カート博士の初レース
望見ニナは、不安と期待を胸に、レース参加受付の前にいた。
「ニナ!」
呼びかける声に、彼女は振り向く。
「お姉ちゃん!?」
ニナは驚きの声を上げる。
そこにいたのは、来るとは思っていなかった彼女の姉・ルナだったからだ。
「あなた、本当にレースに出るの? そんな体なのに!?」
「当たり前でしょ! そのために機体を作ってるって、言ってたでしょ!」
姉のルナは、既に結婚して家庭を持っている。一人暮らしをしているニナと会うのは、実に2年ぶりだ。
ニナがDレーシングの機体を作ることに、ずっと反対していた。
「見て! 安全テストに合格して、協会の保証書も貰ったんだよ」
ニナは、1枚の紙を広げて見せる。
「でも、自分で運転するなんて……危ないわよ」
「心配しないで。シミュレーターと練習場で、みっちり練習したんだから!」
「実戦は初めてなんでしょ? 大丈夫?」
「もう、心配しすぎ! 前に言ったでしょ? 細かい作業が得意なエンジニアは、細かい操作が必須なDレーシングも得意だって。私、シミュレーターなら日本記録と1分しか違わないんだよ!」
「そっか……」
「……そんな顔しないでよ。知ってるでしょ? レースで一番になるのが、私の夢だって」
「うん。……気を付けてね」
ニナは参加受付を済ませると、機体を運んで意気揚々と会場入りした。
今日はDレーシングの国内リーグ、“Dリーグ”開幕前のエキシビジョンレース。
ニナにとっては、これがデビュー戦だ。
今日の目標は、まずは完走すること。
ゆくゆくは自分のチームを作って、“Dリーグ”制覇を目指すのが、ニナの夢だ。
「あの、すみませーん!」
ニナはスタートレーンに機体を運ぶと、隣のレーンに顔を出して声を掛けた。
彼女の機体は特別な仕様で、一人だけでは乗り降りができない。レーサー以外出入りができないレーン内では、他のレーサーに手伝って貰うしかない。
「ちょっと、手伝ってほしいんですけど」
「あ?」
隣の機体のコクピットから、若い男が顔を出した。
見たところニナより少し若い、大学生くらいの男だ。
「なんか、隣のレーサーに話しかけられました」
男は返事の代わりに、手元のスマートフォンに向かって喋り始めた。
「いや、あの様子だと、きっとレーサーじゃないでしょうね。でも、係員でもなさそう」
「ほら、手伝ってあげなよ」
機体の助手席に座る女が、男の肩をつついた。
「ちょっと待っててぇ」
彼女はニナに声を掛けると、男の背中を押して、一緒にコクピットから降りてきた。
「私が、この機体に乗りたいんですけど……」
「えっ? キミが乗るの?」
ニナの説明を聞く前に、男が眉を曲げて驚いた。
「マジ? 聞きましたか、この人……」
「ちょっと! 配信の前に、説明聞いてあげなよ」
女が男をどつきながら、ニナの説明を聞いて、機体に乗るのを手伝った。
しかし女の方も、ニナが一人で機体に乗ってレースに参加すると聞いて、訝しげな表情を見せる。
「ねえ、後援企業はあるの?」
女がニナに尋ねた。
「えっと……後援してくれる会社は、無くて……」
「そっか、そうだよね……」
「顔はいかにも不健康だけど、メイク次第で美人になりそうでしたよね。やりたい? よせって、まだ本人近くにいるんだからさぁ」
男はスマートフォンが好きなのか、作業中もひたすらスマートフォンに向かって語りかけていた。
「ありがとうございました! お互い、がんばりましょう!」
コクピットから顔を覗かせ、ニナは二人にぺこりと頭を下げた。
女は手を振って返してくれた。男は、やっぱりスマホが好きみたいだ。
――二人乗りかぁ。
レース開始までの間、ニナは物思いに耽る。
――女の人の方が砲撃手なのかな。いいなぁ。私の機体はそもそも、砲撃手用装備が無いからなぁ。
レース開始のブザー音で、彼女は我に返った。
――いけない! レースに集中しなきゃ!
ニナは、アナウンスを聞きながら機体のエンジンを起動する。
――機体を壊さないように、がんばろっと!
レース開始の、カウントダウンが始まった。
痛いくらいに鼓動が脈打つ。
カウントに合わせて信号が点滅する。
赤の信号が、青に変わる。
全機、一斉にスタートした。
Dレーシングは反重力エンジンで宙を舞う機体に搭乗し、暗いダンジョン内を時速120km以上で駆け抜ける高速レースだ。
ニナの機体は、最後尾の12位からのスタート。加速の調子は良く、敵車を数機抜かしながら勢いよく発進した。
「わわっ……わっ!」
敵車にぶつからないよう、ニナは慎重にハンドルを操作する。
最初の直線を終える頃、魔力レーダーの順位表示を見ると、「7位」とある。
――上々!この調子でいくぞ!
最初の直角カーブにさしかかる。シミュレーターで練習した通り、速度を落としながらカーブを通過し、次の直線で加速をかける。
直線で、1機抜いた。
ニナが乗り込む自作機は、魔法攻撃用の装備が無い分、加速と最高速に性能を全振りした機体だ。スピード勝負なら自信あり。
敵車を抜かした直後、コクピットのすぐ右脇を、緑の発光体が高速で通過していった。
敵車の魔法攻撃“迎撃”だ。
「ぎゃあーっ!」
思わず叫び声を上げる、ニナ。
ニナの機体は、装甲が薄い。普通なら二、三発くらい耐えられる“迎撃”も、ニナは一発でも喰らえば致命傷だ。
魔法攻撃を意識して回避するのは、容易ではない。操作技術の拙いニナは、当たりませんように、と祈りながら運転を続ける。
次のS字カーブは、練習通りの動きで難なく突破。直後の直線で加速し、さらに1機抜かす。
溶岩の上スレスレを通るエリア。たまに飛び出してくる溶岩に気を付けながら進む。
目の前の機体が、溶岩を受けて減速した。その隙に抜き去り、順位はさらに上へ。
お次は壁が動き、機体の進行を妨害するエリア。
これは、練習で壁の動きのパターンを頭に入れているニナには、楽勝のエリアだ。
壁に翻弄される機体を2機ほど抜いて、さらに先へ。
最後のヘアピンカーブ、そして直線。さらに1機抜かす。
これで1周目は終わり。時間にして、11分程度。
そして、2周目だ。
レースは、コースを5周してゴール。1時間近い長丁場だ。まだ、折り返しにも来ていない。しかし、1周して目立ったミスは無し。調子は悪くない。
「よーし。この調子で、ミスせずにいくぞー……」
ニナの握るハンドルに、さらに力が籠もる。
直角カーブを抜けた先で、さらに1機を抜かした。
「あれ?」
直線を走行中、ニナはふと、魔力レーダーの端に表示されている自分の順位を確認した。
ここまで余裕ゼロ、レーダーの順位表示なんて一切見ていなかったニナは、自分の順位を知って驚愕した。
「ええっ!? 私が1位!?」
まさか、自分が1位を取れるなんて! という喜びと共に、これまでに無い緊張感が、ニナの胸に押し寄せてきた。
「あ……あと3周半……」
この順位をキープできれば、1位でゴール。だが、今のニナにとって3周半後のゴールは、気が遠くなるほど先の話だ。
「が、がんばるぞ……!」
ニナは子どもの頃から、レースが好きだった。
10年前、大好きなレーサーが、世界大会決勝の直前にケガで引退した。
それが悔しくて、自分もレーサーを目指すようになった。
高校時代からアルバイトで資金を貯め、10年かけて機体を自作した。
シミュレーターや練習場で、運転を何度も練習した。
――やっと、これまでの努力が報われる!
「あー、あー……1位のお姉さん、聞こえますかね?」
公共の無線通信から、男の声が聞こえてきた。
機体に乗るときに手伝ってくれた、レーサーの声だ。
「あんた、後援企業も無い、ただの趣味の人でしょ?レースに出る暇あったら仕事しろっつーの、ハハハ」
「ちょっと、可哀想でしょ」
遠くから、女の声も聞こえる。
「でも……ふふっ、やめた方がいいと思うよ?確かに、その体でレースしたら話題になるかもだけど……あざとすぎるって」
「速けりゃ1位になれるとでも思った?このレース、そんな甘くねーんだわ。それを教えてやるよ」
レーダーが、魔力を検知した。
すぐ後ろにつけている2位の機体から、大きな魔力の砲撃が放たれる。
<D-3開幕前エキシビジョン 現在順位(括弧内は所属チーム)>
1位:望見ニナ
2位:赤居祐善(Tasnitecアカガメレーサーズ)
3位:ローデス(Dan-Live)
4位:太刀宮陽太(Rokuma)
5位:Liina (オンダ)
6位:じい(高齢者レーサーズ)
7位:ひげレーサー(オフィシャル髭レーサーズ)
8位:にゃーた(Dan-Live)
9位:seven(Dan-Live)
10位:ゴリラ(動物園)
11位:加賀美レイ
12位:ピエロダッシュ太郎 (サーカスレーサーズ)




