最速の男、デビュー戦
最初は考えずに、反射で動いた。
彼女の表情が、消えそうなくらい儚くて、悲しげだったから。
でなければ、人を膝に乗せて走るなんて無茶、絶対にしない。
だがこの後すぐ、完走することが……それどころか、1位でゴールすることが全く無茶ではないことに、ソウは気付かされることになる。
ソウがアクセルを少し踏むと、機体は予想以上の急加速で動き出した。
慣性でニナの体が仰け反る。
「わわっ!?」
「今までアクセルの踏み込み、わざと弱くしてたんですか!?」
「だって、怖いんだもん!」
ソウは急いでハンドルを切るが、心配はいらなかった。機体の旋回性も非常に高い。最初こそ少し安定を欠いたが、ものの数秒で、ソウは機体の扱い方を理解した。
――アクセルの踏み込みやハンドル操作に、素直過ぎるくらい反応する機体だ。
――操作を間違えなければ、細かな動きも自由自在にできる。
10年前、レースをしていた頃の感覚が、一気に戻ってくる。
「いける」。
ソウは、確信した。
追ってくる後続の機体の姿が小さく見えていたが、ソウがアクセルを踏み込むと差はぐんぐんと開き、すぐに見えなくなった。
「い、いきなりこんなに加速して、危なくない!?」
「大丈夫ですよ。これでも、足やられる前はレーサーやってたんで」
今の時速は180km。10年前は200km超えで走るのが当たり前だった。この程度の速度は“安全運転”の範囲だ。
「そ、そうなんだ……でも、運転すごくうまいね」
「カーブに入るんで、ちょっと揺れます」
ヘアピンカーブに突入する。
ソウが操る機体はほとんど減速せず、猛スピードのままカーブを駆け抜ける。
「は、速いっ! 速いっ!」
「本当に! すごい機体ですよ!」
「いや、機体じゃなくて、キミの運転が!」
カーブの途中で、8位の後ろ姿が見えた。ソウは8位との位置関係と速度差から、頭の中で動きを思い描く。
――いけるな。カーブで抜いてしまおう。
機体の角度を調整して、カーブ中にアクセルを踏む。機体は加速しながら、大きく迂回して8位を抜いた。
直線では元気に“迎撃”を撃ってきた8位も、カーブでは怖がって何もしてこない。
「やった! とうとう8位を抜いたぞ!」
「7位もすぐ前にいますね」
カーブを抜けて直線に入ると、前方に7位の後ろ姿が見えた。ニナの機体の加速性能により、みるみるうちにその距離差は縮まる。コースの5周目に入るところで、機体は7位の脇をすり抜け、アッサリと抜き去った。
「おっと!」
ソウが突然、ハンドルを切った。何も無い、ストレートの真ん中で。
「ひゃあっ!?」
機体が揺れ、ニナが悲鳴を上げる。
機体の横を、迎撃がすれ違った。7位の機体が撃ったものだ。
<迎撃>。
Dレーシングの機体が持つ、基本武装の1つ(ニナの機体は装備していない)。
機体から発射された魔力弾が直線状に飛び、前方の敵車を攻撃する。魔力弾はしばらくすると威力が減衰し、やがて消滅する。
コース端の魔力バリアに触れると反射し、不規則な動きをするので注意を要する。
「すごい! すごいよ! またレーダーより先に気付いて避けた!」
軽々と魔法攻撃を回避したソウの運転技術に、ニナの表情がぱあっと明るくなる。
「よっ!」
さらにソウがハンドルを切り、機体は直角カーブに突入した。
その脇を、コース端で反射した先ほどの迎撃がすれ違う。
「後ろの敵車、大丈夫かな……」
「え? 何が?」
「あ、やっぱり」
バックミラーではさっき抜かした機体が、跳ね返った自分の迎撃に被弾する様が見えた。
「ここならピットが近いから、修理してもロスは少ないかな」
直角カーブをこなしながら、ソウは小声でブツブツと呟いた。たった2年でも整備士をしていると、勝手にこういうことを考えてしまう。職業病のようなものだ。
「オレ以外の整備士ならさっさと修理して終わらせるから……最下位までは落ちないか」
その次のS字カーブは敵車もおらず、楽々クリア。
続いては溶岩エリア、そして動く壁エリアに突入する。ソウは、動く壁の動作パターンを覚えていた。このコースを最近、シミュレーターで走ったからだ。
――シミュレーターだけは未練がましく続けてたけど……役に立つこともあるんだな。
「あっ……ああっ……ああ……!」
「どうしました!?」
何機か抜かしながら溶岩エリアを抜けたところで、ニナが突然、体を震わせ始めたのでソウは驚く。
「発作ですか!?」
「違う! 順位! 順位が!」
「順位?」
ソウは、レーダーの順位表示をちらりと確認した。
3位まで上がっている。
「ああ、4周目でピットインしてる機体もいますからね。その分も順位が上がってるんですよ」
「で、でもっ! すごい! すごいよ!」
ソウは、ついでに2位と1位の位置をレーダーで確認した。どちらも現在、動く壁エリアを通過中。しかし、今のままの速度だと1位に追いつくのは……
「1位は、今のままだとちょっとキツいですね」
「いいよ、そんなの……ここまでできた時点で私、感動で泣きそう」
「もうちょっとスピード、上げてみますか」
ニナは、ソウの発言に目を見開いた。
「え……えっ?」
「機体の操作に慣れてきたんで、そろそろ本気を出してみようかと」
「今まで本気じゃなかったの!?」
「さっきより揺れるんで、注意してください!」
ソウがアクセルを踏み込むと、機体がさらに速度を上げた。
「ひゃんっ!」
ニナは、加速によるGを受けて、小さな悲鳴を上げる。
反重力エンジンなので、搭乗者にかかるGは通常の飛行機より遙かに小さい。が、時速200kmに達した今、さすがに無圧とはいかない。
ソウはと言えば、現役時に近い速度になったおかげで、むしろ走りやすくなった。フロントから見える景色はめまぐるしく変わり、機体は動く壁の隙間を猛烈な勢いで進む。
壁の隙間を走る2位の姿が見えた。
あっという間に、抜き去る。
さらにソウはハンドルを左へ切る。
その右側を迎撃が一発通過。
さらにソウはハンドルを切り、機体が上下に浮き沈みする。
追撃のため迎撃の砲台を動かしている後ろの機体を、翻弄するのが目的だ。
機体が沈んだ瞬間、もう一発の迎撃が機体の頭上を通過した。
ここまで回避した2発の魔力の塊が、目の前のカーブの壁面で反射し、不規則な動きで目の前を右往左往する。
「わわっ!? 怖い! こわいぃ!」
「大丈夫ですよ」
ソウがハンドルを巧みに操作すると、機体はカーブを曲がりながら、反射する魔力をすれすれで避けて進む。
「魔力の軌道が読めてれば、当たりません」
ソウは、レーダーで1位の位置を見た。
最後のヘアピンカーブに突入しようとしている。ゴールまであと、30秒といったところか。
――十分、いける。
「き、気を付けて……」
ニナが、呟くように言った。
「えっ? 何にです?」
今まで興奮状態だったニナの、声の雰囲気が急に変わり、ソウは少し驚いて尋ねた。
ニナは、恐怖を思い出したような、震えた声で呟く。
「1位の機体は……“アカガメ”には、気を付けて……」
<D-3開幕前エキシビジョン 現在順位(括弧内は所属チーム)>
1位:赤居祐善(Tasnitecアカガメレーサーズ)
2位:望見ニナ・一条ソウ
3位:太刀宮陽太(Rokuma)
4位:ローデス(Dan-Live)
5位:Liina (オンダ)
6位:seven(Dan-Live)
7位:ピエロダッシュ太郎 (サーカスレーサーズ)
8位:ゴリラ(動物園)
9位:ひげレーサー(オフィシャル髭レーサーズ)
10位:にゃーた(Dan-Live)
11位:じい(高齢者レーサーズ)
12位:加賀美レイ




