8 学校
8 学校
小学生の頃は、同級生が昨夜のテレビ番組の話をしても、ぼくはジロウさんと一緒に違うチャンネルを観ていたので話の輪の中に加わることができなかった。ぼくがテレビ番組を観るのはいつも一週間遅れだからだ。
だがある日、ユウタ君が刑事ドラマの『相棒』の話をしていた時、ぼくもそのドラマが好きだったので、のりのりで話に加わった。『相棒』をリアルタイムで観ていなくったって話を合わせることくらいできるんだ。右京さんの紅茶の注ぎ方と喋り方の真似をすればうけるんだから。
しばらくして、それまで黙ってぼくたちの話を聞いていたリョウちゃんが、その時間帯は裏番組のバラエティ番組を観ていたので、『相棒』を観なかったと言い出した。お姉ちゃんがそのバラエティ番組のMCをしているお笑いタレントが好きで『相棒』を観ることができないらしい。リョウちゃんちはテレビが一台だけなのかもしれない。幸せな家族だ。
ぼくは、そのバラエティ番組がドラマの裏番組であることを知らなかったが、当然そのバラエティ番組も一週間前の番組であるが、ビデオに録画して週末に観ていたので、リョウちゃんとバラエティ番組の話をすることにした。出演者はほとんど同じなので、ぼくが前週の話でリードすることで話が合うのだ。
友だちは、どっちかの番組をビデオに撮って後から観たのかと訊いてきたので、両方ともビデオに撮って観ていると教えた。おそらくその時間はジロウさんが旅行番組を観ている時間帯だ。ぼくもジロウさんと一緒にソファに寝転んで子供が興味のない海外旅行番組を観ている。友だちは誰もこの旅行番組のことを知らないだろう。パタゴニアがどこにあるか誰も知らないだろうし、ぺリト・モレノ氷河なんか聞いたこともないだろう。テレビを観て凄いところだと思ったけれど、それだからと言って、ぼくは一生行くことはないだろうと思うね。そのうちこの氷河の名前も忘れてしまうと思うし・・・。
友だちとテレビの話をしていると、ぼくは友だちが観ている全番組を一人で観ていることが明らかになった。友だちは全員目を丸くして驚いた。いくらビデオに録画して観ているとはいっても、さすがに多すぎるのだ。
一週間のテレビ番組をチェックするために、みんなで放課後に市立図書館に行って新聞のテレビ欄を観ることになった。ぼくが地上波の同じ時間帯の番組を並行して録画していることがわかった。ここでNHKとEテレは全然録画していないことも判明した。こんなにたくさんの番組をいつ観るのと訊かれたので、土曜日と日曜日と答えた。頭の良いリョウちゃんがすかさず計算をして、これだと一週間に80時間くらい録画することになるけど、土・日二日丸々使っても全部を見切れないはずだ、と言い出した。そこでぼくは10倍速ビデオデッキ『スピー』のことを、みんなの前で初めて告白した。リョウちゃんは10倍で観たら可能だ、と納得がいったようだった。他の連中は10倍速なら何時間で観ることができるんだ、と計算を始めた。
「10倍速で観ることができる『スピー』はどこで売っているの?」、とリョウちゃんが訊いてきたので、ぼくは少し自慢げにジロウさんが作ってくれたことを明かした。みんなが一斉に「すげえ」と声を上げたので、図書館の人に睨まれた。ぼくは、「父さんはエンジニアなんだ」と自慢した。多分みんなエンジニアがどんな職業か知らないはずなのに、「それは凄い」と褒めてくれた。
それじゃあ、と改まって、太っちょのナオキ君がこの番組を知っていると、テレビ欄の番組を次々に指さしてはぼくをテストした。ニュース番組は観ていないので答えることができなかったし、観たけれどほとんど内容を忘れてしまった番組もあるけれど、バラエティ番組やアニメならほとんどすべて答えることができた。
ぼくの代わりに母親がテレビを観て、ぼくに内容を教えているのではないか、とユウタ君が疑ってきた。きっとユウタ君はお母さんにテレビ番組の内容を教えてもらって、それで友だちと話をしているんだ。
リョウちゃんが、親が観るにしても、親だってこんなにたくさんの番組を観るほど暇ではないだろうと、リョウちゃんが言った。我家のジロウさんは暇だけど、ぼくのためにテレビを観てくれたりはしない。それにそもそもぼくがそんなことをしなければならない理由はどこにもない。そんなことまでしてみんなの注意を引く必要はない。そんなことくらい、みんなもわかっているはずだ。
ノブ君が、もしかすると、テレビ番組のあらすじが載っているネットのサイトかあるいは本があって、それを見たり読んだりしているのかもしれない、と言い出した。そこで「よし、アキラが言うのが正しいかどうか、来週の月曜日にアキラに証明してもらうことにしよう。テレビを観ていないとわからないような問題を、ぼくたちがアキラに出すんだ」とリョウちゃんが提案した。ナオキ君が「いったいどのようにして証明するの?」と訊いたので、リョウちゃんが「これから一週間、ぼくたちは分担してテレビ番組を観てくるんだ。そして来週の月曜日にそれぞれがアキラに質問するんだ」。「それは面白いね」とノブ君が真っ先に賛成した。リョウ君がぼくに「それでいい?」と同意を求めてきたので、ぼくは「いいよ」と軽く答えた。
かれらはぼく抜きで、顔を近づけて番組を観る分担を決めた。ナオキ君が「この時間は姉ちゃんがテレビを観るから、ぼくは観られない」と言うと、リョウちゃんが「それならビデオで録画して土・日に観ればいいじゃないか」と言うと、ナオキ君は「そうだね」と言った。みんなの分担は決まったようだった。いよいよ図書館のおばさんの表情が険しくなってぼくたちを睨んでいるので、ぼくたちは図書館を退散することにした。
月曜日の昼の休み時間に集まって、ぼくは友だちから質問の集中砲火を受けることになった。ぼくは普段よりも少しだけ真剣に10倍速のビデオを観たけれど、それでも全部の番組の内容を覚えているわけではない。そんなに記憶力がいいわけないじゃない。でも、何かヒントが出されれば、思い出して答えることができる。ぼくが全部を覚えていないので、本当は観ていないんじゃないかと疑る者も出てきたが、リョウちゃんが「ぼくたちだって昨日観たテレビ番組を全部覚えているわけじゃないよね。観たことと覚えていることは違うんだよ。アキラだって面白い番組はよく覚えているし、ぼくたちが面白くなかった番組はやっぱりあまり覚えていないんだよ。ぼくはアキラが全部の番組を観ていると思うよ」と言った。みんなはすぐに「そうだ、そうだ」と同意した。ぼくが質問されたすべてのテレビ番組を観ていることを、かれらはやっと納得したようだった。これをきっかけに、友だちはぼくに少し尊敬の念を抱いてくれるようになった。
リョウちゃんがぼくのことを唐突に「テレビ天才だ」と言った。それを聞いたみんなが「テレビ天才、テレビ天才」とぼくを囃し立てた。ぼくはなんか舞い上がって行くような良い気分になった。
ヒロシ君が、そんなにたくさんの番組を観ることができるなら、将来テレビ番組の批評家になってテレビに出ればいいじゃないかと言い出し、みんながそうだ、そうだと言った。でも、ノブ君が「10倍速のビデオデッキがあれば、ぼくたちだってたくさんの番組を観れるんじゃないの?」と言い出すと、みんなが「そうかも知れないね」と同調するようになった。そこでぼくの「テレビ天才」説は、一挙に風向きが怪しくなっていった。
リョウちゃんが『スピー』をぼくたちにも観せてくれない、と頼んで来た。みんなも「お願い、お願い」とぼくに手を合わせた。
家に帰って、キミコさんと相談して、次の日曜日の午後に友だちを我家に招待することになった。4人の友だちが来て、母は張り切ってそれまで作ったこともないシホンケーキを作り、いつもの日東紅茶ではなく、奮発してリプトン紅茶を出してくれた。珍しく輪切りのレモンも付いている。
ケーキを食べ終わったら、あらかじめぼくの部屋からリビングルームに移動しておいた『スピー』で、すでに録画したテレビ番組をみんなで観ることにした。今日はキミコさんの許可も得ているので、イヤフォンを付けなくてもよかったし、10倍速の不快な音も注意されることはなかった。もちろん、大声で笑っても、誰からも咎められることはなかった。
ぼくは最初にみんなをぎゃふんと言わせるために、いきなり10倍速の動画を観せた。かれらは内容がさっぱりわからなかった。ぼくが内容を説明するとびっくりしていた。かれらは映像はともかく、音声がまったく聴き取れないのだ。そこで60分のバラエティ番組を5倍速で2回観せたが、今回も誰もその内容がわからなかった。
そこで、1.6倍の遅い速度から始めることにした。1.6倍速と2倍速は、みんな聴き取ることができたが、3倍速でみんなギブアップをした。何度もそんなことを繰り返したが、そろそろみんなが飽きた風なので、5人一緒に3倍速の映像を観て、内容を当てるクイズにした。そうするとかれらは再び真剣に観るようになったが、かれらは何度観ても内容がわからず、わかるのはぼくだけだった。ぼくの一人勝ちだ。こんなことこれまでのぼくの人生で一回もなかったことだ。まだ、人生と言えるほど長くは生きていないけど、こんな輝かしい日には、人生という言葉を使ってみたいじゃないか。
再び10倍速の動画を観せると、こんなに速い映像や音声を聴き取ることができるなんてやっぱり信じられない、と疑り深いユウタ君が言い出した。多分前もってノーマル速度で観て覚えているんじゃあないかと言い、みんな「そうかもしれない」と疑り始めた。それからぼくは今回もテストをされる羽目になった。だけど、ぼくはかれらから出された質問を全部当てた。それじゃあと、ユウタ君は諦めずに、今から始まる番組を30分間録画するから、みんなで観ないようにして、30分後に10倍速で再生して、何が話されたのかをぼくに答えてもらおうということになった。ニュース番組だったので、ぼくは内容をよく理解できなかったけれど、アメリカやウクライナや中国、北朝鮮の国名、そして強盗殺人事件の詳しい模様と旭山動物園のペンギンの話が出たことを話した。その後、みんなでノーマル速度で再生し、ぼくの言ったことが全部当たっていたのでみんな驚いて拍手が起こった。ノブ君が「やっぱりテレビ天才だ」と言って、みんなが「そうだ、そうだ」と言った。ぼくはこの言葉がキミコさんに聞こえているのではないかと思って、ちらっとキッチンにいるキミコさんを見ると、彼女の顔が少しほころんでいるようで、ぼくは益々嬉しくなった。
そんなに10倍速の動画を観ることができるのが凄い事なのだろうか? たしかに、家族や友だちの中には観ることのできる人は誰もいない。賢いリョウちゃんでも無理だった。でも、こんなことができたからって、勉強ができるようになるわけじゃない。とにかく他人と違ったことができるようになると、評価されることは間違いないようだ。こんな優越感を味わったのは生まれて初めてだ。この時、ぼくは将来この才能を生かして有名にならなければならないと思ったけれど、もちろんどうしたらいいかぼくにはわからなかった。
ヒロシ君が「アキラは本当の天才かもしれない」と言い出して、「円周率を下百桁まで言ってみて」と突然言われたが、もちろんぼくが言えるわけがない。それならと、塾で出された数学の難しい問題のプリントをバッグから出して、これを解いてみてって頼まれたが、数学の成績はクラスでも下から数えた方が早いのはみんなわかっているはずだ。急にぼくが数学の天才になれるわけがないじゃあないか。
数学の問題が解けないのがわかると、ノブ君が「ちぇ、たいしたことないの」と舌打ちしたのが、ぼくの胸に深く突き刺さり、ぼくはやっぱりたいしたことのない人間でいることを再確認させられた。10倍速の動画を観ることができるくらいで、天才だと乗せられた自分が浅はかだったのだ。束の間の夢を見たようだ。天才と言われて悪い気はしなかったのだけど・・・。キミコさんの顔を見ることができない。
ヒロシ君がぽつりと「アキラは天才ではなく、超能力者かもしれない」と言った。ぼく以外のみんなはその言葉にはっとしたようだ。リョウちゃんが「超能力者か? そうかもしれないね。誰も観ることのできない10倍速の世界を観ることができるんだから、アキラは超能力者だ」と断言した。みんなが「超能力者か」と感心してため息をついた。ノブ君が「天才よりも超能力者の方がずっと上じゃねえ」と目を輝かせて言った。ぼくは、みんなが帰ってからスプーン曲げに挑戦しよう、と思った。
誰かが10倍速でテレビを観ることができたら、余った時間は自分の好きなことができていいねと言った。ぼくはその余った時間もテレビを観ているだけだ。ぼくの好きなことっていったいなんだろう。やっぱりボーっとテレビを観ることだけじゃないかな。だけどこんなこと恥ずかしくて友だちには言えない・・・。ぼくは骨の髄まで「テレビっ子」です。
つづく