3 ビデオ再生
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ジロウさんはテレビで野球の実況中継を観ているが、帰宅前に放送される相撲はビデオに録画しておいて、ぼくたちが寝た後で観ている。たまにプロレスや格闘技を観ることもあるが、サッカーの試合はワールドカップであっても興味がないようで、ニュースの時にちらっと観る程度である。ぼくはサッカーの試合、特にワールドカップの日本戦はどうしても観たいので、ビデオで日本戦の試合を録画して、土・日曜日の日中にまとめて観ることにしている。サッカーワールドカップの結果は、テレビのニュースや新聞でわかっているので、試合の翌日の友だちとの話の輪に加わることができる。ワールドカップの話の時は、ぼくは友だちと話を合わせて、ただ合いの手を入れるだけだけれど、それでも何ら不自然さはない。友だちが興奮して話していた、メッシのドリブルからのシュートは、数日遅れで録画を観て確認することにする。
サッカーワールドカップの時期は、日本戦だけでなく外国のチーム同士の試合もできるだけ録画して観なくてはならない(必ずしも”ならない”わけではないが、友だちとの付き合い上、こうしたことにひたむきにならなくてはいけない)ので、なかなかハードな時間を過ごすことになる。友だちの家はたいがい家族全員がサッカーワールドカップを楽しんでいるので、家族全員でテレビに齧りついて応援をしているらしい。子供たちよりも親の方がずっと熱心なくらいで、選手の名前はおろか、監督も顔負けなくらい戦術を良く知っているようだ。昨晩、父親が興奮して話したであろう、チームが負けた戦術上の誤りを、知ったかぶりをしてそのままぼくたちに解説してくれる友だちがいる。あの時にああしたから負けたんだ、どうしてあの時選手交代をしなかったんだ、と言うが、それは確かだけど、もう時間は戻らないと思う。
ぼくの家は、ぼく以外誰もサッカーに興味がない。サッカーに興味がなくても、ワールドカップには興味を持とうよ。家族全員で盛り上がろうよ。ジャパンが戦う時は、チカもリビングルームに来てみんなで一緒に応援しようよ。ジロウさんもキミコさんもビールをいくら飲んでもいいからさ。大声出して応援しようよ。それが国民の義務でしょう。そうじゃあないの? それなのに、我家はぼく一人で土曜日に数日遅れの試合を応援するんだよ。これじゃあ、盛り上がらないでしょう。もう、結果はわかってるんだから。せめて、キミコさん、洗濯機の音、静かにできないの? 洗濯機の音が応援の声の代わりじゃあ、いくらなんでもジャパンがかわいそうだって。
土・日だからと言って、ぼくは全面的に自由なわけではない。土・日の日中は家族全員で買い物に行ったり、遊園地に行ったり、ドライブをしたり、友達と遊んだり、というように何かと予定が入っている。それゆえ、録画した番組を観るために、丸二日ぼく一人だけでずっとテレビの前に齧りついているわけにはいかない。家族や友だちとの付き合いも大切だ。
限られた時間でぼくができることは決まっている。早起きをすることだ。ぼくは朝早く起きて、録画しておいたワールドカップを観るのだ。早起きは得意ではないけれど、テレビを観るためならば、いくらでも早起きができる。おじいちゃんが子供だった頃は、ビデオもなかったそうだから、「テレビっ子」はビデオの出現によって大きく進化したのだ。
サッカーワールドカップが終わってからも、早起きしてビデオを観る習慣がつき、土曜日の朝は5時に起きて、一週間撮り溜めておいた番組を観るようになった。だけど、土曜日の夜は9時には眠くなって寝てしまう。こんなに早く寝るので、日曜日も朝5時に起きてビデオが観ることができる。そして日曜日も夜の9時には寝てしまう。ジロウさんがぼくに「土・日は早寝早起きで健康だな」と言う。ぼくは夜はもっと遅くまで起きていたいんだけど、ついつい寝てしまうんだよね。
ある日、学校で友だちとテレビ番組の話をしていたら、ぼくがすべての番組に口を挟むことができたので、友だちからよくテレビを観ているね、と感心された。その場にいた友だち全員が、ぼくを凄いって褒めてくれたんだ。ぼくはこれまでみんなから褒められたことがなかったので、笑みが零れた。ぼくにとってこの日はとてもいい日になった。
ぼくは褒められたのをきっかけに、友だちが観ているアニメやバラエティ番組を全部録画して、土・日にまとめて観るようになった。こうして土・日に観なければならない番組の量が飛躍的に増大することになった。
ぼくはビデオを観るのに忙しいので、土・日の家族全員のドライブや買い物は断ろうとして、ジロウさんだけはそれでもいいんじゃないかと許可してくれたが、キミコさんとチカはそれに賛成してくれなかった。チカは休日の家族総出のドライブに参加することは、ノグチ家全員の義務だと言い張った。ぼくは毎日リビングルームで両親と一緒にテレビを観ているので、十分両親への義理を果たしていると思っていたから、チカよりも二倍の義理を果たさなければならないことに不満を持った。
「平日、ぼくの代わりにリビングルームでジロウさんとキミコさんと一緒にテレビを観てくれたら、ぼくも少しは自由になれるんだけど」とチカに愚痴ったら、「テレビを観るのはアー君の好きでやっていることでしょう」と切り返された。チカに言わせると、土・日こそが家族団欒のハレの日だと言われて、ぼくは何も反論できなかった。土・日がいつも晴れているわけではないのだから、「ハレの日」という言葉は当たっていないと思うのだけれど、チカに議論を吹っかけると、いつもやり込められるのはぼくの方だから、黙っておくのが得策だった。チカは口が達者だ。将来は弁護士かお笑い芸人にでもなるのだろうか?
と言うわけで、ぼくは土・日の早朝と日中の隙間の時間を有効に使うことにして、平日に撮りためたテレビ番組を必死で観ることにした。平日はソファに寝転がってジロウさんと一緒にテレビを観て、土・日はぼく一人でビデオを観続けている。宿題はきちんとやっているからご安心ください。
ジロウさんから「アキラも立派なテレビっ子になったな」と笑われた。キミコさんはたまに「テレビを観る時間の十分の一くらい勉強してくれればいいんだけど」と愚痴をこぼす。ぼくはそんな言葉に構っていられるほど時間があるわけではない。土・日はとにかく溜まったビデオを観るのに忙しい。撮り溜めた番組を翌週に延ばすとさらに溜まっていく。一度たまりだしたら雪だるま式に増えていくだろう。そんなことになったら、ぼくはもう対処することができなくなってしまう。そんなことにならないように、毎週きちんと観なくてはならない。
ある日、ジロウさんがソファに寝転んだままで、同じように寝転がっているぼくに「そんなにテレビが面白いか?」と声をかけてきたので、「いや、それほどでもないよ」と答え、「父さんはどうなの?」と訊くと、「おれもそれほどでもないな」と答えて、くすっと笑った。ジロウさんもぼくと同じように、それほど面白くもないのに、観続けているんだ。
ジロウさんもぼくも他にやることがないのかな? ぼくは宿題はきちんとしているし、お風呂にも毎日入っているし、歯磨きも食事の後に毎回している。友だちともそつなく付き合っている。子供だからこのくらいできれば十分だ。でも、ジロウさんは大人なんだからテレビを観る時間をもっと減らして、余った時間を他のことに向けたらいいと思うんだけど。時間の有効活用を知らないのだろうか? まあ、給料をきちんと持って帰っているようだから、テレビを観てボケっとしててもいいのかな。
それにしても、昔はビデオがなかったんだから、ビデオを使ってテレビを観るのは「テレビっ子」としては邪道なのかな?
つづく