど前のことだ。当然、教科書類も新しい物を買うタイミングである。そんなタイミングで教科書を破損しては大変だろう。
「ふん、やはりお前のような可愛げのない女は言い訳ばかりだな」
可愛げがない。これは、事あるごとにこの王子に言われていたことだ。アーデルハイトは、特別に美しい訳ではなく、女性らしい趣味とは無縁だ。美しい刺繍を作るよりも、美しい軌道で槍を振るえることの方に価値を見出している。おまけに、段々と背も伸びて、男性の平均身長くらいまで伸びてしまっている。女性らしい凹凸もなく、制服も騎士科のパンツルックだから、他国からの留学生には男性と間違われることもしばしばだ。お陰で、第一王子の婚約者と知っている者達からは「月とすっぽん」と言われている。
「それならば、やったという証拠を見せていただけませんか?」
「メアリをはじめとする同級生の証言がいくらでもある」
「なるほど、そうでしょうね」
この国には三人の王子がいる。第一王子の顔だけ王子、優秀な第二王子のリチャード王子、脳筋……ではなく、武術の腕だけはいいヴォルフガング王子。この国では王太子になるのに生まれ順は関係なく、現時点では後継が未定である。
ハンザ伯爵家は、第一王子派に属している。それならば、いくらでも証言は出てくるだろう。ラインベルク公爵家は、どの王子の派閥に属していない。
(見えてきましたね……)
この茶番劇の裏が。
「やっていないと申し上げても、出来ないと申し上げても、結局はやったと断言なさるのでしょう?それなら、別にやったことにしてもらって構いませんよ」
とにかくアーデルハイトは、面倒になった。第一王子派がどれだけ捏造を重ねようとも、痛くも痒くもない。王子たちも通うこの学園には、王家から派遣された影たちが逐一生徒たちの動きを監視している。身の潔白を証明することはたやすい。
(もっとも、この馬鹿……いいえ、頭空っぽな王子は考えていないのかも知れませんが)
さっさと訓練場に行きたい、ということでアーデルハイトの頭はいっぱいになってきた。だが、元婚約者に対する温情は存在していた。
「殿下は、陛下の親心を少しはお考えになった方がよろしいかと思いますよ」
言わないでもいいことを言ってしまった。たとえもう何年もまともに顔を合わせていないとはいえ、書面上は婚約者だった。
「なんだと!?王太子妃教育もまともに受けていないお前に言われたくない。ああ、そうだ!お前は、そもそも私の婚約者たる資格などないのだ!可愛げもなければ、最低限の努力すらしない。もっと早くに婚約破棄をすれば良かった」
「それは同感ですね」
つい本音が零れてしまった。元々、この婚約自体、親同士が勝手に決めたことである。顔ぐらいしか知らない相手との婚約は珍しくないこととはいえ、美しいだけで剣一つまともに持てぬ相手との婚約は不服でしかなかった。
「王太子妃教育?……必要ないものを受けるほど、私は暇ではありません」
「ふん、もういい。母上たちに余計な手間をかけさせなかっただけ、良かったとしよう」
行こう、とハンザ嬢の肩を抱く王子。うっとりとした様子で身を寄せるハンザ嬢だが、その目が一瞬だけ油断なく光ったのを見逃さなかった。
「ご自由にどうぞ。婚約破棄の書面につきましては、追って取り交わしをいたしましょう」
そうなると、今日の鍛錬はなしだな、とため息が出た。さっさとやることをやってしまわないと厄介なことになる。
仲睦まじく遠ざかっていく美男美女の背中を見ながら、アーデルハイトはもう一度深くため息をついた。
早い時間に帰ってきたアーデルハイトを、家令は不思議そうな顔をして出迎えた。家の訓練場より学園の訓練場の方が充実していると常々言っている令嬢が、早々に帰ってきたことを訝しく思っているのだろう。
「父上はいらっしゃる?」
「旦那様でしたら、書斎におられます」
「そう。一時間後にお茶を持ってきてちょうだい」
話は一時間もあれば済むだろう。
制服を着替えることもなく、父であるラインベルク公爵の書斎の扉を叩く。
「開いているぞ」
「不用心なことですね」
そうは言うが、この国最強と称される武人の父が相手では、刺客の方が逃げ出すだろう。なにせ、鍛え抜かれた筋肉は鋼すらも跳ね返すのだから。
「お前がこんな時間に帰ってくるのは珍しいな、アデル」
「一応、早めにご報告をした方がよいかと思いまして」
面倒事はさっさと済ませるのがアーデルハイトの主義だ。
「ルドルフ王子殿下から婚約破棄を言い渡されました」
「ほう。とうとうか」
「あら、笑っていらっしゃいますけれども、この婚約は父上と陛下の間で交わされたものですよね?」
「そうだな。親友に頼み込まれては仕方ないだろう。『お前たち父娘には申し訳ないと思うが、馬鹿な子ほど可愛いのだ』とまで言われてしまってはなあ……」
父と現国王陛下は年齢も同じ幼馴染で親友だ。公の場では国王と公爵として振る舞うが、私的な場所ではお互いを名前で呼び合う仲である。
「その陛下の涙が出る程お優しい親心を、子は知らぬようでしたけれども」
「そこまで馬鹿なら、婚約破棄をした方がよかろう」
「それもそうですね。我が家を食いつぶされてはたまったものではありませんもの」
第一王子は勘違いをしている。その最たるものが自分の立ち位置だろう。分かっていれば、アーデルハイトに王太子妃教育が不要なことくらい火を見るよりも明らかだ。
「やれやれ。アーデルハイトが当家の嫡子であるとラインハルトも私も何度も言い聞かせたはずなのだがね」
「私と婚約の時点で臣籍降下が確定していることが分からないから、祭り上げようとする者には都合がいいのでしょう」
第一王子派は、それが分かっているから婚約破棄を望んだ。自分たちに都合のいい婚約者をあてがい、王太子にする。次期ラインベルク公爵の婿では、王太子になれないのだから。
陛下の親心、それは、いずれ臣籍降下する王子のために公爵家に入るという道をつけたことだ。陛下は、当時十二歳の第二王子を跡取りとして内々に定めた。陛下はとても優秀な方であり、政には私情を挟まない。三人の息子のうち、誰が一番王に向いているのかを公平な目で判断したのだ。
第一王子という肩書を持つルドルフが王の器でないことはとうに分かっていたが、それでも、可愛い子であることに変わりはない。それ故に、王家に次ぐ公爵家であるラインベルク家に白羽の矢を立てたのだ。本当なら、王家の分家である大公家への婿入りが一番いいのだが、残念ながら、三つある大公家には男子しかいない。他の公爵家も、女子だけの家はなく、一人娘しかいないラインベルク家が選ばれたのだ。
「まあ、そうでなくとも、私の方で時期を見て破棄に持ち込む予定だったがね」
「あら、国王陛下の親心を無碍になさるおつもりだったの?」
「武器一つまともに握れないような者が、ラインベルク家に入る訳にはいかないだろう。当家は、この国の筆頭武家だぞ。有事の時に、尻に帆をかけて逃げるような者は当主の伴侶に相応しくない」
そう言って悪戯っぽく笑い、机の中から婚約破棄の書類を取り出す。押印まで済ませ、日付のみ空欄という手際のよさだ。
「あら、用意のいい。……でも、意外ですね。父上は、この結婚に乗り気だと思っていましたよ。わざわざ殿下へのお手紙なども認めておられましたしね」
婚約者らしい手紙のやり取りは、全て父による代筆だった。もっとも、王子の方から返事が来たことはないが。
「親友の手前……な。だが、私とて親だ。娘の幸せを一番に願っている」
「……でも、これから相手を見つけるとなると骨が折れそうですね」
アーデルハイトは今年で十六になる。貴族令嬢の中には正式な婚姻をする者も出てくる歳だし、何よりも十やそこらで婚約者が決まるようなお国柄の中では行き遅れもいいところだ。
「まあ、困ることはないだろう」
「それもそうですね」
ラインベルク家は公爵家だ。近衛騎士団の重鎮でもある。そのような家に婿に入りたいと思う者はそれなりにいるはずだ。もしいなかったとしても、親戚筋から適当に父が婿を見繕うだろう。
「ああ、そうだ。早速、婿候補が一人やってきたぞ」
「はあ?」
思わず令嬢らしからぬ間の抜けた声が出る。
「やあ、アデル!兄上と婚約破棄をしたそうだな」
バン、と扉を壊す勢いで入ってきたのは、第三王子であるヴォルフガングだ。
「耳が早いのね」
「あれだけ騒いでいれば、嫌でも気付くさ」
ヴォルフガングはアーデルハイトと同じ歳で、騎士科の所属だ。おまけに、親同士の関係から幼馴染でもある。見た目は平凡で、頭脳については第二王子の足元にも及ばないが、鍛え上げられた肉体は恐ろしい速さで武器を振るうことが出来る。
「見ていたなら助けてよ」
砕けた口調になっても気にしない。対等に接していい、と幼い頃に王から許しを得ているのだから。
「助けたら、婚約破棄にならないかも知れないだろう」
「まあ、確かに……」
末っ子気質なヴォルフガングはその場を上手く収めるのが得意だ。
「本来なら俺が求婚する予定だったのに、父上たちが勝手に決めてしまったからな。さっさと婚約破棄してくれないかとずっと思っていた」
「え?」
突然の展開に頭がついていかないアーデルハイトをよそに、父はにやにやと笑っている。
「ヴォルフガング殿下なら、腕っぷしは強いし、騎士たちにも慕われている。……武家たる当家にはいいと思うが」
しれっと言うが、これは最初からそういうつもりだったな、とアーデルハイトは拳を握り締める。
「父上、謀りましたね」
「仕方ないだろう?お前は自分より弱い奴と結婚したくないと言うものだから、ヴォルフガング殿下がお前から一本取るまで虫よけがいた方がいいと思ったのだ」
第二王子が優れた統治の才を持っていることが明らかになったのは、まだ幼い頃だという。それを見ても第一王子は何も変わらず、第三王子だったヴォルフガングは早々に武術を磨く方向へと思考を切り替えた。ラインベルク家によく来ていたのも、武術の稽古をするためである。
「アデル、俺はお前と対等くらいにはなった。いまなら、求婚をしてもいいだろう?」
「それは……」
武術の稽古を始めた頃のヴォルフガングは可もなく不可もなく、だった。生まれてすぐに剣を握ったアーデルハイトと実力の差はかなりついていた。だが、彼は、それから努力を重ね、アーデルハイトに並び立った。学園では「双璧」と称えられる程だ。
「受けてくれるまで、ラインベルク家に住みつく」
「ヴォルフィ、あなたは一応王子ですよ。そんなこと許されません」
つい愛称呼びをしてしまった。
「当主たる私は許すぞ」
「父上!」
盛大なため息が零れるが、もう外堀は埋められている。それに、アーデルハイト自身も、自分と同じだけ強い相手を伴侶とすることに異存はない。幼い頃から共に鍛練を重ねてきた親友で、気心も知れている。婚約していなければ、真っ先に結婚を考える相手と言っても過言ではない。
「ああ、もう好きにしてちょうだい」
観念したように言えば、ヴォルフガングが目の前に跪き、手を伸ばしてきた。
「アーデルハイト・ラインベルク、どうか私と結婚してください」
「お受けいたします、ヴォルフガング殿下」
殿下、などと呼ぶのはいつぶりだろうかと思いながら、伸ばされた手に自らの手を重ね、アーデルハイトは微笑んだ。
茶番も茶番で悪くない、そんなことを思いながら家令が運んで来たお茶に三人で手をつけるまで、後五分。
その後、第二王子が正式に王太子となり、第一王子は臣籍降下することとなったが、第一王子派には婿入りに適した家がなく、難航しているという。慌てて再婚約を求めようとするが、既にアーデルハイトは第三王子と婚姻を結んでいた。
アーデルハイトは元第三王子であるヴォルフガングと毎日仲良く剣や槍を打ち合い、実に充実した日々を過ごしている。