VS “雷王”
“雷王”我田荒神。
20代はDレーシングのレーサーとして活躍。
堅実な走りが特徴の生真面目な男だったが、レースの成績は中堅止まり。収入はお世辞にも多いとは言えなかったが、「仕事にやりがいを感じられれば、多少の薄給は気にしない」というスタンスで走り抜いた。
だが、大切な人が大病を患い、保険対象外の高額医療を受けられなかったが故にその生涯を終えた時、彼の考えは変わる。
必要なのは、やりがいでも名誉でもない。
効率よく手に入る、十分な量の金だ。
――そろそろ、“雷撃”を使う頃合いだな。
我田は公共通信をオンにしたまま、無言で“雷撃”の発射スイッチに手をかける。
彼はこのレースを、普段にも増して慎重に戦っていた。
常勝無敗の自分に対して挑発をし、どう見ても回避不可の“雷撃”を見た直後にレースをしたがる一条ソウという男が、彼の目には不気味に映ったからだ。
――最終カーブに入る。万に一つ、いや、百万に一つ、“雷撃”が不発に終わったとしても。俺が確実に1位を取れるだけの距離を、2位とは取れている。
普段は公共通信で口上を言ったあと、撃っている。
だが、今回は公共通信をオンにし、口上を言うと見せかけて、無言で不意打ちの“雷撃”を撃つ。
これも、我田は最初から決めていた。
一条ソウに、“雷撃”回避のチャンスを一時も与えないために。
最終カーブを、我田はドリフトを使い高速で駆け抜ける。
現在3位の加賀美レイが放った赤い追跡者が、それを上回る超高速で我田の機体を追う。
砲撃手の雪野アズサはライフルを構え、我田に目配せをする。彼女のライフルは機体の反重力エンジンと繋がっており、魔力供給を受けて“迎撃”を放つ。
彼女は我田の目を見て、すべてを悟った。
彼女は“雷撃”失敗のトラブルに備え加賀美の追尾型魔力弾に狙いを定めたまま、指を止めた。
撃つ直前、我田は、心の中で言い訳をする。いつものように。
“悪いのは俺じゃない”
“すべては身の程を知らず、簡単に興業の食い物にされるレーサー達の責任”
“悔しかったら、現実を見て、現実を生きる努力をしろ”
そして、“雷撃”のスイッチを押した。
機体がコース内の敵を捕捉するのに、1秒。
捕捉した敵に雷を落とすのに、0.1秒。
機体を追ってきていた追尾型魔力弾が砕け散るのをバックミラーで確認して、我田は“雷撃”の攻撃成功を確信した。
後方をつけていた加賀美の機体が、赤い炎と黒い煙を上げて墜落していく。
砲撃手の雪野は、ライフルを持つ手を緩めた。
「カッハッハ! 今回も他愛の無い連中だったな!」
我田は、安堵しながら普段の演じている自分で威勢の良い台詞を吐き、チラリと雪野の顔を見る。勿論、操縦に支障の無い範囲で。
最初は無表情だった彼女の顔。
だが直後に、彼女の表情がかつてなくこわばる。
その異変を見た我田は、視線を動かした先にあるレーダーを見て、血の気が引いた。
一機、“雷撃”を撃った後も、停止どころか減速すらせず、我田の機体のすぐ後ろを走る機体がいた。
一条ソウの機体だ。
レーダーの故障を疑い、目視で確認する。
カーブの外側から、一条の機体が追い抜かさんと迫ってきている。
――なんでだ!? なぜ“雷撃”が効いていない!?
動揺しながらも、我田は冷静に、無言で操縦を続ける。
なぜなら、まもなくカーブが終わり、その先はゴールだからだ。
高速でカーブを駆ける一条の機体は、我田よりも少し速い。しかし、我田がゴールする前に抜かせるほどの速さではない。
“雷撃”の威力に奢らず、着実に距離差を保っていたことが、功を奏している。
――保険のつもりでつけた距離差だったが、甲斐があった……!
「黙ってるのは、このままなら勝てると思ってるからか?」
公共通信から、一条ソウの声が聞こえてきた。
我田は、無言で走り続ける。
――挑発だ。乗るな。それで、勝てる。
「オレの思った通りだ。あんたの本質は、振る舞ってるキャラよりずっと堅実で、臆病なんだ」
我田は、アクセル、ブレーキ、ハンドルの操作に集中する。
カーブ中にアクセルを踏み込みすぎないように、適度なブレーキで最善のドリフトになるように、ハンドル操作を間違えてクラッシュしないように。
「けど、あんたのその臆病のために、ニナが食い物にされるのだけは許さない」
“無視しろ、無視しろ”
“俺は悪くない。悪いのは要領の悪い奴ら”
“勝つのが最善、正しいこと”
そう、心の中で祈りながら。
「10年ぶりに『あの技』、使ってやる」
次の瞬間。
一条の機体が、さらに加速した。
その加速度は、間違いなく“大加速”によるものだ。
<大加速>。
Dレーシングの機体が持つ、基本装備の1つ。
エンジンに大量の魔力を流し込み、一時的に限界を超えた出力を与え、数秒間のみ爆発的な加速と最高速を得る。
そのあまりの加速から制御が困難を極める。
……コーナリング中に使用するレーサーなど、まず存在しない。
我田は、自身の目を疑った。
自分の機体をカーブの外側から追い抜かし、先を行く一条の機体。
初めは大きく見えていたその機体は、我田を残してみるみるうちに、小さく離れていく。
その機体のコーナリングが描く曲線は、まるで。
徐に地面から昇り、人間の頭上を我が物顔で跨ぎ、身勝手に沈んでいく、太陽の軌跡のよう。
我田は10年前に一度だけ、この曲線を見たことがある。
それは、今は伝説と謳われるレーサー“神威”の天才的な操縦技術のみが可能にすると言われる。
コーナリング中に“大加速”を使用し、圧倒的距離差を一気に覆す神業。
機体が描く曲線から、神業はいつしか、こう呼ばれるようになった。
<昇日の曲線>。
一条の機体が、完全に我田の前に出た。
砲撃手の雪野は、迎撃するべくライフルを構え、コクピットの窓から体を乗り出そうとする。
「待て」
だが我田は、小声で雪野を制した。
その声を公共通信で聞かれ、意図を悟られぬように。
ここは、長い最終カーブの最終盤。ドリフト中に回避行動は困難。
雪野の狙撃技術を、我田は信頼している。
してはいるが今は、“神威”にしかできないはずの技術を再現してみせた怪物・一条ソウへの恐怖が勝っていた。
もし一条に狙撃を回避されれば、反射した“迎撃”を自分が喰らうかもしれない。
万が一、被弾でリタイア、などという事態になれば、“雷王”の名は地に墜ちる。
“闇レース”は終わりだ。
ならば、もっと確実な方法で潰す。
“雷王”が負けそうな非常事態に使う、コースギミック。
“雷王”のみが知っている、“雷王”の手元のスイッチで起動する、“動く壁”。
ちょうど今、一条が走っているのはカーブの外側、壁伝い。
その壁を予兆無く動かせば、さすがの怪物も避けられまい。
チャンスは、敵がカーブを抜ける瞬間、一度きり。
我田の手元が汗で濡れる。
額から流れる冷や汗の感触を味わいながら。
我田は、“動く壁”のスイッチを押した。
会心の出来。
絶妙なタイミングで、壁が一条に襲いかかる。
だが一条は予期していたかのように、壁を軽々と回避した。
「そんな気はしてたよ」
カーブを抜けた先は、すぐにゴールゲートだ。
「やっぱり、臆病なんだな」
一条の機体が、1位でゴールゲートをくぐった。
<“闇レース” 第6回 最終順位(括弧内は賭け倍率)>
1位 一条ソウ(15.62倍)
2位 “雷王”我田荒神(1.01倍)
リタイア(機体破損) 村道みのり(20.42倍)
リタイア(機体破損) ボブ・リック(21.56倍)
リタイア(機体破損) トンファー葛西(22.43倍)
リタイア(機体破損) 坂泰治(22.43倍)
リタイア(時間切れ) 加賀美レイ(27.62倍)




