act.2 俺はずっとここにいる
「ああ。――今夜一晩、私に抱かれないか」
ドルバンの衝撃の提案。その提案内容にセシルは驚き、
(な……こいつ、何言ってるんだよ……!?)
そしてもっと驚いたのは何とソータであった。――当然だが、ソータは普通にこの部屋にいるわけではない。
路地裏で見かけたブレイボー家の執事とカイゼルの密談。直ぐに密談は終わり、それぞれが違う道へ歩いて行ってしまい、悩んだ上で、ソータはブレイボー家の執事の後を尾行した。屋敷に到着、裏門から入る彼を見て、運よく鍵をかけ忘れていたその裏門から潜入。
屋敷に潜って、何か怪しい証拠を……と、一番立派そうな部屋に入ったら、そこはドルバンの部屋。これは当たり、と思ったが漁る前にドルバンが部屋に戻って来てしまい、急いで部屋にあった太くて高級そうなカーテンの中に隠れた。そして更にそのすぐ後に、セシルが案内されてこの部屋に来たのである。
「それは……どういう、意味ですか」
流石に訝し気な表情でセシルがドルバンに尋ねる。「今夜一晩抱かれろ」――意味がわからないわけじゃない。でも、冗談で言う台詞でも無い。
「私が直接カイゼルに手を伸ばせば前述通り彼の評判に関わる。でも、君が間接的に支援するのなら、彼の評判が下がる事はないだろう」
「言いたいことはわかります。でも、それと先程の提案は」
「私の妾として契約してくれれば、私も公的に私財を君に切り渡す事が出来るわけだ」
形だけでもその時だけでも関係があれば、多少の私財が動くのは間違った話ではない。確かにカイゼルに直接金が動くよりも、比べたら怪しくは無いかもしれない。
「それは……でも、実際に行為をしなくても……お金なら、働いて一生かけてでも返しますから!」
一方でセシルの焦り。それが、「借金」というワードから来ている事を、ソータは痛い程わかっていた。彼女は自分で体験している以上その重みを痛い程知っており、同様に弱い。
「セシル。君の言いたいことはわかる。――だが、私もこの家を抱えている身だ。今日会ったばかりの君に、何の保証も無しに大金を渡すわけにはいかない」
「……っ」
「それに……これは、私の我が侭も含まれているんだ。――去年、妻が病死した」
ドルバンはゆっくりと立ち上がり、窓から外を見る。――隣のカーテンの中にソータは居た。でも気付いていない様子。……焦った。
「突然の事だったよ。心の準備も出来ないまま、妻は逝ってしまった。――君は、死んだ妻の若い頃に良く似ているんだ」
「私が……ですか」
「ああ。だから最後にもう一度だけ、妻の温もりを感じたい。それで私の気持ちの整理もつく。――私と、契約しないか。私は死んだ妻を忘れる為に。君は最愛の人を助ける為に」
ドルバンは振り返り、セシルを見る。――セシルは悩んだ。悩む余地が、隙が、生まれてしまった。
(こ、こいつ……情に訴えて来やがった……!)
だがそれは近くで聞いていたソータからしたら卑怯な手段にしか見えなかった。借金というセシルにとっての大きなワードで追い込み、そこから情に訴えて心を混乱させる。
(駄目だ、セシル! 明らかにこいつは怪しい! 借金の事なら俺も調べてやる! だから、駄目だ!)
ドルバンは怪しい。その言葉を信じてはいけない――と、カーテンの中で必死に無言で訴えても当然届かない。寧ろここに隠れていたのがバレたら自分もセシルも終わりだろう。
セシルは俯いたまま、しばらくの間考えた。そして次に顔を上げた時、
「……本当に、一晩だけで、いいんですか」
そう、ドルバンに尋ねた。
「ああ。それで私も忘れられるし、妾としての契約も成り立つ」
ドルバンの返事は直ぐだった。セシルはもう数秒、考えた後、
「わかり、ました」
(!?)
ドルバンのその提案を、呑んだ。
「ありがとう。……さあ、来たまえ」
「…………」
セシルは無言で立ち上がり、羽織っていた上着を先程まで座っていた椅子に置き、ゆっくりと部屋にあった大きなベッドへと歩いて行き、腰かけた。ドルバンもそれを確認すると、ゆっくりとベッドに向かって行く。
(止めろ! 駄目だ駄目だ、そんなオッサンに! セシル、目を覚ませ!)
カーテンの中で必死に届かない念を飛ばすソータ。そして……
「カイゼルさん!」
一方、こちらテレニスアイラ施設地区。街は間も無く夜の顔を見せ始めようといった所。カイゼルは一人歩いていると、そんな急ぎ呼び止める声。振り返れば、
「セリア……? どうしたんだ」
セシルの妹、セリアだった。――二人は既にセシルの紹介により顔見知り。
「思い出したんです! 私が拾った、あの布に記されていた家紋!」
「? どういう事だ、落ちついて説明してくれ」
セリアはそこで簡潔に今日ソータにした話をカイゼルにもする。
「あの時は思い出せなかったんですけど、今ハッと思い出したんです! あれは多分、ブレイボー家の家紋です!」
「!? 何だって……本当なのか!?」
「はい! その事を思い出して急いでギルドに戻って来たんですけど、もう姉もソータさんも帰宅した後で……そしたらカイゼルさんを今見かけて。カイゼルさん、ブレイボー家と」
「ああ、色々お世話になってるよ、ブレイボー家のドルバンさんには……だが、まさか犯罪組織と繋がりがあるとは……信じられないが……」
カイゼルは困惑の色を隠せない。目を閉じ、一瞬何かを考え込んだが、
「俺は今からブレイボー家へ行って真相を確かめて来る。――セリア、君も来てくれるか」
覚悟を決め、そう切り出した。
「はい、同行します!」
こうして、カイゼルとセリアは、ブレイボー家の屋敷へと急ぐのであった。
幸か不幸か皮肉か、ソータの隠れたカーテンは、大きなベッドが綺麗なアングルで見える位置にあった。
ソータは意を決して、少しだけカーテンの隙間から視界を作った。――二人の様子がハッキリ見えた。ソータが隙間からこっそり覗いても、気付く様子は見られない。
ドルバンはベッドに辿り着くと、そのままセシルに抱き着いた。セシルが少し苦しそうな顔をする。
横目でチラリと見て、セシルが抵抗の様子が無いのを確認すると、そのまま彼女をベッドに押し倒した。ドルバンの腕が、ゆっくりとセシルに向けて動き出す。
(あ、あいつ……セシルの体を……セシル、セシルは……)
セシルはチラリ、とドルバンを見たが、諦めたように視線を反らした。両腕は軽く広げたまま、されるがままの姿勢。――誰よりもソータの心臓の鼓動が大きくなる。バレないか心配になる。でも、目が離せない。
ドルパンの手は止まらなかった。セシルのブラウスのボタンに手を伸ばし、一つ一つ外していく。全て外し終わると、少しだけ勢いを付けて開けさせた。――露わになる、セシルの淡いレモン色の下着。
「っ……」
恥じらいから、セシルは目を閉じ、顔を背ける。
「ふぅ……っ」
一方で、喜々とした表情を隠し切れないドルバン。それはもう既に、亡くなった妻を想う男の顔ではなく、ただ欲望に塗れただけの顔。――少なくとも、ソータの視界にはそう見えた。
だが、それ以上にどうしても視界に入れてしまう物。
(あれが……セシルの、下着……っ)
自分が恋した幼馴染の、知らなかった箇所。知りたかった場所。本来なら知る事の出来なかった場所が、視界に入ってくる。本来なら見てはいけないはずなのに、視線を外せない。湧き上がる衝動が止められない。
そして理由は違えど興奮が高まるのはドルバンも同じ。最初は丁寧だった手の動きも、欲望のままに激しく動き出す。見え隠れするセシルの素肌に、
(お……おおっ……くそっ、でも……)
ソータは興奮を抑えるので必死だった。心の何処かでドルバンを応援してしまいそうで怖かった。それでも視線を外せない。セシルの体に。その腕の奥にある物に。
ドルバンの腕が動く。セシルも抵抗出来ないまま時間が過ぎる。ついにと思った、次の瞬間。――ドンドンドン。
「っ、誰だ!」
部屋をノックする音。当然ドルバンは少し不機嫌になる。セシルも無意識に腕で胸を隠す。――だが、部屋に入って来たのは、予想外のシルエットだった。
「失礼します。緊急の要件だったもので」
「!?」
「カイゼル、何しに来た」
カイゼルだった。そしてその腕には、
「カイゼルさん、それにセリア……!? どうして、どういう事!?」
気を失っているセリアの姿があったのだった。