拒否
「遅い!」
親方の怒声を耳に入れながら、アルバイト整備士の一条ソウは、機体に反重力エンジン装置のパーツを取り付ける。
丁寧に、ゆっくりと。
機体の心臓とも言える部位だ。いくら急かされようと、適当に済ませることはできなかった。
作業を終え、外部装甲を取り付けた瞬間、機体はソウの目の前で動き出した。
驚いたソウが尻餅をつく間に、機体は『じらされ続けてもう限界だ』と言わんばかりに、あっという間に加速してレースへ復帰していった。
「おい!」
地面に尻をついて呆然とするソウは、頭の上から親方のデカい声を浴びせられた。
ソウが振り向くと、親方は般若の形相で彼を睨んでいた。
「どんだけ整備が遅ぇんだ、おめぇはよ! 整備士やって何年目だって? 2年目だったか!?」
――3年目だよ。
とソウは思ったが、言っても良いことが無いのは明らかなので、彼は押し黙る。
「整備はな、早くできてなんぼ! 1秒でも早く乗れるようにしてやるのが大事なんだよ!」
親方はソウに説教する。
「整備の中身なんて、乗れりゃ何でもいいんだ!」
ソウは、整備士のアルバイトでレース場に来ていた。
今日は、国内戦“Dリーグ”開催前のエキシビジョンレースだ。仕事内容は、専属整備士を持たないレーサーに対して、ピットイン時の機体整備を請け負うこと。
上司から言われることは、前の職場と同じだった。
「おい、次が来たぞ!」
ピットインする機体のエンジン音が聞こえてくると、親方はソウに背を向けた。
「さっさと来い!」
親方が走り去った後。
ソウは松葉杖に掴まって、ゆっくりと立ち上がった。
ソウは、イライラしていた。
――なんでみんな、早さしか気にしないんだ? オレみたいに、整備不良の事故でレースに出れなくなっても、気にならないのかよ?
「1位と2位の機体だぞ! ほぼ同時だ!」
誰かの大声で、ピット内の雰囲気が変わった。
整備の時間で優勝者が左右し得る。整備士にとって最も緊張し、ストレスが溜まるシチュエーションだ。
先に入場してきたのは、薄汚れた鉄板を全体に打ち付けたような、無骨なデザインの機体。
続いて、美麗な流線型のフォルムに、ガラス張りで上品なフロントをした機体が入ってきた。
どちらも魔法攻撃を被弾したのか、外部装甲の一部が剥がれ落ち、内部の機械に故障が見られる。
こういう場合、先に入場した方から声を掛けるのがルールだ。
親方は、1位のゴツい機体へ向かい走る。
――丁寧に整備するのも、バカらしくなってきた。
ソウは下を向くと、投げやりな考えを胸の内に渦巻かせる。
――適当にやって、誰よりも早く終わらせてやろう。その方が褒められる。そのあと事故ったって、知ったことか。
そんな、どす黒い感情を抱きながら、ソウは顔を上げる。
様子がおかしいことに、ソウは気づいた。
1位の機体に集まった男達が一向に整備を始めず、機体の周りでざわついている。
――なにか、揉めてるのか?
ソウは、1位の機体へ向かった。
見れば、整備員達は機体の外部装甲を外した状態で、あちこちを指差して話し合っている。
「こんな複雑なやつ、初めて見たよ」
「メーカー製じゃ無いのか?」
話し声を聞きながら、ソウは機体のコクピットを見た。
金属板を張り付けただけの簡素なサイドドアが開いていて、中のレーサーと親方が話をしている。
ふと、親方が体を後ろに引いた。
入れ替わるように別の整備員が進み出て、コクピットから地面にかけてスロープを設置する。
すると、レーサーがコクピットから姿を現した。
ソウは、思わず声を上げそうになった。
レーサーは……彼女は、車椅子でコクピットから出てきたからだ。
ソウの胸がざわつく。
――車椅子のまま乗れる機体なんて、聞いたことないぞ。
――当たり前だ。そんな機体があるなら、オレは……
彼女はボサボサの長い髪を風に揺らしながら、大きな隈のできた目で足下を見て、車椅子を操作する。
スロープを降り、機体の故障箇所を見る彼女に向かって、親方が何かを説明し始めた。
話の内容に、ソウは耳を傾ける。
「機構がですね、よくわからないんですよ。だから、いま直せと言われましても……」
「そんなはずない。既存の装置を組み合わせただけです」
親方に対し、彼女は反論する。
「失礼ですが、所属企業は?」
「……個人参加です」
「なんだ、やっぱり個人か」
整備員の誰かの呟きが、ソウの耳に入った。
レーサーは、企業や公機関の後ろ盾があるかどうかで扱いが変わる。
世の中の大体の業界と同じ、いや、それ以上に、人脈が物を言う世界だ。
機体の価格は最低3千万。これにレース参加費、整備費用、その他諸々の費用がかかることからも、個人参入の難しさがわかる。
「機体の製造メーカーは?」
「自作です……」
「メーカー保証の無い機体の整備は、ちょっとねぇ……」
「で、でもっ! 安全テストには合格しました! 協会発行の保証書もあります!」
渋い表情の親方に、彼女は必死で訴える。
「メーカー製は高くて、とても手が届きません。生まれつきこんな体だから、企業所属のレーサーにもなれないし……それでも、レースに出るのが夢で! そのために、自分でも乗れる機体を自作しました! せめて、最後まで走りきりたいんです! だから……」
「やめましょうか、走るの」
親方は、彼女の話など聞いてはいなかった。
「危険ですよ、自作の機体で走るなんて」
「で、でもちゃんと安全テストには合格して……」
「こんな意味不明なエンジン機構、我々には直せません。どうしてもと言うなら、ご自身で整備士を雇っては?」
「機体も買えないのに、整備士なんて雇えるわけねぇって」
近くの整備士が、クスクスと笑った。
「何か揉めてるんでしょうか? こちらの修理に誰も来ませんね。職務怠慢かな?」
2位の機体の方から、わざとらしく大きな声。
レーサーが、スマートフォンを片手に喋っている。
「ウチの専属整備士は、こんなこと一度も無いぜ!? これ以上遅かったら、訴えてもいいですよね。どう思う、みんな?」
スマホに向かって喋っている彼は、どうやらインターネット配信をしながらレースに参加しているようだ。
「全員、あっちの機体へ行け!」
親方が、大声で指示を出す。
「急げよ!」
ソウを除く整備士達は一斉に、2位の機体の方へ走る。
「あの機体、見たことあるぜ! Tasnitec社の“アカガメ”レーサーチャンネルだ」
「やべぇやべぇ、機嫌損ねたらウチの会社潰されるとこだ」
彼らは口々に言いながら、1位の機体から離れていく。
「あ、待って……」
整備士達が去り、ついには親方にも背を向けられた彼女は、呆然としていた。
「せめて、そこの電動工具を貸して……」
「あのね!」
業を煮やした親方は、苛立った声を上げた。
「工具だって、タダじゃないんですよ! 直したかったら、もっとマトモな機体に乗ってこいよ!」
「う……うぅ……」
彼女の目元の隈が、溜まった涙で少し濡れた。
「オレが修理します」
そのとき声を上げたのは、他の整備士が去った後もその場に残っていた、ソウだった。
<D-3開幕前エキシビジョン 現在順位(括弧内は所属チーム)>
1位:ローデス(Dan-Live)
2位:太刀宮陽太(Rokuma)
3位:望見ニナ
4位:赤居祐善(Tasnitecアカガメレーサーズ)
5位:Liina (オンダ)
6位:ひげレーサー(オフィシャル髭レーサーズ)
7位:じい(高齢者レーサーズ)
8位:にゃーた(Dan-Live)
9位:ゴリラ(動物園)
10位:seven(Dan-Live)
11位:加賀美レイ
12位:ピエロダッシュ太郎 (サーカスレーサーズ)




