ゴール
一条ソウの、決死の全力疾走が始まった。
自分は追い上げて1位を取り、ここまでで既に疲弊してしまった戸貝リイナには、4位以下を取らせる。
それが一条の狙いであることは、リイナにも明確にわかった。
――つまり、私はもう全速力で走れないと思ってる?
リイナは、第2レースや配信で見た“闇レース”で、一条の速さを研究していた。
だからこそわかる。一条は、ここまで手加減をして走っていたわけではない。可能な限りの全速力で一条は走り、リイナはそれに肉薄していた。
――バカにして!
ここまでと同じように、一条と変わらない全速力で追い続ければ、順位差はつかない。いや、そもそも、リイナはまだ、一条に勝つことを諦めてはいない。
一条の策も、一条自身も、叩きのめしてやる。
リイナは、レース開始時と変わらない、むしろそれ以上の闘争心を、燃料のように煮えたぎらせる。
「リイちゃん、無理しちゃダメ!」
隣に座る砲撃手が、リイナの肩に触れる。
「ナコ、邪魔しないで!」
リイナは、彼女の手を振り払い、“大加速”を使いカーブに突入する。
“昇日の曲線”。
一条ソウに勝つため、“闇レース”で初めて見た時から、練習していた技。
一条以外で唯一の使い手・伝説のレーサー“神威”の映像も、事務所のマネージャーに探して貰って、研究した。
神威の“昇日の曲線”は、一条よりも速かった。
――神威の“昇日の曲線”を再現できれば、一条に勝てる!
リイナは、ハンドルを握る両腕に、これまでに無い重さを感じた。
ハンドルが重くなったわけではない。自身の体力が底をつきかけ、体に力が入らないのだ。それが、リイナには感覚的にわかった。
「もういいよ、今日勝てなくてもいいよ」
「うるさい!」
今の自分の顔色は、ミラーを見なくてもナコの声でわかった。
だからこそ、ここで止まるのは嫌だった。
止まったって、誰も助けてはくれない。
事務所は、チームが勝つことだけを望んでいる。
視聴者は、リイナが勝つことだけを望んでいる。
入院前、レースに負けたことがある。
視聴者からは「惜しかったね」「次、頑張ればいいよ」と、励ましのコメントを浴びるほど貰った。
その後におこなったレース配信の視聴者数は、数字でハッキリわかる程度には減った。
速くない戸貝リイナには、興味が無い。
表面上で気を遣ったって、態度は数字でわかる。
リイナは、怒りと執念で機体を操縦する。
少し前を走っているはずの一条ソウの機体は、まだ見えてこない。
さらに“大加速”で追い上げる。
「リイちゃん!」
「黙っててよ、もう!」
1機、また1機と機体を抜き去り、着々と順位を上げるリイナ。
だが、一条の機体はまだ見えてこない。
「もうやめて!」
「やめたら、何になるって言うんだ!」
もう5周目、最終ラップの中盤。
もう、5機は抜かした。
一条の機体は、見えてこない。
――どうして? そんなに離れては、いないはずなのに。
リイナは、操縦の合間、一瞬だけ魔力レーダーを見た。
――一条の、位置は……?
一条は、既にゴール目前にいた。
「なんで……?!」
一条の機体の動きは、今までとは完全に別物だった。
ゴール直前のカーブ。
一条の機体が、“昇日の曲線”で追い上げる。
一条の機体の位置を示すマーカーが、猛スピードでレーダー上を駆け抜ける。
この速さは、今までの一条とは違う。
――この速さは……
――神威の“昇日の曲線”。
「うあああああ!」
リイナは、さらに“大加速”で加速した。
レーダー上では、一条と1位は同時にゴールをくぐった。最終順位はわからない。
いや、きっと、一条が1位を取っている。
リイナは、死に物狂いで速度を上げる。
「リイちゃん!」
「一条に負けて、チームも負けるくらいなら……」
「ねえ、リイちゃんやめて!」
「ここで死んだ方がマシなの!」
ドリフトで機体を振り回している最中、フロントガラスに赤い飛沫が飛んだ。
どうやら、自分の鼻の穴か、口から飛び出したものらしい。
魔力を使いすぎると、こんな風になるのか。
他人事のように考えながら、ハンドルを回す。
ハンドルを握る腕が痛い。
足に力が入らない。アクセルペダルもブレーキペダルも、鉛のように重い。
4位を抜かした。
あと一機で、3位。
一条には勝てなかった。
でも、まだ、せめて、チームは勝たせる。
――でなきゃ、私の存在価値は無い!
「あと……一機……一機……!」
3位の機体が見えてきた。最後に“昇日の曲線”を使えば、抜けるかもしれない。
目が霞んできた。
ここで“昇日の曲線”のために“大加速”を使えば、自分の魔力は本当に限界を超える。
最悪、気を失う。
魔力感知能力を持つリイナは、そう直感した。
――最後のカーブを抜けた後なら、気絶してもそのままゴールできるかな?
――あ、気絶したらブレーキ踏めないか……
――……でも、負けるくらいなら死んだ方がマシだし。
「リイちゃん……」
リイナは“昇日の曲線”を使うのを、諦めた。
精一杯のドリフトで、3位を追い上げる。
3位の機体と並んだ状態で、ゴールラインを超える。
どちらが先にゴールしたかは、リイナの虚ろな目には判断できなかった。
震える足でなんとかブレーキを踏み、停まった機体の周りでは、沢山の係員達がせわしなく動き回っている。
「精密判定、急いで!」
誰かの叫び声が聞こえてきたが、疲労で頭が回らないリイナには、何の話か考える余裕も無かった。




