逆走
――あと2周!がんばれ!
――勝てるよ!
――焦らずにね!
配信画面に綴られたコメントに背中を押されながら、機体を発進させる。
戸貝リイナは、ごく一般的な家庭に育った。
父親がよく暴力を振るうのと、数千万の借金を残して逃げていったことを除けば、ごく一般的な家庭だ。
ごく一般的であるがゆえに、リイナも彼女の母親も、父親の暴力を防ぐことはできなかった。
ごく一般的であるがゆえに、リイナの母親は借金を返すために過多な労働に手をつけ、身を滅ぼした。
借金は、今もリイナが背負っている。
戸貝リイナは、一般的であることが嫌いだ。
一般的な人間は、借金の呪いを跳ね返せないし、どこかへ逃げた父親の鼻を明かせないからだ。
「ナコ。私ね」
リイナは、コクピットで隣にちょこんと座っている、空切ナコに言った。
「チームがリーグで勝つより、私が一条に勝ちたい」
配信に雑音が入らないように音声をミュートにした、直後のことだった。
「知ってるよぉ」
ナコは、両手に抱えた大きなライフルをほんの少し持ち上げて、応えた。
「がんばろうね」
「……ありがと」
事務所からは、「安定した走りで2位か3位をキープしろ」と言われている。リーグを勝ち上がることで、メディアへの露出を増やすのが狙いだろう。
その指示を反故にしようと、昨日からナコと決めていた。
地味な活躍を続けても、知名度は大して上がらない。
収入が上がらなければ、借金は減らない。
「最速の配信者」ではなく「最速の人間」にならなければ、逃げた父親を後悔させられない。
安定だけを取ったら、あえて「配信者」として顔も実名も晒すことを選んだ覚悟が、報われない。
一条ソウの機体は、走りを緩めなかった。
こちらへの攻撃の機を窺っているのか、ピットイン前よりも動きがおとなしくなった。しかし、リイナ達の機体に構う素振りも無く、淡々と前を走る。
逆に、リイナ側から攻撃する機会は増えた。だが、ナコはライフルを構えたまま、攻撃に躊躇していた。
理由は、撃った瞬間、一条の動きが変わる可能性があるから。こちらへの危険も、一気に増すから。
だけではない。
理由は、リイナの今日のコンディションにも、ある。
ふいに、公共通信への着信通知が来ていることに気付いたナコが、回線を開いた。
「来やがったな、てめぇら!」
粗雑な男の声。
「ウチのバカリーダーが2連続で自爆したせいで、勝ち上がりは絶望的だ!」
「ふふ、この人、トゲトゲのミサイル撃ってくるチームの人だよ」
ナコが小さく鼻で笑った。
「なら、どうするか? 上位陣を潰して、嫌がらせだ! そら!」
男の掛け声と共に、一週遅れにして抜かした機体の背部から、棘に覆われた物体が飛び出した。
特殊武装<“棘の鉄槌”>。
小型の反重力エンジンとAIを搭載した、自動追尾型の“迎撃”。
4レース中3レースは「チーム望見」の機体に向けて撃たれたが、うち2発は返り討ちに遭う。本レースでは、一条かリイナのどちらかに当たれば儲けモン、というヤケクソな想いで放たれた。
「これ、アズサちゃんが落としたから知ってるやーつ!」
ナコがライフルを構え、“棘の鉄槌”に狙いを定める。
ちらりと横目で、リイナの顔色を窺う。
“心配しないで”という意味で、リイナは軽く頷いた。
「撃ちます!」
ナコは、強力な“迎撃”を、ライフルから放った。
第3レースで最強砲撃手・雪野アズサが使ったよりも高威力の“迎撃”は、“棘の鉄槌”の棘の隙間を貫き、心臓部である反重力エンジンに一発命中。
発射直後に、“棘の鉄槌”は大爆発を喫した。
「ごばあぁー!」
汚い断末魔を確認すると、ナコは公共通信をオフにした。
「大丈夫?」
ナコがリイナの顔色を窺う。
「大丈夫」
そう応えるリイナの顔は、青ざめていた。
退院したとはいえ、つい先日まで“魔力欠乏症”に蝕まれていた彼女の体調は、万全ではない。
おまけに、一条ソウの速さについていくのに、予想以上に魔力と体力を使いすぎた。
機体からの魔法攻撃は、運転者であるリイナの魔力も使用される。機体に外部接続したライフルからの“迎撃”も、例外ではない。
一発を撃つにも、リイナの限界と相談しなければならない。
「これで、不安要素は消えたね」
ナコが言う。
一条がとにかく速く走っていたのは、“棘の鉄槌”が狙いではないか? という懸念があった。
ニードルズが“棘の鉄槌”を撃つことを見越して、誘導してリイナ達の機体に当てることを、狙っているのではないか? と。
もし本当にそれが狙いだったのならば、その狙いは今、失敗に終わった。
もはや誘導できる“棘の鉄槌”は存在しない。
レースは4周目後半。
緩く長いカーブの手前、少し長い直線コース。高難易度の経路短縮が目前のエリアに差し掛かった。
ここまで、一条は直線コースといえど、狙撃を防ぐために小刻みに、複雑な動きを挟みながら走っていた。
それがここにきて、素直にまっすぐ走っている。
まるで、「撃ってみろ」と言わんばかりに。
ここで“迎撃”を撃たないメリットは、ハッキリ言えば、無い。
当たれば勝利が確定するし、外れても、現在の広い直線コースでは、撃った“迎撃”を誘導されて、こちらが喰らう危険もあり得ない。
ナコは、不安そうな表情でリイナを見る。
その顔は「その言葉は、言わないでくれ」と、訴えているように、リイナの目には映った。
「撃って」
その訴えを、リイナは否定した。
「大丈夫。まだ走れる」
「でも……」
「撃って!」
ナコは、震えた手で握ったライフルの銃口を、一条の機体に向ける。
――私が限界に近いことを、見破られた?
リイナの脳裏を、嫌な予想が横切った。
疲労を見せぬため、ピットイン時にあえて、一条に挨拶をして、元気な姿を見せた。配信でも元気に振る舞った。
リイナには魔力感知能力がある。だから、自分の体内から発する魔力量を操作して、魔力の消耗も悟られないようにした。
それでも、疲労と衰弱を一条に看破されていたとしたら?
――私が限界を超えれば、いいだけの話。
もしナコが外したら、もう一発撃ってもらおう。
一条に、精神的な焦りを与えるためにも。
そう考えながら、リイナはハンドルを強く握った。
ナコが、ライフルの引き金を引く。
昨日の雪野アズサの狙撃を見て、一晩で完成させたライフル狙撃術。
ナコの狙撃は、的確に一条の機体に狙いを定め、まっすぐに魔力弾を放つ。
一条の機体が突如、速度と高度をガクリと落とした。
「え!? 何!?」
ナコの撃った魔力弾は、落下するように高度を下げた一条の機体の、真上を素通りした。
「ナコ! もう一発撃って!」
リイナは、間髪入れずに叫ぶ。
「早く!」
――今の動き、見覚えがある。
<消失>。
走行中に一瞬だけ反重力エンジンを停止する技術。
一瞬といえどもエンジンを停止すれば、機体の制御が困難となるため、精密な機体制御ができるレーサーでなければ再現は不可能。
一条ソウは“闇レース”において、雷王・我田荒神の撃つ“雷撃”を回避するために使用した。
――“消失”で狙撃を回避した? 方法としてはアリだけど、どうしてわざわざ、そんな避け方を?
戸惑うリイナの目の前で、一条の機体は猛加速した。
その機体は縦に反転して、コースを逆走するような動きを見せる。
――え!? 経路短縮の入り口を……
一条の機体は、経路短縮の空洞の入り口の前を、塞ぐように走った。
「リイちゃん、経路短縮が!」
「……大丈夫!」
リイナ達の機体が経路短縮コースに入るのを、ちょうど邪魔する形だった。それに対し、リイナは経路短縮を潔く諦めた。
それで、3位以下に追いつかれることは無いほどに、リイナ達は前を走っている。
おまけに、その動きでは一条の機体も、経路短縮に入ることができない。
一条の機体は、さらに反転して、リイナ達の機体を猛追してきた。
さっきまでの行儀の良い走りが嘘のような、荒々しい走り。
さらに“大加速”を使い、一条の機体はリイナ達の前に出る。
「クソ!」
一条に離されるのを阻止すべく、リイナも“大加速”を使用した。
「リイちゃん!」
「心配しないで! “迎撃”より負荷は少ない!」
2機がほとんど横並びで、緩いカーブを終える。
次は高難度の連続カーブ。脇には、経路短縮コースの終わり、空洞の出口がある。
そのとき、一条の機体が横に動く。
リイナ達の機体に、真横から体当たりを仕掛けた。
――ここで体当たり!?
――しまった!
一条の不可解な動きに翻弄され、本当の狙いに気付くのが遅れたことを、リイナは後悔した。
体当たりされたリイナ達の機体は、一条の機体と共に経路短縮コースへ、『出口から』突入した。
<“D-3リーグ”Fブロック最終レース 現在順位(括弧内は所属チーム)>
1位 一条ソウ・望見ニナ(チーム望見)
2位 戸貝リイナ(Dan-Live A-Team)
3位 赤居祐善 (アカガメレーサーズ)
4位 村道みのり(お茶の間親衛隊)
5位 メイス(シャドウズ)
6位 コウテイペンギン(動物園)
7位 佐東陣 (ハバシリBチーム)
8位 儀棚友和(千種食器)
9位 ドン(お笑いの走り手達)
10位 二船佐恵 (グラビアレーサーズ)
11位 なんだかなあ(言葉遊びレーサーズ)
リタイア(機体大破) 景谷尊号 (ニードルズ)




